2017.10.10 火曜日 研究所
朝6時、隣から響く幻想即興曲で目覚めた久方は、着替えを持って1階に逃げ、シュネーとかま猫に異常がないことを確認してから、朝食を作り始めた。パンをトースターに入れ、卵を焼いて──いつものルーティンが終わった時、ほんの少しの間に、余計な記憶がよみがえってきた。実の母に否定されたこと、暴力を振るわれていたこと──
一瞬、飲まれそうになったが、
いや、僕はもう安全なんだ。
もう大丈夫なんだ。
と自分に言い聞かせた。
もう、昔のことを思い出しても、
むやみに自分で自分を傷つけたりしない。
そう決めた。コーヒーをいれ、久方が朝食を食べ終わった頃にやっと降りてきた結城に文句を言い、外がすっかり明るくなってから散歩に出かけた。
まだ降ってはいないが、雪の気配がする。
空気の匂いでわかる。
朝降った雨のおかげで草が雨粒できらめいている。雲がうごめいて、その隙間から太陽がベールのような光を降ろす。そして全てが輝いたり、消えたりを繰り返す。
これから何かが始まりそうな気配がする。風が何かを連れてきそうだからだ。それがよいことなのか悪いことなのか、誰にもわからない。
久方創は曇り空からときおりのぞく太陽の光と、草をきらめかせながら流れる風の只中にいて、見えるもの感じるもの全てに感動していた。
これを知れただけでも、生まれてきたかいがあった。
久方は思っていた。人間の世界で何が起きても、空も雲も風も、揺るがずにゆらめきながらそこにあり続ける。その強さと深さ──それを体感できるだけでも、生きているかいはある。
午後、早紀がやってきて、また、
やっぱり『作品』を作らなきゃダメですかねぇ。
と言い出したので、
そんなこと考えてる暇があったら、
今日考えたことを文章に書いてみなよ。
それを毎日続けていたら、本一冊くらいの分量がたまって、
本になるかもしれないじゃないか。
と久方は言った。すると早紀は、
そうなんですよね。ブログとかSNSに文章書いて、それがきっかけでライターになったり本を出版したりする人、たくさんいますもんね。
でも、私、そういう人の文章読んでも、面白いと思えないんですよ。
と言った。
サキ君がおもしろいと思う文章って何?
と聞くと、
本質を突いているやつです。
と早紀は答え、チョコラングリーをかじってコーヒーを飲んだ。
本質って何?
『人間ってこういうものだよな』ってわかるようなもの。
ただ役に立つ情報とかノウハウじゃなくて、人間味のある文章が読みたいんです。人の存在に触れられたなって実感できるようなものが。
失敗談でいいんですよね。面白ければ。
でも最近みんな『失敗しないため』の『情報集め』みたいなことばかりして、そういう対策みたいな文章が売れてる。それ、面白くないと思いません?何も起こらないつまんない小説を読まされている感じがして。
必要な情報を得ることと、人間味のある心に刺さるものを探すことって、似ているようで全然別物だと思うんです。
私は人間味を探してるんですね、きっと。
小説が好きなの?
うーん、そう言われるとあまり読んでないかも。昔は古典文学とかシナリオに人生感じちゃったりしてましたね。自分で書くのが好きなのは日記とかエッセイですね。実際に起きたことを書きたいです。人生そのものを。空想が苦手で、フィクション書こうとしても何も思いつかないですね。
じゃあやっぱり秋倉での暮らしを書けばいいよ。
平岸家のこととか。
うーん、どうでしょうね〜。
これおいしいですね。もう一箱ありますか?
そんな話をして午後は過ぎていき、早紀はラングリーを二箱開けてから帰っていった。
若いなあ。
久方は早紀を玄関で見送りながらつぶやいた。
若者はこれからどんどん成長していく。世の中はどんどん変わっていき、選択肢も増えている。インターネットも自分が若かった頃には想像できなかったほど発達した。
早紀には未来がある。輝かしい未来が。
その未来に自分がいては、邪魔かもしれない。
久方は一抹の悲しみを覚えながらも、早紀と十分話せた満足感をもって部屋に戻った。ソファーで猫達がくつろいでいる。もう少ししたらショッピングモールに出かけていた結城が帰ってきて、100%自分だけの好みで選んだ油っぽいものや甘いものを並べて夕食にするだろう。
平和だ。
自分はやっと、平和な心を手に入れた。
それが、思い切って『あの人』の故郷北海道に来て苦しんだ結果というのがなんとも皮肉で意外だ。でも、これが自分には必要だったのだ。自分の傷と向き合うことが。
あの人が今どこにいるのか、なぜあんなことをしたのか、それは未だにわからない。それだけが心残りだが、
もう、そんなことはどうでもいい。
と久方は思った。
これからの人生の方が大事だと、やっと思えるようになったのだから。
たとえ時々昔のことを思い出して一時的に気分が沈んでも、今に戻って来て、自分にもまだ未来があると感じられれば、『もう大丈夫』なのだ。




