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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2017年9月

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2017.9.28 木曜日 研究所

 朝。いつもどおり6時の迷惑ピアノで叩き起こされた久方は、着替えを持って1階へ逃げた。

 服を着ていると、何かヒーヒーという音が聞こえてきた。

 何かと思ってあたりを探ってみると、テーブルの下でシュネーが仰向けに寝転がっていた。お腹が激しく膨らんだりしぼんだりしていて、苦しそうに目を閉じ、見るからにおかしな息を吐いていた。


 ど、どうしたの!?


 久方は慌ててシュネーを抱き上げ、2階でピアノを弾いていた結城の部屋に飛び込み、動物病院へ行くから車を出してくれと頼んだ。


 こんな朝早く行ったって開いてないだろォ?


 結城は始めめんどくさそうにしていたが、シュネーの様子が明らかに病気だとわかると、仕方なく車を出した。

 動物病院の医師は、始業時間のずっと前にもかかわらず、快く診察してくれた。その結果、


 肺炎ですね。


 レントゲンを見た医師が言った。画面に写ったシュネーの肺は、片方が真っ白な何かで埋まっていた。

 入院させることになってしまった。


 僕のせいだ。


 帰りの車の中で、久方は落ち込んでいた。


 最近、自分のことばかりに気を取られて、猫達をちゃんと見てなかった。気ままな性格だからほっといても大丈夫だと思いこんでいた。


 でも何が良くなかったのかな?

 エアコンが寒すぎたとか?


 そんなこと考えても病気はよくならないって。

 気にすんな。人間も猫も病気になるときはなるんだよ。

 あとは医者に任せて待ってろ。


 結城が言った。

 研究所に戻ると、今度はかま猫がいなくなっていた。2階や裏の割れ目も見に行ったが、いない。

 

 もっと猫達の動きに気をつけなきゃだめだな。


 久方は反省していた。猫は架空の世界のゆるキャラではない。現実の、生きた生物だ。現実に存在する命なのだ。もっと気にかけてやるべきだった。自分は現実をきちんと見ていなかった。

 結城は何も気にせずに帰ってすぐピアノを再開し、サン・サーンズのピアノ協奏曲のピアノの部分だけを繰り返し弾いていた。やはりオーケストラと共演したいのだろうか?


 虚しい奴だなあ。


 久方はそう思いながら、季節が終わりかけている畑を見に行き、そのまま草原を散歩した。しかしやはりかま猫は見つからなかった。どこに行ってしまったのだろう?



 3時過ぎ、早紀と保坂、奈良崎がやってきた。保坂はキーボードを持ってきていた。結城と保坂が一緒に演奏するのを奈良崎が動画に撮るそうだ。


 男子3人で仲良くしちゃって、やな感じですよ。


 早紀がコーヒーを飲みながら、ややすねた顔をした。


 でも、みんなで楽しめる趣味があっていいですよね。

 私は文章を書いても一人きりです。文章って孤独な作業ですよね。もともと人に何かを伝えるためにできたのが文字なんでしょうけど、でも、自分の内面を文章にする時って、人間やっぱり一人じゃないですか。


 早紀は最近、『自分が文章を書くことに意味はあるのか』ということに悩んでいるらしい。


 自分語りなんて誰も読みたがらないですよ。でも、私は書くことで自分の内面がわかるんです。だから、私にとってだけ、書くことは意味があるんです。でも、どうせ書くなら人にも読んでわかってもらいたいと思うじゃないですか。ネット上に書く時は完全に人目を意識して書きますよね?でも私、そういうのは向いてないっていうか──


 話しながら考えを整理しているのか、話はあちこちに飛んだ。久方はその、まとまりのない言葉の一つ一つをじっくりと聞いた。


 サキ君と話せるのも、あと半年だけだ。


 久方はそう思って、いつか来る別れを意識していた。しかし早紀の方はそんなことは考えてなさそうだ。今日はひたすら、結城でも幽霊でもなく、『書くことは自分にとってどういうことか』を考えていたいらしい。


 若いんだなあ。

 若いから、自分の世界のことを中心にずっと考え続けられるんだよなあ。僕も昔はそうだった──


 久方は、自分が急に歳を取ったような気がした。哲学的なことをずっと考え続けていられる若者とは、今の自分はやはり違う。大人になるともっと実際的なこと──生活のこととか、仕事のこととか──ばかり考えるようになって、人の精神や心の核心的なことをなおざりにしてしまうようになる。

 早紀はまだ、そこまでいっていない。

 今を大事にしてほしい。考えることができる今を。


 所長、ぼんやりしてますね。

 やっぱりシュネーが心配ですか?


 早紀にそう言われて、シュネーの病気のことを忘れていたことに気づき、久方は自分が恥ずかしくなった。こんなことで猫という名の命を預かる資格があるのだろうか。


 大丈夫ですよ。

 たぶん猫の世界の医学も今は進んでますから。


 早紀はそう言いながら笑い、チョコレートを差し出した。久方はそれを受け取って口に入れた。若さの名残のような甘さと苦さが、口いっぱいに広がった。







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