2017.9.16 土曜日 研究所
朝日がのぼる少し前、久方創はキッチンで鮭を焼いていた。父親が朝には必ず魚を欲する人だからだ。しかもトーストも必ず食べる。焼き魚とパン。好みは人それぞれだ。
焼ける気配を待って立っていると、
おはよう。早いなァ。
母が降りてきた。
僕がやるから、寝てなよ。
久方は言った。
そんなこと言うてももうバッチリ目覚めてしもたし。
ここ空気ええからさわやかでええなあ。
母は久方が作ったスープの味見をし、『ええな』と言った。
一人でちゃんとご飯食べてるか心配しとったけど、
きちんと作ってるんやな、朝から。
母は感心しているようだった。
いつもはこうじゃないよ。トーストだけで済ませてる日の方が多い。
久方は答えた。階段を降りてくるゆっくりとした足音がし、父が降りてきた。まだ眠そうな顔だが、服装はきちんとしていた。まるでこれから会社に行くと言いそうなほどだ。
まだ寝てていいんだよ。
久方が言うと、
いや、腹減った。
と父は答え、魚を運ぶ母の後を追って部屋に入った。
3人が食卓につき、『いただきます』を同時に言った。父はすぐ手を付けたが、母ふ並んでいるおかずをじっと見つめ、しばらく動こうとしなかった。
嫌いなものがあった?
久方が尋ねると、
ううん、みんな好き。
母は言った。
何でもできる子なんやなあ、と思って。
そして、漬物が入った小鉢を手に取った。
これ自分で漬けたんやろ。
うん。ネットで調べてね。
母はひとかけら食べて、
おいしい。
と言った。それからまた、鮭のあたりを見て黙った。
どうしたの?
久方が尋ねると、
知らん間に、大人になったんやなあと思って。
すると父が、
ドイツ行った時も同じこと言うとったやろ。
と言った。
そやけど、
あのな、悪いけど、ドイツから戻ってきて病気やった時、この子はもう立ち直れんのと違うかと心配してたんよ。
言っとくけど、私は自分が産んだ子と同じようにあんたを想ってる。
でも、あんたは神戸に来る前に、私らにはわからん何かに傷ついていて、なかなかなついてくれなかったからな。いつかまた遠くに行ってしまうんやないかって心配しとった。でも──
母はまた食卓を見た。
ちゃんと、こんなきちんとした食事作って、立派な大人として生きてたんやなぁ。
私が心配すること、なんにもなかったわ。
お母ちゃんは心配性やな。
父が言った。
なぜ、誰にも愛されていないなどと思ってしまったのだろう?
今や、久方はそのことが不思議だった。自分のそばには、常にこの人達がいたのに。自分にはきちんと親がいて、心配してくれていたというのに。
僕はほんとに大丈夫だから。
久方は涙をこらえながら言った。
それに、僕の親は、ここにいる二人だけだから。
久方が言うと、父と母は同時に、似たような笑い顔になった。
それから親子は北海道旅行の計画を立て始めた。父が『知床に行きたいが、ここからは遠いのか?』と聞いてきたので『遠いが、行けないことはない』と答えた。父はすぐレンタカーの予約をし、できる限りいろいろな町を回ることになった。二人とも滞在期間を伸ばしていろいろ見て回りたいようだった。
久方は、『僕がいない間、サキ君が来たらどうなるだろう?』とちらっと思ったが、すぐに考え直した。自分がいなくても早紀は勝手にやっていくだろう。早紀が好きなのは自分ではないし──
本当は両親に早紀を紹介したかったのだが、それは遠い夢のように思われたので、久方は考えるのをやめ、目の前にいる両親を楽しませることに集中することにした。




