2017.9.12 火曜日 秋倉町内
奈良のとっつぁんは、釣り糸の先の水の波紋を見つめながら、家族や友人について考えていた。妻と息子には何の問題もない。保はモデルになりたがっているし、妻は先輩ママモデルとして上手く導いている。二人とも見た目にこだわりすぎるのが難点だが、それは職業病だから仕方ない。
問題は隣の家だ。毎日夫婦ゲンカし、秀が家から逃げ出している。典人がヨギナミを引き取りたいと主張しているのが原因だ。
全く、あのアホウめが。
いつもバカな選択ばかりしやがって。
とっつぁんは心の中で悪態をつきまくっていた。最初から与儀あさみと結婚していれば、こんなことにはならなかっただろうに。まわりから見てもあまりにも明らかな事に、本人はなぜ気づかなかったのか。相手が死んでから後悔したのでは遅すぎる。
後ろから草を踏む音がした。クマではない。
振り返るとそこには小さなおっさんがいた。
今日は釣れそう?
いや、全然ダメだべ。
とっつぁんはそう答えた。釣り糸の先を見たまま。
でも3匹は釣らんと夕飯に困る。
糸はピクリとも動かない。
おっさんは、とっつぁんの隣に来てしゃがんだ。
実は、
おっさんが言った。
3月に神戸に帰ることになって。
そりゃ残念だなァ。
とっつぁんが言った。
ヨギナミが心配でよ。
おっさんが川面を見ながら言った。
大丈夫だァ。典人は俺らでなんとかすっから。
とっつぁんは明るく言った。
あいつは若い時から血迷っててどうしようもねえ奴なのよ。まあ、許してやれや。ナミちゃんには手を出さないようにすっから。
川は何事もなかったかのように流れ、釣り糸はあいかわらず動かない。
ここはいい町だな。
おっさんがつぶやいた。
できれば、ここに生まれたかったよ。
そんなに気に入ったなら、
ずっと住んでりゃいいじゃねえか。
とっつぁんは言ったが、
そういう訳にもいかなくてよ。
おっさんは暗い表情で川を見つめていた。
今日は魚が釣れそうにない。
1時間後、おっさんはカフェでコーヒーを飲みながら、佐加が勉強について愚痴るのを聞いていた。そこにはヨギナミもいた。佐加はいつもどおり勢いよくしゃべっているのだが、おっさんがあまり反応しないので、
おっさん、今日は元気ないね。
ヨギナミは言った。すると、
そんなことはねえよ。
おっさんが言った。
ただ、3月にここを離れることを考えると、寂しくてな。
ここはいい町だからな。
おっさん、どこ行くの?
佐加が驚いて尋ねた。
創が神戸に帰るんだよ、3月に。
だから俺もここを離れなきゃいけないんだよ。
ヨギナミはそれを聞いて悲しくなった。もう、母のことや、その他いろいろなことを話せる相手がいなくなってしまう。
それ、サキも知ってんの?
佐加が尋ねた。
ああ、もう知ってるよ。
どうする気なのかな?それってさ、結城さんもいなくなるってことだよね?
新橋は東京の大学に行くから、どっちみち一緒にはいられないだろ。
でもさ、本当にそれでいいのかな、所長さんは。
ヨギナミが言った。3人ともしばらく考え込んだ。
もうすぐ高校生活終わっちゃうんだあ。
佐加がさみしそうに言った。
やっぱさ〜、なんか思い出に残ることしたくね?
そうだ!3人で一緒にどっか行こうよ!
それから、旅行に行くならどこがいいかという話で盛り上がった。楽しい時を過ごしたが、おっさんにも、ヨギナミにもわかっていた。こういう時間を過ごすことは、いずれできなくなる、と。だから、楽しい話題の中にも、どこか影が感じられて、いつか来る別れを予感させて──どこか、悲しいものが付きまとうのだった。
佐加の強い勧めで、『いつか3人で札幌に行こう』という話がまとまった後、平岸パパがヨギナミを迎えに来て、みんな解散となった。




