2017.9.9 土曜日 高谷修平 札幌 先生の奥さんに会いに行く
修平は、札幌のある家の近くに立っていた。ちょうど、玄関から夫婦らしき二人が出てきた所だった。二人とも白髪混じりの髪をしていて、50代といったところか。どこかへ出かけるのか、二人ともきちんとした服装をしている。仲むつまじく、何かしゃべりながら笑っている。
『あれは、ナホちゃんと菅谷ですねえ』
新道先生がのんきな声で言った。
『一緒に暮らしているようですね』
修平は何も言わず、二人をじっと見つめていた。
『修平君?』
様子がおかしいことに気づいた先生が声をかけた。
『どうしました?』
「こんなの、ないよ」
修平が小声でつぶやいた。顔は青ざめて、手は小刻みに震えていた。
「奥さん、先生のこと忘れちゃったの?」
修平は、新道先生の奥さんは今でも一人でいるだろうと思っていたのだった。一人で亡くなった夫のことを思っているだろうと。
しかし、そうではなかった。
『修平君』
新道先生は静かに尋ねた。
『なぜ君がそんなにショックを受けるんですか?』
「だって……だって……っ」
修平は何か言おうとしたが、上手く表現できなかったのか、先生の目を見たまま黙ってしまった。泣きそうな顔をして。まるで、子供の頃のようだ。何か納得できないことがあると、修平はよくこういう顔をした。
新道先生はこちらに歩いてくる二人を見た。そして、
気づいてくれるだろうか──
と思いながら、一か八かで、強い風を起こした。
台風のように強い風が、道を吹き抜けた。
「わあっ」
修平が叫んだ。
「何やってんのセンセー!?」
「キャアッ!」
帽子を飛ばされそうになった菜穂が、頭を押さえながら叫んだ。しかしすぐ、何かを感じたかのように顔を上げると、あたりを見回して、風が吹いていった方向を見て、
「シンちゃん……?」
とつぶやいた。
「ああ、今のは新道だ」
菅谷が同じ方向を見ながら言った。
菜穂の目からみるみる涙があふれた。菅谷はそんな菜穂の肩を優しく抱き、一緒に家の中へ引き返していった。
『あの二人は、私を忘れたりしませんよ』
新道先生が言った。
『さあ、もう帰りましょう。私の人生のことはもういい。君自身の人生に戻るんです』
修平はしばらく家をじっと見つめた。それから、涙をふいて、歩き始めた。
帰ってからも、修平は落ち込んでいた。
『修平君』
新道先生が声をかけた。
『さっきから、何をそんなに落ち込んでいるんですか?』
修平は下を向いて黙っている。
『『ナホちゃんを頼む』と、死ぬ前に頼んだのは私なんですよ。だから、菅谷は約束を守った。それだけのことです。ナホちゃんも元気にしているようだし、私は嬉しいですよ。まあ、お出かけの邪魔をしてしまったのは申し訳なかったが──』
修平は黙っている。
『それにね、あの家が建っていた場所、何かわかりますか?』
修平はやはり黙っている。
『私とナホちゃんが初めて会った日に、死んだ犬を埋めた場所です』
修平が少し顔を上げて先生を見た。
『つまり、私との思い出の場所に家を作ったわけだ。たぶん建てたのは菅谷でしょうけどね』
「先生、ほんとにそれでいいの?」
修平がつぶやいた。
『時の流れとはそういうものです。近しい人が死んでも、悲しんだあとは、進まなくてはならない。生きていかなければならない』
修平はまた黙ってしまった。そこへ、
「もう夕飯できてるんだけど!?」
という、あかねの怒鳴り声がした。
「なんでそれで落ち込むの?今幸せに暮らしてるのがわかってよかったじゃん」
夕食の席で、話を聞いた早紀が言った。
「でもすごいわね。亡くなったダンナとの思い出の土地に家建ててあげるなんて。愛がなきゃできないわよ。しかも金持ちなんでしょ?人生勝ち組よね?まずは最愛のダンナと結婚して、死んだら金持ちをつかまえて楽な老後を過ごすなんて。ウフフフフ」
あかねがニヤけながら言った。
「あのさあ、亡くなった夫のことって、そう簡単に忘れるもの?」
修平が言ったので、早紀が呆れた。
「だってもう18年経ってるじゃん!何なの?一生新道を想って一人寂しく暮らしてればいいと思ってた?バカなの?人の不幸を望んで何か楽しい?」
「まあまあまあ」
平岸パパがなだめに入った。するとあかねが急に立ち上がり、
「インスピレーションが!」
と叫んで、からあげの皿をつかんで走っていってしまった。
「またBLのネタにされるよ」
早紀が言った。修平は何も言う気がしなかった。食欲もなかったので夕食を半分以上残して(からあげは早紀に取られた)、部屋に戻った。
それから修平が何をしたかというと、伊藤百合に何かをLINEしようとして、何時間も迷って、結局何も送れなかったのだった。
『わかりましたよ』
夜中近くになって新道先生が出てきた。
『君は、自分が忘れられるのが怖いんですね?』
修平は黙っていたが、顔に答えは出ていた。
『そんな心配はいりませんよ。まず①君はすぐには死なない。➁友達はそう簡単に君を忘れたりしない』
先生は優しく言ったが、修平の不安げな様子は変わらなかった。
『まあ、ゆっくり考えてください。大抵のことは時が解決してくれます。でも忘れてはいけない。私が死んで、ナホちゃんも菅谷も深く悲しんだはずです。でも、時がそれを癒やしたんです。君もそのうちわかりますよ』
新道先生は消えた。
修平は、自分が死んだ時のことを考えていた。先生の言うとおりだった。
忘れられてしまうのは、怖い。
家族にも、学校の友達にも。
特に、百合には。
先生は、奥さんと友達が今幸せに暮らしてるからいいのだと言った。修平にはそうは思えなかった。例えば、百合が、自分がいなくなった後、別な男と付き合ったりしたら、やはり悲しい。理屈ではわかる。そもそも付き合っていないし、自分がどうこう言うことではない。百合が幸せならそれでいい、という考え方もある。
でも修平の心は、あの二人を見た時から重くなり、その感覚はなかなか消えてくれないのだった。先生のような穏やかな心境には、今はまだなれそうにない。




