表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2017年9月

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

933/1131

2017.9.3 日曜日 研究所


 今日はサキ君が来るなあ。

 どうせ結城のことしか見てないだろうけど。


 朝、久方はいつものカウンターでぼんやりと外を見ていた。今日はどんよりと曇っていて、雨の予報だ。気温もぐっと低い。

 なぜか早紀は、ここ数日毎日ここに来る。目当ては結城だったとしても、それは良いことだった。早紀に会う時間を増やしたい久方にとっては。

 もう9月になってしまった。

 来年の3月には神戸に帰る。

 早紀に会えるのも、あと少しの時間だけだ。その時間を大事にしたい。余計なもめ事は起こしたくない。ただでさえ早紀は、受験と、結城への想いの伝わらなさに悩んでいるのだから。

 見守って支えてやるのが自分の仕事だ。

 久方はそう自分に言い聞かせていた。



 早紀は10時頃やってきた。


 今日は佐加もヨギナミも来れないんです。

 だから、所長が奈々子と結城さんを見張っててくれませんか?


 早紀がそう言ったので、久方は一緒に2階へ行った。今日の早紀はどこか元気がなさそうで、結城を見てもあまり嬉しそうな顔をしなかった。

 いつものルーティンのように発声練習が始まった。しかし、早紀はあまり声を出さなかった。音も外していたし、声に勢いがなかった。やる気がなさそうなのを結城に注意されると、


 結城さんは──なんにもわかってないっ!


 と叫んで、廊下へ飛び出して行ってしまった。久方が慌てて探しに行くと、バスルームでうずくまって泣いていた。


 わかってますよ。何を言ったって無駄なのは。


 早紀は泣きながら言った。


 でも辛いんです。今日は歌のレッスンは無理です。


 早紀は動かずに泣き続けていた。久方は2階へ戻り、結城に『今日は奈々子さんは出てこないよ』と言ってから、1階に戻って早紀を部屋のソファーまで連れていき、キッチンに行って麦茶をいれて運んだ。


 所長。


 麦茶を一口飲んでから、早紀が言った。


 私のこと、好きですよね?


 久方は何と答えていいかわからなかった。


 好きですよね?


 早紀は再び尋ねた。念を押すように。


 だけど、それは、サキ君が気にする必要はないよ。


 久方はやっとのことでそう答えた。


 気にしますよ!


 サキがうなるように言った。


 自分のことが好きな人がいたら、気になります。当たり前じゃないですか!なのに結城さんは私のことなんか全然気にしてない!


 サキがまた泣き出した。

 ああ、やっぱり話は結城か。

 と久方は思いつつ、早紀が落ち着くまで『いかに結城が自分のことを軽く扱っているか』『いかに奈々子がうらやましいか』という話を延々と聞いてあげ、昼にはツナのパスタを作ってあげた。結城がまたいなくなったので、早紀が2人分食べた。


 所長。


 落ち込んだ様子ながらも泣くのはやめた早紀が、こう言った。


 私、2年前の夏に戻りたいです。


 切実な響きがあった。


 ここに来たばかりで、所長と散歩してるだけで楽しくて、結城さんのことも幽霊のことも知らなかった頃に帰りたいです。


 僕もあの頃が懐かしいと思うこと、あるよ。


 久方は言った。


 でも、時間は戻らない。


 言いたくなかったが、それが現実だ。


 そうですよね。


 早紀もつぶやいた。


 すみません。取り乱して泣いたりして。


 いいよ。僕もその気持ちはよくわかるから。


 私、所長を苦しめてます?


 早紀が尋ねた。


 そんなことはない。

 いつでも、来てくれると嬉しいよ。

 前も言ったけど、僕は3月に帰るから、

 それまでの時間は大事にしたい。


 それを聞いた早紀はしばらく動きを止めた後、


 そっか。


 初めて気づいたかのようにつぶやいた。


 所長も、結城さんも、いつかいなくなっちゃうんですね。


 そして立ち上がり、


 帰って勉強します。おじゃましました。


 急に他人行儀な態度でおじぎをしたかと思うと、早紀は出ていってしまった。


 やっぱり僕のことが嫌なんだろうか?


 久方はそう思いつつ、腹立ちまぎれに結城に『どこ行ったの?』『サキ君ともっとちゃんと接してあげろよ。かわいそうじゃないか!』と文句を送りまくった。すると、


 あんな若くてかわいい子に全力で泣きつかれたら、

 理性を保てる自信がない。


 という返事が返ってきたので、ぞっとした。

 まずい。

 しばらく歌のレッスンはやめてもらった方がいいかもしれない。しかしそれに早紀が、奈々子さんが納得するだろうか。


 サキ君に知られずに奈々子さんと話す方法は──


 考えたあげく、久方は高谷修平に相談した。


 先生に伝えてもらえばいいですよ。夜中に幽霊同士で話し合ってるって言ってましたから。


 と返事が来たので、任せることにした。奈々子さんは早紀のことを心配しているはずだから、きっと事情をわかってくれるだろう。

 久方はその後も落ち着かず、むやみに猫達にかまって嫌がられ、ポット君に早紀のことを愚痴って悲しい顔を表示されたりした。自分の部屋で古典文学に読みふけろうとして、でも先程の早紀の様子が頭から離れず、雨の音にはますます感傷的になり、


 僕はもうダメだ。苦しい。


 と思いながらベッドに倒れた。


 自然の音だけが響く部屋で天井を見つめていると、赤い髪の男が顔をのぞき込んできた。何も言葉を発さず、ただじっと久方を見ている。


 橋本さ。


 久方がつぶやいた。


 根岸って子のこと、好きだったよね?


 たぶんな。


 橋本が答えた。


 でも、それより俺が心配なのは、

 今のお前があの頃の俺にそっくりだってことだよ。


 久方はびっくりして起き上がった。それはどういうことだ?


 他人の世話ばっかしてねえで、自分の幸せを考えろ。


 橋本はそう言って消えた。あとには久方と、雨の音だけが残された。


 僕は今、絶望に引き込まれそうになっていたのかな。

 久方がそう思っていると、スマホが鳴った。


 さっきは変な態度取ってごめんなさい。


 と早紀が言ってきていた。


 別に気にしてない。


 と答えると、


 少しは気にしてください。

 所長は優しすぎます。


 と返ってきた。

 なんだかよくわからないが、早紀が少しは自分のことを考えてくれるのは嬉しい。しかし同時に、悲しいような気もする。

 久方は外に出ることにした。

 雨の中を散歩したら、少しは気が晴れるかもしれない。それに、北海道は9月を過ぎるとあっという間に冬が来る。今のうちに緑の自然を見ておかなくては──。





 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ