2017.8.26 土曜日 サキの日記
保坂のバカでキモい父親のせいで大騒ぎ。
歌の練習した後、所長と一緒にアイスを食べてたら、インターホンが鳴った。あのキモい男が玄関にいた。追い払えばよかったのに、なぜか所長は奴を中に入れてしまった。
奴はニヤニヤ笑いながらよくわかんないことをいろいろ言ってたけど、要は、
『ヨギナミは俺の娘だから近寄るな』
と言いたかったらしい。所長(たぶん橋本に言いたかったんだと思うけど)に向かって、お前は赤の他人のくせに親戚ぶりやがってとか、俺には財産があるがお前はどうだとか、とにかく嫌な話ばかりふっかけていた。
所長は黙って聞いてから、
それはヨギナミが決めることだから、
僕にどうこう言っても無駄です。
と言った。私は、どうして橋本が出てこないんだろうと思っていた。どう考えても今ここにいるべきなのは橋本なのに。
奈美にはもう家族は俺しかいないんだからな。
と奴は言ったが、所長は、
認知もしなかったくせに今さら何を言ってるんですか?
と言い返した。所長が怒った様子を見せるのは珍しい。私は心配になってきた。また、橋本と自分の区別がつかなくなってるんじゃないかって。所長は誰にでもすぐ同情して、自分のことのように感じるクセがあるから。
口の減らねえチビだな。まあいいさ。
今は意地を張ってても、そのうち財産が欲しくなって俺の所に来るさ。
女ってのはそんなもんだ。
ヨギナミはそういう子ではないと思うけどな。
何とでも言ってろ。
奴はそう言いながら帰っていった。平岸家に行かれたら困るなと思ってヨギナミに知らせたら、なぜか佐加が、
今ヨギナミうちにいるから大丈夫。
今日帰さない方がいいかな。
と言ってきた。浜に行ったらしい。私は研究所を出て、急いで平岸家に行った。
予想どおり、奴が平岸パパと話していた。
奴は所長に言っていたのと同じ『俺には財産があるからなんとかかんとか』というウザい説明をし続けていた。平岸パパは腕を組みながらそれを聞いていたが、ふと、
あんたの話には、一番大事なものがないなあ。
と言った。
娘がどう思ってるか、本人がこれからどうしたいか、
一番大事なのはそこでしょう。
なのにあんたはやれ金だ権利だと自分のことばかり言って、娘の気持ちをおもんばかろうという気が感じられないなあ。
ハッハッハッ!
奴が下品な笑い声をあげた。
そんなのは、金さえあれば好き勝手にできるもんだろ。
だめだこいつ。何もわかってない。うちのバ──父でさえ知ってることをこいつは知らない。人の親になるということは、金を出せばいいってもんじゃない。人間的な触れ合いとか会話とか、そういうのが必須だ。それがないと、いくら血が繋がっていても絆は生まれない。なのにこいつは、娘を金で買えると思っている。めっちゃ気持ち悪い。
平岸パパと奴はけっこう長い間話し合っていたけど、同じような平行線をたどるだけで、最後まで意見は一致しなかった。しまいには機嫌の悪いあかねが出てきて『夕飯!夕飯はまだなの!?』と怒鳴った。そして奴をにらむなり、
うわ!出た!不倫オヤジ!めっちゃキモいんだけど!
早く出てってくれる?食卓が汚れるから。
と言った。奴の顔が怒りでみるみる赤黒くなった。やばい、殴り合いになるかも、と思ったけど、奴は何も言わずに帰っていった。平岸ママが玄関に、かなりの量の塩をまいていた。
ヨギナミ、今日うちに泊めるね。
佐加から連絡が来た。一応、もう帰ったから大丈夫って言っといたけど。
私は一応ことの成り行きを所長に知らせ、
次はお前が出てこいって橋本に言っといてください。
と言った。すると、
次がないことを祈るよ。
橋本は今だいぶ怒っていて、次来たら殺すって言ってる。
僕を殺人犯にする気だ。
止めてよ。
と返ってきた。そんなに腹立ったなら今日出てきて、一発殴るくらいすればよかったのに。
あー!変なキモいおじさんのせいで自分の問題を忘れてた!
今日歌の練習中に奈々子と結城さんがめっちゃいい雰囲気になって、なんか──キスしそうだった!直前で奈々子が我にかえって「練習しましょう」って言って離れたからギリギリ何も起きなかったけど。
それを所長に相談してたら奴が来たんだっけ。あー!どうしよう。このまま練習させてたら絶対キスする!きっとその先にも行く!私の体で!それは困る。奈々子が「そんなことしないって!」と叫ぶ声が聞こえるけど信用できないこいつ!
私は悩み、誰かに相談したくて、父に連絡した。いつもはスルーするのに返事が来たからびっくりしてしばらくはしゃがれてウザかったが、話をしているうちに真面目になり、
残念だけどさ、いるんだよ。そういう、人情が全然分かってない奴。金とか権力とかプライドで全て回そうとする奴。
もう、かわいそうな奴だと思ってほっとくしかないよな。一番大事なことがわかんねえんだから幸せになれるはずないもんな。
人との繋がりっていうのはさ、金もかかるけど、結局大事なのは人情と信用だよ。
どっちもないんじゃどうしようもないなァ。
ところで娘よ。そいつ、サキにまで変なこと言ってないだろうな?俺の娘を侮辱するとどうなるか知らしめる必要ある?ちょうど面白い拷問道具が劇団の小道具に入ってきたんだけど。一回使ってみたいんだけどさあ。適切な相手がいなくてなァ。
やってほしいマジで。でもなんでそんなもの入ってきてるの?次の演目何?
それが面白いんだよ。中世ヨーロッパに21世紀のテクノロジーを持ち込んだらどうなるかという話でな。王様が巨大スクリーンで権力を人々に知らしめてだな──
絶対客入らないってそれ。
え〜何でだよォ?台本書いたの俺だぞ?
売れるに決まってるだろォ?
どうでもいい会話をして終わった。でも、親子の会話ってこういうもんだと思う。奴には絶対にできないはずだ。娘に嫌われてるし、仲良く積み重ねてきた時間もないから。
私は母にも連絡しようと思ったけどやめた。きっと父が面白おかしく脚色して伝えてくれるだろうと思って。それから、親がいなくなった(奴を親にカウントしたい子供がこの世にいるとは思えない)ヨギナミのことを考えた。今。どんな気持ちで佐加の家にいるんだろう?戻ってくるのが怖くなったりしないだろうか。
あの男、すぐには諦めなさそうな感じだったな。また来たらどうしよう。
でも、追い返さなきゃいけないのは間違いない。
だってヨギナミは嫌がってる。前からそうだった。
『ヨギナミ』って呼び名も、『私は保坂じゃない』ってことを強調するためだって聞いたことがあるし。




