2017.8.24 木曜日 サキの日記
学校帰り、「ちょっと歩いてみたい」という声が聞こえたかと思うと、奈々子に体を乗っ取られた。奈々子は私の体で帰り道を歩きながら、
本当に、草以外何もない道ねえ。
と言った。それから、
私が行ってた学校も、まわりが牧場で、
一面草原だったんだ。
札幌市内なんだけどね。
あのへんだけ田舎みたいだった。
風が吹くと背の高い木が大きくなびいてねえ。
懐かしいな。
それから、奈々子は高校時代の思い出話を、ひとりごとのようにつぶやき続けた。まだインターネットはなくて、後輩の一人が携帯を持っていることに驚いたとか、友達がデジカメで遊んでいたとか、みんなで中古のCDショップに入り浸っていたとか──もちろん、修二と、結城さんのことも。
平岸家に着く頃、奈々子は歩いてきた道を振り返って、草原と空を見た。まるで、世界がそこにあるのを、じっくり確認したいかのように。
そして、深呼吸して、
生きたかったなあ。
とつぶやいた。その瞬間、私が元に戻った。
今まで深く考えたことがなかったけど、奈々子は殺されたんだっけ。そして、不本意に人生を絶たれた。橋本の死は自業自得だし、新道は幸せに生きてから寿命で死んだ。
でも奈々子は違う。
本当は生きたかったはずだし、その死は本人の人生を消しただけでなくまわりの人も傷つけたはずだ。結城さんも、きっと苦しんだはずだ。私はそこを深く考えたり感じたりしたことが今までなかった。
でも、今日、ことの重大さがわかった。
一人の、思い出や思考や心を持った女の子が、いなくなった。
その重さ。
いつもなら平岸家に行ってお菓子食べるんだけど、今日は一人で考えたかった。杉浦塾に行く気もしなかった(本当は行く予定だったんだけど)。
この世から、一人の人間が消える。
あちこちで起こっていることだし、私だっていつかは死ぬのだ。
でも、それはどういうことだろう?
考え込んでたらスマホが鳴って、
例の番組、収録が10月20日なんだけど、来れそう?
と母が言ってきた。
おい、まだ出るとは言ってないんだけど!?
お願いよ。
一回くらい一緒に出てくれたっていいじゃない。
将来作家活動する時に名前知られてた方がいいでしょ?
誰が作家になると言った!?
なんだかわからないけど母はもう一緒に出ると決めてしまったらしい。
どうしよう。10月?学校サボって出ろってこと?
それより、テレビになんか出たらまたネットに『ブス』とか『似てない』とか『父親に似て豚まん』とか書かれる。
絶対やだどうしよう怖い。
佐加に相談しようかと思ったけど、「テレビイェーイ!」とか叫んで言いふらされそうな気がものすごくしたので、夕食の後でヨギナミに話したら、
嫌ならはっきり断った方がいいよ。
でも、私は友達がテレビに出たら嬉しいな。
たぶんみんな喜ぶと思うよ?
と言われてしまった。
出るしかないのか──しかもバ──父からも「楽しみピョーン」とか言ってきやがったし、何か、上手く乗せられてハメられた気分。
私は昔のネットの中傷とか炎上を思い出して怖くなり、部屋をうろうろ歩き回った後、我ながらよくないと思うけど──所長に電話してしまった。所長は私の話をひととおり聞いた後、
お母さんともう少し話し合ったら?
と言った。
サキ君が何を不安に思っているか、お母さんは知るべきだと思う。その上で出るかどうか決めればいいよ。
なので、私は母に、ネットでいろいろ言われるのが怖いということを、過去の事件のトラウマも含めて説明する長い文を送りまくった。忙しいから今日は返事来ないだろうと思ってたら夜中に、
怖いのはよくわかる。つらい思いをして学校まで変えたものね。
でも、言う人は何したって言うのよ。でも、そんな人のために人生を引っ込めるなんてもったいないと思わない?
そういう人達に、『本当の私はこうです』とわかってもらうためにも、サキちゃんは一度公の場に出て話してもいいんじゃない?
もちろん、何かまずいことが起きたら、私と新橋が全力で守るから。
40代の娘に守られてもなぁ、と思ったけど、私は「わかった、出る」と答えていた。まだ少し怖いけど、落ち着いた。
確かに母の言うとおりだ。悪口を言ってくる人のために人生を引っ込めたくない。いずれ私も社会に出て一人でいろんな活動しなきゃいけないだろうし。でも、うちの母、なんで私が作家になると思ってるんだろう?文章が好きだから?カントクに何か言われたとか?
あー!そういえばカントクにシナリオ書けって言われてたのに何もしてない。受験終わるまで待ってくれないかな。




