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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2017年8月

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2017.8.16 水曜日 久方、浜へ連れて行かれる

 どうしてこんなことになってるんだろう。

 久方は車の中で考えていた。早紀に会いたくてうっかり乗ってしまったが、今日向かっているのはあのうるさい佐加の本拠地だ。ろくなことが起こるはずがない。しかもハンドルを握っている結城は、


 海なんて久しぶりだぁ〜!


 と、やたらにテンションが高い。運転しながら楽しそうにフンフン鼻歌を歌い、体を左右にゆすっている。自分も乗っているのに、久方は「事故ればいいのに」と思わずにはいられなかった。


 静かにしてくれないかな。


 久方は不機嫌な顔で言った。


 何だよ、せっかくの夏の海だぞ?

 女子高生と海だぞ?

 もっと楽しそうにしろよ。


 結城がそんなことを言った。


 お前の『女子高生』って言い方はやらしいんだよ。


 久方は小声で言った。


 ま〜た〜一人で純情ぶってるな?

 実際海に着いたらどうなるか見ものだな。


 結城はニヤニヤしながら、また音楽に合わせて体を動かし始めた。久方はもう、着くまでしゃべらないことにした。

 しかし、

 車が到着したのは、佐加の家ではなく海の家、つまり海水浴場だった。


 え?何でこんな所に?


 何でじゃねえよ。

 女子高生が泳いでるのを眺めに来たんだぞ?

 水着持ってきたか?


 持ってくるわけないでしょ!?


 なんでだよ!?海といえば水着だろォ!?


 そんな話いつしたっけ!?


 結城は呆れた顔で車を降り、久方を置いて更衣室へ消えた。


 なんでこうなるんだ──


 久方は海の家のベンチに座り込み、両手で顔を覆った。海の方向から、女の人がキャーキャー言っている声がする。太った年配の夫婦が、海パンとビキニでのしのしと歩いていく。


 あぁ、帰りたい。


 しかし、車の鍵を握っているピアノ狂いは、派手なペイズリー模様の海パンでサングラスをかけ、ニヤニヤしながら出てきた。もうただのバカにしか見えない。


 あ〜!結城さんじゃ〜ん!!


 天敵、佐加の大声がした。久方は思わず顔を上げた。

 そこには、


 サキ君が、

 水着。


 そう、早紀は、水色のワンピースのような水着を着ていた。あまりにもかわいい、いや、体の線が見えすぎていて、久方は目が離せなくなった。

 いくら結城が好きだからって、そこまでしなくても!

 と久方は思った。隣には毒々しい蛍光色のビキニを着た佐加がいたが、もちろん久方の目には入っていなかった。


 うわ!結城さん!水着だとめっちゃパリピっぽい!


 佐加がむやみな大声で言った。早紀が結城の体をじっと見ていることに気がついて、久方は悲しくなってきた。結城は嫌味なくらい男らしい肉体を持っていて、通りすがりの女性がみんな振り返るほどだった。

 3人は、海の向こうへ歩いていってしまった。


 ああ、遠い。

 世界が遠い。


 久方がベンチに座ってたそがれながら、海と3人を眺めていると、


 所長さん、泳がないの?


 横から声がした。見ると、白い日傘をさして、ヨギナミが立っていた。薄いピンクのTシャツを着て、色あせたデニムをはいていた。


 水着を持ってないんだ。


 私も持ってない。


 ヨギナミが言いながら久方の隣に座った。


 佐加が貸してくれるって言ってたんだけど、サイズが合わなくて。

 この日傘も佐加のなの。曇ってるから必要ないって言ったんだけど、佐加は、曇りの日こそ気をつけなきゃダメだって。


 そうか。


 久方はヨギナミを見た。横顔は、あさみに似ていると思った。手足がやけに細い。

 海では結城と早紀がじゃれている。佐加が何かをうるさく叫んでいる。最近ずっと曇ってるよねと通りすがりの人が話しているのが聞こえる。空は雲に覆われていて、空気は蒸している。あまり北海道らしくない天気だ。


 佐加が明るいのって、やっぱり海で育ったからかな。


 ヨギナミが言った。


 そんなことはない。僕も海の近くに住んでいたけど、あんなうるさい人はめったにいないよ。


 そういえば、藤木も浜の人だけど静かだしね。


 藤木君は今日来てないの?


 来てくれれば、あのうるさい佐加をなんとかしてくれるのでは、と久方は思ったのだが、


 今日、お店で町の人の髪切ってるから来ないの。


 ヨギナミが言った。

 ふと久方は、ヨギナミは本当は自分ではなく橋本と話したいのではないかと思った。しかし、橋本は今日、朝から気配がない。呼んでみても、答えない。


 あれ?


 早紀が急に久方に気づいた。


 所長、来てたんですか?早く言ってくださいよ。


 ──さっきから隣にいたじゃないか!!


 と久方は叫びたくなったのだが、実際には、曖昧に笑っただけだった。


 せっかく来たんだから海に入れよ!


 結城が楽しそうに叫んだ。


 遠慮しておくよ。僕は中で何か食べてる。


 久方は大きく、かつ弱々しい声で呼びかけた。そして、ヨギナミに声をかけて海の家に入った。

 2人でコーラを飲んでいると、早紀がやってきて、


 お腹すきました。フランクフルトを買っていいですか?


 と言ったので買ってあげた。早紀は久方の隣に座った。

 近い、近すぎる。

 久方は妙な緊張を覚えた。

 早紀は今、ほぼ裸だ。

 いや、違う、水着だ。

 何を考えているんだ。しっかりしないと。


 結城さんと佐加は?


 ヨギナミが尋ねた。


 砂で遊んでる。


 早紀が食べながら答えた。それから、


 さっきから、めっちゃ胸のでかい女が近くをうろうろしてて、結城さんがその女ばっか見てるんですよ!


 と言った。


 あいつはそういう奴なんだよ。

 今に始まったことじゃないでしょう。


 久方は遠くを見つめながら言った。町が見える。

 ああ、帰りたい。

 でも帰れない。早紀をこの格好でうろつかせたくない。なんとか普通に服を着てもらう方法はないものか。


 サキ君、寒くない?


 久方はダメもとで聞いてみた。


 今日蒸し暑いじゃないですか。

 所長も海に入りましょうよ。


 水着がないからいいよ。


 もしかして、まだ体が小さいの気にしてます?


 久方は黙った。サキはまた海に戻っていった。


 暇だから、ちょっと浜辺を歩きます?


 ヨギナミが言った。久方はそれに乗った。本当は今すぐにでも帰りたいが、ここでパリピを眺めて過ごすよりは、散歩した方がましだと思った。




 所長ってさ〜、何でも遠くから見てるよね〜。


 砂に文字を書きながら佐加が言った。


 ほんとは新橋と一緒にいたいんだろ。

 さっき新橋の水着見た時の久方の顔見た?

 クッソ笑える。


 結城は意地悪く笑った。


 でも結城さんもさ〜、サキとどうすんの?


 佐加が真面目な顔で尋ねた。


 けっこう本気だよ?


 わかってる。


 結城は余裕の笑みで言った。


 こう見えても大人だから、ちゃんと考えてるって。


 言っとくけど、サキを傷つけるようなことしたら、あたしが許さないからね。砂に埋めてやるから。


 佐加はそう言いながら結城に砂をかけた。結城もやり返した。


 何やってるんですか!?


 早紀が戻ってきて、3人で砂をかけあって笑い、体を洗うためにまた海へ戻っていった。





 久方とヨギナミは海水浴場を離れ、港を歩きながら天気や橋本の話をしていた。しかし、久方の頭からは早紀の水着姿が消えず、考えることはただ一つ「どうやってサキ君に普通の服を着てもらうか」だけだった。早紀があの格好で人目につく所にいるなんて、考えただけで落ち着かない。


 お母さんも若い頃は海に行って泳いでたんだって。


 ヨギナミが言った。


 スギママが言ってた。私が知ってるお母さんからは想像もつかないけれど。


 僕も想像できない。


 正確に言うと「想像したくない」が正しい。久方は今日海に来たことを激しく後悔していた。昨日早紀に知らされた時点で逃げておくべきだった。そうすれば、ここまで心をかき乱されずに済んだのに。


 だから、お母さんにも楽しい思い出はあったんだなって、そう思うことにした。


 ヨギナミは穏やかに言った。

『楽しい思い出』

 自分には縁のなさそうな言葉──いや、そんなことを考えてはいけない。最近やっと生きる気力を取り戻しかけた所なのに──久方は必死で他のことを考えようとした。しかし、空色の水着と、結城と一緒に遊んでいる早紀のことしか浮かばない。


 そういえば、元カレは来てないね。


 久方が急に思い出して言った。ヨギナミはその言い方に笑ってから、


 今日は奈良崎の家で動画撮るって。


 と言ってから小声で、


『水着撮るな!』ってサキが騒いでケンカしたから。


 と付け加えた。


 だったらはじめから着なきゃいいじゃないか。


 久方は思わず本音を言った。


 え?何で?かわいいのに。


 ヨギナミは不思議がっていた。


 かわいいからダメなんだ。


 久方は頭を振った。


 そうなんだ。かわいすぎるからダメなんだ。

 服を着せないと。


 あの〜、所長さん、大丈夫?


 戻ろう。結城が変なことしてたら困る。


 久方はくるっと向きを変えて、早足でもと来た道を戻っていった。


 え!?所長さん!ちょっと待って!


 ヨギナミは慌てて追いかけた。


 3人はまだ海で遊んでいた。久方は早紀に近づいていった。しかし、


 所長も海入りましょうよ!


 と笑顔で言われた瞬間、言おうとしていたことを全て忘れた。


 あぁ。


 久方は思った。


 サキ君は気づいてないんだ。

 自分のかわいさと破壊力に。


 止まってしまった久方の手を佐加がつかんで引っ張った。すると久方はよろけて、波の中に転んでしまった。


 アハハハハハハハハ!!


 結城が悪魔のような笑い声を発した。


 所長さん、大丈夫?


 少し離れた所からヨギナミが声をかけた。早紀が久方に近づいてきて手を取って起き上がらせようとしたが、大きな波がやってきて、ヨギナミ以外の全員が海に飲まれてしまった。


 キャハハハハハハハハハ!!


 先に水から顔を出した佐加がけたたましく笑った。そして、早紀の手を取って一緒に砂浜に上がった。久方は結城に引っ張られてなんとか海から脱出したが、もちろん全身ずぶ濡れだった。砂の上に両手をついて激しく咳き込んでいると、背中に暖かい感触がした。


 大丈夫ですか?


 早紀が久方の背中をさすりながら、顔を覗き込んできた。濡れた髪が額に張り付いている。胸元が近くに見える。久方は思わず顔をそらし、よろけながら立ち上がると、ふらついた足取りで海の家に向かって歩いていった。


 おいおい、ほんとに大丈夫か?


 結城があとをついていき、女の子達も追いかけた。人が多くなっていて、中には座る場所がなかった。久方と結城はベンチに座り、女の子達は佐加の家で休むと言って帰っていった。佐加は久方にも来ないかと言ったが、返事をしないので結城が代わりに断った。


 で、お前はさっきから何が不満なの?


 結城が尋ねたが、久方は黙ったまま答えない。


 なんだよ。せっかく新橋が水着なんだから、記念撮影くらいしてもらえばよかっただろ?


 スマホが水没した。


 久方はつぶやいた。本当はそんなことは問題ではなかった。早紀を見た瞬間に何も言えなくなった自分を、あのまま海に沈めてしまいたかった。


 マジか。まあ、そりゃそうだよな。

 ショップ行くぞ。


 結城が立ち上がった。しかし、久方は座ったまま動かない。


 おい、行くぞって。いじけててもスマホは直らないぞ。


 結城が声を荒げた。久方は仕方なく立ち上がった。




 夜。

 新しいスマホに替えた久方は、早紀に何かを伝えようと文章を考えていた。しかし、自分でも何を書きたいのかよくわからなかった。『水着はやめて』いや、そんなことを言うのはおかしい。『結城のどこがいいんだ』いや、そんなことも言えない。『僕のことをもっと考えて』ダメだ。ストーカーじゃあるまいし。

 日付が変わるまで悩んだが、いい文章は何も浮かばなかった。そして、昼間の早紀の水着のことも頭から離れなかった。水に濡れた早紀の姿や、背中を触られた時の手の感触──いや、そんなことを考えてはいけない。

 それに、結城の体をじっと見ていた早紀の強いまなざしも忘れられなかった。早紀はああいう、男らしい大人の男が好きなのだ。自分はそんなふうにはとてもなれそうにない。今日はかっこ悪い所を見られてしまったし──

 久方は悶々と悩んでいた。今日は眠れそうになかった。





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