2017.8.15 火曜日 サキの日記
終戦記念日だ。テレビが戦時中の映像を映してる。前に、ツイッターに死体の写真を流してた奴がいたのを思い出して嫌な気持ちになった。何でも見せればいいというものではない。『戦争の悲惨さ』を強調しようとするあまり、残酷なことを必要以上に広めようとする人が多すぎる。世の中には繊細な人もいるのだから、そういう画像を出す前にもっと考えてほしい。今日はあまりネットを見ないようにする。でも、杉浦塾ではどうしても戦争の話題になる。
戦争を体験した世代には『みんな同じように苦労した』という共通認識があって、それが国民としての一体感となっていたのだろうね。
だからこそ、『戦争を知らない子どもたち』の出現に衝撃を受けたのだろうな。自分達にとって当たり前だった認識が通用しない世代が現れたのだからね。
同じことはインターネットの出現や、東日本大震災にも言える。それが起こる前と起こった後では世界がまるで違ってしまい、人々の認識も時が経つにつれて変わっていく──
杉浦が本当かどうかわからない話を延々とする中、私と勇気とヨギナミと佐加と藤木は、自分のやりたい勉強をしていた。杉浦のことはラジオ、つまり、かけっぱなしのBGMだと思って気にしないことにした。
夏休みもう終わっちゃうからさ〜、
みんなでどっか行かね?
佐加が言い出した。でも杉浦は、9月の試験のことがあるから勉強した方がいいと言い張るし、ヨギナミも「お金ない」と言った。すると佐加は、
じゃ〜、うちの浜で!
と、勝手に決めた。明日第1グループと私で佐加の家に行くことになった。修平とあかねも誘ったけど、あかねは「札幌に行く予定だから」、修平は「図書室に用事あるから」と断ってきた。
カッパってやっぱ伊藤ちゃん狙ってるよね〜。
と佐加が言った後、急に、
そうだ!所長と結城さんも呼ばね?
と言い出した。所長は佐加を嫌ってるから絶対断るだろうと思っていたが、
結城さん来るって!
佐加が叫んだのでびっくりした。いつの間に連絡先交換してたんだろう?
『久方も強制連行する』だって!
所長かわいそ〜!
佐加が私にLINEの画面を見せながら言った。めっちゃ楽しそうに。私は所長に「逃げた方がいいですよ」と連絡しておいた。でも、
佐加は苦手だけど、
海は好きだから行ってみるよ。
と返事が来たのでびっくりした。
所長、もしかして私と一緒にいたいのかな。嫌いな佐加の家に行くくらい私のことが好きなのかな。私はその気持ちには答えられないのに。
その後、杉浦が北海道の漁港についてウザい説明をするのを聞き流しながら、私は歴史の教科書を見ていた。
何か決定的な出来事があると、人生が変わってしまう。
昔の人にとってはそれが戦争だった。あるいは震災だった。でも、時間が経つとそのことを知らない世代が出てきて、人生観が噛み合わなくなる。体験したことのない人には、前の世代のことはわからない。
戦争を体験した世代の本を読むと、戦争の終結と同時に『価値観が180度変わった』ので『もう世の中は信用しないで自分で考えなければいけないと思った』という人が多い。国も制度もどう変わるかわからないということを実際に体験しているからだ。でもその後の世代は『変わらない平和』の中で生きている。
世の中は『変わらない』
政治家は『だれがなっても同じ』
自分が何をしても『変わらない』
──そんな時代が長すぎた。そして、その後にインターネットという恐るべき変化が来て、今、いろんなことが変わっているのに、戦後世代の人は『ついてこれない』。スマホの使い方から多様性まで、ありとあらゆることにとまどっている。昔の差別的な価値観を捨てられないまま。それは、変化のない時代があまりにも長すぎたからかもしれない。
そんなことをぼーっと考えていたら、また杉浦に「手が止まっているけど大丈夫かね?」とウザく言われたので、考えてたことを話したら「確かにそういった面もあるかもしれないな」。
サキ、やっぱり首相になりたいの?
なんか考え方が政治家っぽくね?
と佐加に言われた。そんなことはない。これくらいのことは、普通程度の知能があれば誰だって考えられるはずだ。
『変化についていくこと』は今や必須のスキルになっている。天皇万歳の世界がアメリカの占領による民主主義に移行した時と同じくらいの急激な変化が、もしかしたら今起きているのかもしれない。
今日結城さんに会えなかったけど、明日会える。
海と結城さん。
何か、海の家で遊んでるサーファーみたいなイメージが浮かぶ。
楽しみだけど、所長が心配だ。大丈夫かな?
それより水着!一応買っといたのあるけど地味だ。
もっといいやつにしておけばよかった。
どうしよう、太ってるのがバレる。
ダイエットしておけばよかったかな。
でも、平岸家では無理だ。
平岸ママが毎日のようにおいしいスイーツを作ってるんだから!




