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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2017年8月

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2017.8.12 1980年8月12日

 新道が橋本の死を知ったのは、12日の朝だった。

 寝ぼけまなこで英語の勉強をしていた時、アパートの大家が「電話が来てるぞ」と言いに来た。かけてきたのは菅谷の母親、市子だった。

 新道は部屋を飛び出し、橋本古書店に走った。まだ朝早かったが、店主は起きていた。夜通し、息子の遺体に付き添っていたからだ。

 店主は新道を中に入れた。橋本は、居間の真ん中に、顔に布をかけられた状態で横たわっていた。

 新道は呆然と、そのかたわらに座り込んだ。


 一度、止めたのに。


 新道は、橋本に初めて会った日を思い出していた。あの日も、橋本は窓から飛び降りようとしていた。


 俺がいれば、止められたのに。


 新道は、昨日橋本に会わなかったことを深く後悔した。昨日は菅谷と勉強して疲れていて、帰ってすぐ寝てしまったのだ。

 帰りにあのビルに寄っていれば──

「はしもとぉ」

 新道はつぶやきながら泣き出した。

「なんで死ぬんだよォ」

 かたわらでは店主が黙って座り、もはや何も言わない息子と、その友達をじっと見つめていた。

 しばらく経ってから、店主は、おもむろに立ち上がると、何かを持って戻ってきた。

「新道よォ」

 店主が言った。

「こいつの代わりに、大学に行ってくれや」

 新道は泣き腫らした目で振り返った。店主は、銀行の通帳を差し出した。そこには、大学4年分の費用が十分賄えるほどの金額が印字されていた。

「こいつは口では『大学なんか行きたくねえ』と言っていたが、頭はいいからな。いつか『行きたい』と言い出した時のために貯めておいたんだよ。だが、もう死んでしまった。お前が代わりに、この金で大学に行ってくれ」

「駄目です」

 新道は通帳を押し返した。

「そんなことできません」

「いや、ぜひ行ってくれ」

 店主は再び通帳を新道に押し付け、印鑑も渡そうとした。

「こいつはな、よく言ってたんだよ。『新道は大学に行った方がいい。大学に行って学校の先生になれば、誰もあいつを馬鹿呼ばわりできなくなる』確かにそう言ってたんだ。だから行ってくれ」



 新道は、夕方までずっと、橋本の隣に座っていた。

 自分が殺したも同然だと思っていた。

 止められなかったのだから。

 午後には、葬儀の準備のために近所の人がやってきた。店主の友人達は、橋本のこともそれなりにかわいがっていたので、若すぎる死に衝撃を受けていた。

「店で会った時は無愛想でなあ」

「でも本には詳しくてなあ、若いのに古典をよく知ってて──」

 と、まるではるか昔にいなくなった人のように橋本の話をした。

 そのうち菅谷と菜穂がやってきた。菜穂はこの時点で泣きじゃくっていて、新道を見るやいなや飛びつき、胸の中でわんわん泣き始めた。

「あのビルは取り壊されることになった」

 菅谷が青白い顔で言った。

「終わったんだ。秘密基地で遊ぶような子供時代は。

 俺達はもう子供じゃないんだ。

 橋本がすべてを終わらせてしまったんだ」









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