2015.11.15 札幌市内
いや、あいつ絶対怒りっぽいんだって。すぐ嫉妬するし、すぐすねるんだって。自分で気づいてないんだって。怒るのは悪いことだと思いこんでるからさあ。
結城は札幌の自宅マンションで、久しぶりに帰札した友人と電話で話していた。あいにく日程が合わないので会うことはできないが、気心の知れた旧友と話すのはいつだって楽しい。
潔く怒ればいいのにさあ、抑えるから具合悪くなって夕飯食えなくなって俺が太るんだって。おかげでもう美少年は見る影もねえし。お前はいいよね変わらなくて。元々オヤジくさかったもんね。
嘲るように笑いながら勢いよくしゃべっていた結城が、急に真顔になった。
ピアノ?
やめたよ、とっくの昔に。
我ながら大ボラだと結城は思った。今だってピアノを弾きたくてうずうずしているのに。でも、知り合いにはピアノをやめたと思い込ませておきたい。下手に指摘されると心の均衡を保てない。まわりの人間、特に、芸術に関わりのない人間は、そこの微妙さがわからないから平気で突いてくる。なんでやめたの?なんでやめないの?年は関係ないじゃん。今いくつだと思ってんの?もう諦めたの?まだ続けてんの?
そんな質問に答えられるほど、立場も気持ちも安定していない。気の強い助手は、実はこういうバランスが上手く取れない人間だった。趣味で割りきれない。仕事ではない。遊びではないが、真剣でもない。人に聞かせる気はないが、自分が納得するまで練習をやめられない。
何を言われても余計なお世話だからなあ。
電話を切ってから、結城は部屋の空間(ピアノを秋倉に送ったために空いている場所)を見ながらつぶやいた。
指が勝手に動いてテーブルを叩き出した。禁断症状。そろそろ戻ったほうが良さそうだ。
せっかく息抜きに来ても結局これか。
結城はマンションを出た。エレベーターから出て玄関を通り抜け、見慣れた街の景色を見る。
もうここは、自分の居場所ではないのかもしれない。
急に、そう感じた。
なぜまだ、こんな忌まわしい場所にこだわっているのだろう。
馬鹿げてるな。
『助手』は口に出してつぶやいた。通行人がちらりとこちらを見て歩く速度を早めた。不審人物だと思ったのだろう。自分を見た人間はたいがいそう思い込む。結城は慣れている。相手の価値観の問題だ。俺は関係ない。
奈々子は馬鹿だった。
とほうもなく愚かだった。
まさか自分が、同じところに堕ちるとは。
結城は自嘲ぎみに笑いながら車に乗りこみ、エンジンをかけた。




