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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2017年8月

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2017.8.10 木曜日 サキの日記

 私は明日18歳になる。そこで考えた。文章を書く人間として、言葉遣いに気をつけよう。そして、もう自分の親のことをバカだの妙子だのと言うのはやめよう、と。

 しかし、思わぬ所から反対された。


 もうバカって呼ぶのやめようと思うんだけど。


 父と母が(なんか自分で書いてて変な感じ)来た時に私がそう言ったら、笑っていた父が真顔になり、


 なんだ!?どうした!?

 毒キノコでも食ったのか!?


 と慌て始めた。

 私はただ、大人に近づいたから言葉遣いをきちんとしたいと思っただけだ。しかし何を思ったのか、バ──父は「バカピョーン!」「ピョーン!」と何度も言いながら飛び跳ねて私を徴発しようとした。そして、私が反応しないことがわかると、平岸家の玄関に座り込んでいじけてしまった。

「何やってんだい」と平岸パパが呆れていた。


 サキちゃん。なんだかかわいそうだから、

 まだしばらくはバカって呼んであげたら?

 きっと親離れが始まったと思って落ち込んじゃったのよ。


 と母は言った。何を大げさな。自分がまず子離れしろと言いたい。

 父と母は2人揃ってやってきた。母はにこやかに他人行儀な笑みを浮かべていて、父はしばらくむっつりしていたが、平岸パパとしゃべっているうちに調子出てきたのか、また嘘かほんとかわからない話をでかい声でし始めた。それにはもちろん「あの女優は俺に気がある」とか「あの若手女芸人は俺に色目を使ってきて」みたいな、明らかなる勘違い嘘話も含まれていた。


 サキちゃん。


 妙──いや、母が私の方に向き直って言った。


 秋頃に、親子でテレビに出ないかって話があるのだけど、どう?


 母の話だと、有名なトーク番組が親子企画をやるらしく、それに呼ばれているそうだ。

 私は目立ちたくないし、芸能人2世みたいな言われ方するのが嫌だから断った。しかし母は、


 私と親子って人に言うの、そんなに嫌?


 と悲しそうな顔をした。ずるい。そんな表情されたら断りづらいじゃないか。


 ちょっと考えさせて。


 と私は逃げた。実際、父と母のことは平岸家の人にまかせて、私は外に逃げ、そのまま研究所に向かった。

 母は、私の誕生日、

 やっぱり橋本を思い出すんだろうか。

 それもちょっと引っかかっていた。娘の誕生日を一緒に祝おうと去年から努力してくれてるのはわかる。忙しいスケジュールで3日も休みを取って北海道の田舎町まで来るのは、あの2人にとっては簡単なことではない。

 だからこそ私は思ってしまう。

 無理をしているんじゃないだろうかと。

 本当は祝いたくないのに、母にとってはいとこが目の前で死んだ忌まわしい日なのに、無理に明るく振る舞っているのではないかと。

 研究所は静かだった。ピアノの音も聞こえない。1階にも2階にも誰もいなかった。畑に行ってみると、所長が道のすみっこに座ってぼんやりしていた。


 そんなとこずっと座ってて熱中症になりませんか?


 と声をかけたら振り返って、


 結城なら、保坂くんと一緒に出かけたよ。

 何かのコンサートがあるんだって。


 と言った。

 一緒にコンサート?保坂め。なんでそんなにかわいがられてるんだ。

 ちょっと悔しかった。私も行きたかったのに。

 私は所長の隣に座った。


 父と母が来てるんです。


 ああ、そういえば明日誕生日だったね。おめでとう。


 所長は私の誕生日を覚えていた。私は所長の誕生日を忘れてたのに。


 でも、お母さんは橋本のことでトラウマみたいなのがあるじゃないですか。無理して来てるんじゃないかって思うんですよね。


 いいんだよ。本人がそうしたくて来てるんだから。

 サキ君は気を遣わなくていいんだよ。

 自分の誕生日なんだから。


 それから所長は、


 本当は、何があったんだろうなあ。

 

 とつぶやいた。橋本が死んだ日の話だ。


 母もそれが知りたいんだと思います。


 わかったらすぐに知らせるよ。

 暑いね。戻って麦茶でも飲もう。


 私達は建物に戻り、キッチンへ行った。

 そこには、冷蔵庫を開けて、勝手にアイスを食べているバ──父の姿があった。私はさっき決心したことを忘れて木べらを手に取り、「バカ!このバカ!アイスドロボー!」と叫びながら奴を百叩きの刑に処した。しかし、バカ呼ばわりされたい変態はかえって喜んでしまい、「もっと!もっと言って!もっと!」とか言い出してキモすぎたので、フライパンで殴ろうとした所を所長に止められた。

 くそっ!奴の徴発に乗ってバカを連発してしまった。

 今度こそ誓う。もう奴をバカとは呼ばない。

 スマコンが『お父様』って言ってたのを思い出したので、しばらくお仕置きに『お父様』と呼んでやることにした。夕食の時ずっと「そうですねえ、お父様」とか言い続けてたら、


 やだ!なんかヤダ!心が凍っててヤダ!


 とバ──父が叫びだしてまた「バカピョーン!」とかやり出した。あまりの精神年齢の低さにみんなが呆れ、あかねには「お父さんに何か恨みでもあるの?」と言われた。今日の私はみんなには冷たく映ったらしい。なぜだ。丁寧に呼んでるのに。いつもなら「父親をバカ呼ばわりしちゃいけません」とか言ってくるくせに。

 言葉ってわからないものだ。

 父は私の『バカ』という言葉に愛情を感じていたらしい。こっちはかなりの割合でバカにして言ってたのに。

 いや、もちろん愛称的な意味もあったけど(←言い訳)




 夕食後、母がアパートの部屋にやってきて、「一日早いけど」と言いながら、アマゾンのギフト券を五万円分くれた。


 サキちゃんは貴金属より本が欲しいんでしょ?


 と、そうですね、確かにね。


 私の誕生日、つらくない?


 と私は聞いてみた。すると、


 旭ちゃんのことなら、カウンセラーと話し合って、だいぶ整理がついたわ。


 と母は言った。穏やかな表情で。


 旭ちゃんは何か悩みを抱えていた。そしてあんな死に方をした。私はたまたまそれを見てしまった。37年前の明日に。でもそれは私の問題じゃないって気づいたわ。

 旭ちゃんの問題に、うっかり巻き込まれただけ。

 私は何も悪いことはしていないし、あの出来事に人生を左右される必要はない。

 最近になって、やっとそれがわかってきたのよ。

 でも、サキちゃんにつらい思いをさせてしまったのね。

 何年も誕生日を避けてきたわ。思い出すのがつらいから。


 いいよ、もう。

 今こうやって祝いに来てくれてるじゃん。

 平岸家に行ってワインでも飲みなよ。平岸パパが余市のいいやつを廊下の棚に隠してるから。


 私がそう言うと、母はにっこり笑って部屋を出ていった。ワイン好きだもんな。

 今日の母は、とても平和で幸せそうに見える。

 私はそれが演技ではないことを祈った。母は何もできない人だけど、演技だけは完璧にできる。あの笑いの下に悲しみや苦しみが隠れていないか、私は心配になる。本人が大丈夫だと言っていても。

 私まだ、母を信用しきれていないのかな。








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