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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2017年8月

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2017.8.8 火曜日 研究所

 久方が畑でぼんやりしていると、道の向こうから本堂まりえが歩いてくるのが見えた。まりえは試しに作ったというチョコレートを持ってきていた。町役場から依頼されたそうだ。

 久方はまりえと一緒に建物に戻った。結城が弾くベートーベンの暗い音が響いてくる。


 人が来た時に限ってこんな曲を。


 久方は天井を見ながら顔をしかめた。


 別に構いませんよ。練習中なんでしょう?


 練習というよりは嫌がらせですよ。

 朝の6時からこれなんだから。


 2人はコーヒーを飲み、チョコレートを食べて、味や食感についていろいろと意見を交換した。それから、


 町の噂で聞いたんですけど、

 久方さんと仲のいい人が亡くなったそうですね。


 とまりえが言った。


 仲が良かったのは僕じゃないんです。


 久方は橋本のことを話そうかと思ったが、やめておいた。

 

 ここに時々遊びに来ている子のお母さんなんです。 

 前から体が弱くて寝込んでいたんです。


 そうだったんですか。

 その子いくつですか?


 高校3年。


 早いですね。大変だろうなあ。


 まりえの言い方はどこか他人事のようだった。それから2人は他愛もない天気やニュースの話をした。何も起きなかったかのように。いつもどおりに。


 所長〜!


 早紀がやってきた。まりえがいるのを見て、


 あれ?デート中でしたか?


 と言った。久方は「違うよ」と答え、まりえはチョコレートの残りを早紀に勧めて感想を求めた。早紀は「ちょっと酸っぱいですね」と言い、まりえはそれをスマホに記録していた。


 まりえさん、所長のこと好きですか?


 早紀がいきなり尋ねた。久方はコーヒーを吹きそうになった。


 アハハ!違う、そういうのじゃない。

 かわいい人だとは思うけど。


 まりえは屈託なく言った。すると、


 ダメです!所長にかわいいって言っちゃダメです!

 気にしてるから傷つくんですよ!


 と早紀が言ったので、久方が驚いた。

 そんな風に思っていたのか。


 え〜?でも、今はかわいさが大事な時代ですよ?

 男の人で大人になってもかわいさを保ってる人って、

 貴重だと思うけどなあ。


 まりえが言った。


 私もそう思います。


 早紀が真顔で言った。


 でも、恋愛対象にはならないんでしょ?


 久方は言った。すると、まりえと早紀は2人して「どこかに似合う人がいますよ」とか「こういう人が好みの女の子もいますよ」と口々に言い始めた。しかし、2人が何を言おうと、久方の耳には「私の好みじゃないけどね」と言っているようにしか聞こえなかった。

 まりえはともかく、早紀は自分の気持ちを知っているはずなのに、なぜこんなことをわざわざ言うのだろう?

 久方は密かに傷ついていたが、表面上は明るくやり過ごし、まりえが帰り、早紀が自分で持ってきたおにぎりを食べて結城の所へ行ったのを確認してから、自分を慰めるためにまた畑に出た。

 今日は朝からずっと曇っている。気温は高いが、日光が遮られている分過ごしやすい。久方は灰色の雲の陰影と、かすかな光の変化を観察した。晴れた日のようなきらめきはないが、こういう日の方が自然の動きを感じることができる。雲が変わり、光が変わる。地中で、木の葉の陰で、何かがうごめく。風が、空気が、全てを急き立てているように思える。落ち着きなく、しかし、大地にしっかりと根付いたやり方で。

 久方はふと、新道先生の風を思い出した。


 母さんは大地で、あの人は風。

 どういう関係なんだろう?


 橋本の話からは、この2人が特に強くつながっていたとは思えないのだが。


 そういえば、しばらくあの森に行ってないな。


 久方はモノクロの森のことを思い出した。しかし、今行こうという気にはならなかった。神戸に帰って()()()両親と居場所を確かめた。それで、自ら破滅に向かうようなことをする気はなくなっていた。


 僕は生きていたい。


 久方は風に吹かれながら思った。


 だけど、あの人とも、

 いつか対決しなきゃならないだろうな。


 雲は静かにうごめき、草は風に揺れていた。いつもの平和な草原の景色。あまりにも平穏で音がなく──嵐の前の静けさのようだ。








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