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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2017年8月

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2017.8.3 木曜日 高谷修平 与儀あさみの葬式

 ひつぎの中の与儀あさみは、真っ白い顔で、穏やかな表情をしていた。まるで眠っているだけのようだ。でも、そうではない。

 この人はもう、この世にいない。

 修平はその顔を見下ろして、沈んだ表情をしていた。

「ヨギママ、きれいだよね」

 佐加が涙声で言った。

「うん」

 ヨギナミが小さな声を出した。

「もう苦しまなくていいんだよ」

 佐加が言いながらハンカチで目もとを押さえた。

「ヨギママの悪口言う奴がいたら、あたしが殴ってやるから」

 斎場にはクラス全員とその親(ただし、保坂の親を除く)が来ていた。もちろん河合先生も。町の人も来ていたが、数は少なかった。誰もがあさみの亡骸を見て『きれいだ』とか『穏やかな表情をしている』と言った。

 でも。

 修平は思っていた。

 苦しんだ末に待っているのが、これなのか?

 花に埋もれて眠ったように目を閉じているあさみを見ながら、修平は重くなっていく心を感じていた。ただでさえ、今日は体調がよくなかった。

「いいですか」

 立派な服を着た偉そうなお坊さんが、若い人達をひととおり見回してから言った。

「お母さんは、あなた達に、人はいつか死ぬということを教えてくれているのです。身をもって『死』というものを示しているのです。人生は限られたものであり、一日一日を大切にしなければいけないよ、一瞬一瞬が貴重なんだよと。君たちにはそれを受け止めて生きていってもらいたいと」

 それからお経が始まった。お香が回ってきて、やり方を知らない若い人達の間に緊張が走った。平岸パパがやり方を説明して実践し、みんな、恐る恐るその真似をした。

 灰。

 焼香の匂い。

「修平」

 隣に座っていた百合が声をかけてきた。

「顔色悪いよ、大丈夫?」

「大丈夫」

 何も大丈夫じゃないと思いながら、修平はそう答えた。

 式がひととおり終わり、遺体と最後のお別れの時が来た。平岸ママとスギママ、佐加とヨギナミがひつぎに駆け寄って最後のお別れを言った。それから、遺体を焼く場所へひつぎが運ばれていくのを、みんなでゾロゾロついていって見送った。

「やっぱり所長に知らせた方がよかったんじゃないですか?」

 早紀が誰かに電話していた。

「帰ってきたら死んでもう灰になってましたなんて、どう伝えればいいんですか?」

 話している相手はおそらく結城だろう。

 待ち時間、みな言葉少なだった。スギママが自分の同級生達と昔話をしている声以外、ほとんど何も聞こえなかった。若い人達はスマホを見ているか、だるそうに座ってぼんやりしているかのどちらかだった。誰も、保坂典人の話も、不倫の話もしなかった。そんな話はもう、遠い過去のものだった。

 修平は一人落ち着かずに斎場の廊下をうろうろしていた。別な部屋では別な人の式が行われていて、そちらはかなり高齢の女性のようだった。『天寿を全うされて』『大往生でしたね』と大人が話しているのが聞こえた。

 修平はロビーまで歩いて行って、椅子に座り、頭を抱えた。

 帰って寝込みたい。

 でもだめだ。最期まで見届けてやらないと。

 自分だっていつかこうなるんだ。

 

 そうだ、そのうち自分の番が来る。


 修平を数日前から悩ませているのはこの考えだった。自分も体が弱い。いつかみんなより早く死ぬ時が来る。その時、まわりの人はどう思うだろう?

 ひつぎを見て悲しんでいる人達を見ていたら、その時のことが怖くなってきた。しかし、自分ではどうにもできない。

 誰も悲しまない『死』など、この世にない。

『修平君』

 見かねた新道先生が出てきた。

『部屋に戻って、横になった方がいい。畳のスペースがあったでしょう』

「ちょっと黙っててくれない?」

『今の君は考え過ぎです』

「今考えないでいつ考えるんだよ!?」

 思わず大声が出てしまい、ロビー近くにいた大人達がこちらを見た。修平は気まずく立ち上がり、元の場所に戻って、平岸パパに『横になりたい』と言った。平岸パパは、あぐらをかいていたおじさん達に声をかけ、畳の場所を空けた。

 修平が寝ていると、百合がペットボトルの水を買ってきてくれた。スマコンが父親と、どうでもいい今日の株価の話をしているのが聞こえてきた。平岸パパと他のおじさんがその話に参加し、経済の話で盛り上がっていた。こんな時に何を話しているんだと修平は呆れた。

「みんな不安で落ち着かないのよ」

 あかねが近づいてきて言った。

「だから、しょうもない話で気を紛らわせてるの」

「あかね、妙に冷静だね」

「慣れてるから。あのね、小さい町に住んでると、おじいちゃんおばあちゃんがしょっちゅう死ぬから、葬式になれちゃうのよ。だから、佐加も、他の子達も、あんたほど慣れてないわけじゃない。都会から来たサキと高条はずっと落ち着きがない。人の死に慣れてない。でもあんた病院にいたんでしょ?人がしょっちゅう死ぬ所じゃないの?」

「なんて言い方だよ」

 修平は起き上がった。

「確かに、死ぬ人は多いよ。でも、それとこれとは話が違う」

「どう違うの?その人達だって家族がいて、みんなこういうお葬式をしたはずでしょ?」

「あかね!ちょっとこっち来なさい!!」

 平岸ママが入口付近で声を荒らげていた。

「あたしが言いたいのは、あんたは慣れてないだけで、こんなの大したことないってことよ。日常にすぎない」

 あかねはそう言いながら母親の所に行った。高条が動画を撮っているのが見えたので、修平は止めに行った。それから、ぼんやりしている奈良崎に、

「ここの人って、お葬式に慣れてんの?」

 と聞くと、

「3ヶ月に一回は出るね」

 と普通に答えられた。

 死が日常なのは、病院だけだと思っていた。修平は、同じ病院にいた子供達を思い出した。生まれつき病気があって、病院の外に出られないまま亡くなっていく子供達。死は、すぐ隣りにあった。でも、病院の外は、普通の世界は、違うと思っていた。死とは遠い世界だと思っていた。

 でも、そうではなかった。

『死』は、日常の、すぐ隣にあるものだった。

 斎場の係員がやってきて『終わった』と告げた。人々はまたぞろぞろと、別な部屋に移動した。

 

 そこには、与儀あさみの骨があった。


 平岸ママとスギママ、それにヨギナミが、骨を拾って骨壷に入れ始めた。大人達はその様子を見守っていた。しかし、若い人達は──葬式に慣れているはずの町の子すら──『よく知っていた人が骨になっている』ことにはわずかならぬ衝撃を受けていた。


 いつか、自分もこうなるんだ。


 修平の頭からは、その考えが消えなかった。



 そのうち全てが終わり、骨壷はきれいな白い箱に納められ、もと住んでいた家へと運ばれていった。大人達は別な場所で飲み食いすることになっていて、それぞれが車で移動していった。ヨギナミは箱を抱き抱え、平岸パパの車に乗った。早紀とあかねと修平がその後ろに乗った。車内では、誰も、一言も発さなかった。

 家の近くの道に入った時、

「ここで降ろしてください」

 ヨギナミが言った。

「え?でももっと近くまで行けるよ──」

「いえ、ここでいいんです。降ろしてください。()()2人きりにしてください」

 口調が強かったので、平岸パパは車を止めた。

 ヨギナミは車から降り、箱を抱えたまま自宅への道を歩き出した。

 草原に風が吹き、草木がざあっと音を立てる。傾きかけた日の光があたりを照らしている。その中を、ヨギナミは一人で歩いていく──

 平岸家の人達は、その様子をじっと見守っていた。後ろから来ていたスギママが心配して車を降りて追いかけようとしたが、平岸ママが止めた。杉浦も『今は一人にしてあげた方がいい』と言って、母親を車に連れ戻した。

 夜になったら迎えに行こう、と平岸夫妻は話し合った。あかねが、

「一週間くらい放っといた方がいいんじゃない?」

 と言ったが、無視された。早紀はひたすらスマホに何か打ち込んでいた。きっとまた結城とやりとりをしているのだろうと思ったら『佐加がヨギナミの誕生パーティー別な日にやろうって言ってる』と言った。どうでもいいだろと修平は思った。

 しかしヨギナミはなぜあんなに冷静なのだろう?母親の葬式なのに涙一つ見せず顔色も変えなかった。逆に心配になってくる。ただでさえヨギナミは人に気を遣って感情を表に出さない子なのに。

「久方さん、いつ帰ってくる?」

 修平は早紀に尋ねた。

「金曜」

 と早紀は答え、

「ヨギナミのことは、帰ってから結城さんが伝えるって」

 と言った。

「橋本をヨギナミと話させた方がいいよ」

 修平は言った。

「親父だと思ってんでしょ?ヨギナミ、俺達の前では絶対気を遣って無理してるよ。橋本になら本音を言うかも」

「そんなのあんたに言われなくてもわかってるって!」

 早紀が神経質な声で言った。これ以上話をしない方がいいなと修平は思った。

 


 帰って、自分の部屋に戻ってからも、修平の頭の中では今日見聞きしたことが渦を巻いて回り続けていた。亡骸の白い穏やかな顔、その数時間後には骨になっていたこと。あかねが言った『日常にすぎない』という言葉。白い箱を抱えて草原を歩くヨギナミの姿──


 俺もいつか、ああなるんだ。


 修平はきつく目を閉じた。


 そして、まわりの人を悲しませるんだ。


 眠りたかった。でも眠れそうになかった。ベッドで寝転がりながら考え込んでいると、あかねが来て、乱暴にドアをノックした。

「今日うおいちで出前取るってママが言ってる。あのママが料理しないなんてよっぽど疲れたのね。あんた何食べる?」

 チラシを突きつけてきた。

「食欲ないからいらない」

 修平はドアを閉めた。廊下から『後で『やっぱりほしい』って言っても出てこないわよ!』という叫び声がしたが、無視した。

 今日はもう、誰の話も聞きたくなかった。






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