2017.7.29 土曜日 サキの日記
朝、研究所の客室で目覚めた時「ここ、どこ?」って思った。隣にあかねが寝てるのを見て思い出した。泊まりに来てたんだっけ。佐加とヨギナミも来る予定だったけど、ヨギナミのお母さんが危篤状態になり、ヨギナミは病院につきっきりで、佐加は、今日の午後にこっちに来る予定。
所長にヨギナミのこと知らせた方がいいかなと思ったけど、ヨギナミが「せっかくいい親の所に行ってるのに知らせちゃダメ。帰ってきちゃうかも」と言ったので知らせてない。所長はともかく、橋本は知ったら絶対病院に行こうとするだろうし、やっぱり知らせないでおこうと思う。
そういうことがあったので、せっかくの研究所お泊まりもあまり楽しくない。でも、所長は面白い調理器具をやたらに持っていて、それを使って遊ぶのは楽しかった。
あかねが意外と料理できることもわかったし(「ママに無理やり教えられた」と言っていた)。今日も朝ごはんにアボカドサーモントーストを作ってくれた。ハゲだの邪魔だの言いながらも、平岸パパ(1階のソファーで寝てた)にも作ってあげていた。
改めて見ると1階の部屋は広々としていて、窓を開けるといい風と日差しが入ってきてとても明るくてさわやか。所長は毎日こんないい所で朝食食べてたんだなと羨ましくなる。
妄想禁止令を出したのが効いたのか、今の所あかねはBL妄想を発していない。結城さんや所長のベッドを探ってニヤニヤしてたから、頭の中は妄想だらけなのかもしれないけど、今の所口には出していない。
午前中畑の水やりをした。きれいに晴れていて風も心地よい。夏って感じだ。日差しが強い。
お昼食べてる時に佐加が来た。今日はあかねと入れ替わりでここに泊まる。午前中はヨギナミの様子を見に病院へ行っていたらしい。
本当にもうだめなのかな。
と元気なさそうにしてたけど、すぐ「うちが落ち込んでてもしょうがないから」と、研究所の中を探り始めた。勝手に所長の部屋に入って「へ〜こんな本読むんだ〜!真面目〜!」とか言ってたと思ったら、
クモ!クモ!クモがいる!
と叫び出し、あかねとキャーキャー叫んだ。見なきゃよかったと思うくらい、大きくて真っ黒なクモが、本棚の奥から出てきた。私達は1階に逃げて平岸パパに助けを求めた。平岸パパは「俺もクモは嫌いなんだけどなァ」と言いながら2階へ行き、少し経ってから戻ってきて「ティッシュで潰してゴミ箱に入れたよ」と言った。あかねが、なんで外に捨てないんだ、まだ生きてて出てきたらどうするんだと怒っていた。
平岸親子はその後帰っていった。あかねはまた「インスピレーションがわいたわ」と言っていたから、これからヤバいマンガを描くんだろう。
所長にクモの話したら、
それは僕の友達かもしれない。
生かしておいてほしかったな。
結城を脅すのに使えたのに。
とか言ってきたので、「クモと仲良くするのはやめてください」と言っといた。
今日宝塚に行ったからお土産を買ったよ。
何もかもきれいなんだ。舞台だけじゃなく劇場そのものも、まわりの街の景色も美しいんだよ。
花が植えられていてね──
宝塚という街に感動したような長文が送られてきた。なんかおもしろかったので佐加に見せたら、
所長、ヨギママのこと知らないんだよね?
教えてあげた方がよくね?
と言った。私もそう思ってたけど、せっかく所長が楽しそうにしてるのに、ぶち壊すのもどうかなと思って、今の所まだ伝えられてない。
今日の佐加はいつもより静かだった。いつも所長が座ってるカウンターのあたりで外を見ながらぼうっとしていて、私はそれを気にしながら、DVDの棚からマリリン・モンローの『紳士は金髪がお好き』を取り出して見ていた。もはや伝説となっている、ピンクのドレスを着て男達と歌う場面になったら、やっと佐加が近づいてきて「このシーン、世界中で真似している人いるよね」と言ってきたので「実は私もやってみたい」と言ったら「マジで!?じゃやろうよ!ウチがドレス作ったげる!」と変なことで盛り上がり、うちのクラスの男子を使ってどう再現するか「頭叩かれる役はカッパね」「支えるのは辰巳がいいよ、力あるもん」とか話し合って楽しんだ。あと、マリリンもいいけど、筋肉ムキムキの水泳選手の集団と一緒に歌って踊るジェーン・ラッセルもすごいよと言って船のシーンまで戻してあげたら、佐加がめっちゃテレビに近づいて水着男の集団をじーっと見てた。しかも何度も巻き戻しして繰り返しガン見していた。やらしい。
夕食の時間、冷蔵庫をあさってたら所長の作り置きグラタンを見つけて、焼いて食べた。他にもタッパーに入ったサラダとチキンが見つかった。
所長絶対サキのためにいろいろ用意したんだと思うよ。
佐加が言った。
フルーツもアイスもいっぱいあるじゃん。絶対自分のじゃないよこれ。サキがここに泊まるのわかってて用意したんだって。
佐加はそう言いながらスイカを切って、半分冷蔵庫に入れ、半分は私と2人で食べた。私は所長の自分への気持ちを思って複雑な気持ちになった。勇気の時もそうだった。相手は私のことが好きでいろいろやってくれるのに、私の方には同じ熱がない。
熱といえば、結城さんだ。
思い出したので、明日、結城さんを探しに札幌行くことにした。佐加に言うと、
結城さん探すのはやめた方がいいと思うけど、
札幌行きたいからうちもついてく。
と。パルコと4プラをひととおり見て回りたいそうだ。
夜は、ポット君のスイッチを入れて(本当は、何を起こすかわからないからやめといてって言われてたんだけど)佐加とオセロで勝負させて遊んだ。結果は、3回戦って、2対1で佐加が勝った。ポット君は悲しそうな楕円の目を表示して、自分で充電場所に帰ってしまった。ロボットでも負けるといじけるらしい。
それから2人でお菓子食べながらソファーでダラダラとテレビを見て(受験生なのにここ数日まるで勉強していないことに気づいたけど今日は忘れることにした)、11時くらいに客室に行った。
カーテンも枕カバーも、全部かわいくて新しいじゃん。
佐加がベッドに飛び込みながら言った。
やっぱ所長、全部サキのために用意したんだよ。
自分はいないのにさ〜。
愛だよ愛!
それから、
サキ、どうなの?ほんとに所長のこと好きじゃない?
と聞かれた。答えたくなかったので黙ってベッドに入って布団にもぐった。
嫌ならいいけどさ、もったいないと思うよ。
嫌ではない。
そう?やっぱ歳の差とか?
それは気にしてない。私が好きなのは結城さん。
そうかなあ。
その話やめよう。
それから、佐加はヨギナミの母親について話し出した。昔、佐加が地元の子とそりが合わなくて秋倉中に転校した時、初めてできた友達がヨギナミで、
そん時うち自分の親と仲悪くてさ〜、家でずっとケンカしてたから、ヨギナミん家に入り浸ってたんだよね。
ヨギママは私の話ずっと聞いてくれてさ〜、
なんか、はみ出し者同士、何か合うんだよね。話というか、醸し出す雰囲気っていうの?言葉でなんていうかよくわかんないけどさ。
だからうちにとっては、ヨギママは第二の母みたいなものでさ、
佐加の声がくぐもってきた。
なのに、もう一週間もつかどうかなんだって。
ひどくない?早すぎる。
佐加は泣いていた。私は何と言っていいかわからなくて、肩をポンポン叩いたり、背中をさすったりすることしかできなかった。
一時間くらいして佐加が眠った後、私は目がさえてしまって、ノートを持って1階に戻った。外は暗くて静かだ。静かすぎてけっこう怖い。動物が出たら困るなと思ったりした。CDの棚から、結城さんが好きだと言っていたフジコ・ヘミングを出して、リストをかけた。
今、このノートに向かって考えてる。
友達のお母さんがもうすぐ死ぬかもしれない。
うちの親はどうだろう?もしいなくなったら?今でもほとんど会っていないけど、でも、それと、完全にこの世からいなくなるのとは違う。もしうちの母か父が死んだら?今はとても想像できない。でも、今から起こるのだ、いつか、確実に。
今、ここは静かだ。誰もいない。この世に自分一人になってしまったかのような、そんな感覚に陥りそう。でも私は、一人ではないのだ。ここを借りてるのは所長だし、私をこの町に来させたのはうちのバカだし、私を産んだのは妙子だ。その他にも平岸家の人々、今まで関わってきた人──いろんな人のおかげで今「ここにいる私」というものが成立している。その、たくさんの存在に支えられているはずの私は、なぜ時々、自分は一人でしかないと感じるのだろう?そんな時に感じる無の感覚、自分の存在さえも消えたように感じるこの一瞬は、何なのだろう?
やっぱり私は哲学をやった方がいいのか?
それとも、今をひたすら書き連ねていく方がいいのか。過ぎては消えていく瞬間を逃さないためにも。
今、私の中をいろいろな感情や思考が通り抜けていく。でも、ここに書き残せるのはほんの1%にすぎない。書くスピードが思考に追いつかない。パソコンでも同じだ。
夜中の1時、CDを止める。林の中にある建物を静寂が支配する。私はその中で、意識を持った者として考える。
この空間は、まるで考えるために作られたかのようだ。
所長はずっとここで、いろんなことを考えていたんだろうか。
結城さんは?ピアノばかり弾いていて、何か考えることなんてあるのか?
やっぱり奈々子のこと?
そこで思考が乱れた。恋は思考を狂わせるのだ。
もう寝ることにする。明日は札幌に行くから少しは寝ておかないと。
でも、大事な何かを逃した気がするのはなぜだろう?
今、この瞬間は、深く考える絶好の機会だったのに。
やっぱ私ダメだ。結城さんとか奈々子のことを考えると、頭がまともに働かなくなる。
もう寝よう。




