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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2017年7月

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2017.7.24 月曜日 図書室 高谷修平

 修平は少し早めに学校へ行った。もう夏休みだが、今日は百合が図書室を開けると言っていた。おそらく、そんなに人は来ないだろう。百合と2人きりで話せる。そう期待していた。

 しかし、図書室のドアの前にはスマコンがいた。百合はまだ来ておらず、鍵も開いていないようだった。

「あら、おはよう」

 スマコンが修平に気づいて微笑んだ。

「おはよ」

 修平はなおざりにあいさつした。また邪魔が入ったと思った。

「保坂達は今日から市場でバイトね」

「そうだね」

「あなたの先生はお元気?」

「たぶんね。今日話してないけど」

「あなたは先生を避けてるみたいね」

 スマコンが言った。

「俺が?どこが?」

「あなたの近くに大きなエネルギーがあるのに、あなたはそれを拒否しているように見えるわね」

「それは──自分の力で生きてみたいからだよ」

 こんな話をスマコンにしたくないので、修平はここで話を終わらせたかったが、

「一人で生きられる人なんて、いなくってよ」

 スマコンは言った。

「わかってるよ。俺ずっと病院にいたから、それは嫌ってほど知ってる」

「ですけど──」

「ごめ〜ん!待った〜?」

 百合が鍵を持って走ってきたので、話はそこで終わった。

 中に入ると百合は、

「空気がこもってる」

 と言って窓を開けた。外は曇っていて、暑さは少し和らいでいた。

「体調はどう?」

 百合が修平に尋ねた。

「今日はいい方だよ」

 修平は言いながらスマコンを見た。百合と話がしたいのに、スマコンがいるせいで肝心の話が切り出せない。

 スマコンは本棚を見るふりをしながら、こちらの様子をうかがっていた。

「幽霊のこと、何かわかった?」

 百合が修平に尋ねた。

「特に大きく変わったこととか、わかったことはない。ただ、久方さんの意識が変わってきたみたいだ。前みたいに森に行かなくなった。橋本の人生を知っていろいろ考えるようになったみたいだ。橋本みたいに、人生に絶望するとよくないって」

「やっと生きる気になった?」

「まだそこまでは行ってなさそうだけど」

「今は新橋さんのことが一番気にかかっているからよ」

 スマコンが割って入ってきた。

「わからないわよ。新橋さんがまた結城さんべったりになって久方さんを傷つけるようなことをしたら、また別世界に逃避し始めるかもしれなくってよ」

「結城なんだよな〜」

 修平も、早紀の『結城べったり』には困っていた。

「なんで結城なんだろうな〜?」

「新橋さんの幽霊、歌っても消えなかったんだよね?」

 百合が言った。

「そう。もしかしたら歌じゃダメなんじゃないかって早紀は言ってる。結城と何かあるんじゃないかって」

「もしかして、それで結城さんに近づいているとか?」

「いや〜、それは100%自分のためだと思う。奈々子さんは言い訳」

「人のことより、ご自分の幽霊はどうなの?」

 スマコンが言った。

「先生?先生もどうしたらいいかよくわかんないんだよな〜。橋本と奈々子さんをずっと心配し続けるだろうし」

「違うと思うわ」

 スマコンが言った。

「先生が心配していらっしゃるのは、あなたのことよ」

「あ〜、それもある」

 修平は否定しなかった。よくわかっていたからだ。先生が自分の体調を心配して、力を分け与えようとしていることは。

「もうこの話やめない?俺らがいくらああだこうだ言っても幽霊が成仏するとは思えないし。今さ〜、高校生活最後の夏休みじゃん。何が楽しいこと考えようよ。どっか出かけるとかさ〜」

 修平は明るく言ったが、

「私達は受験生です。まず勉強しなくては」

 百合が冷ややかに言った。カウンターで問題集を広げながら。

「いや、もちろん勉強も大事だけどさ〜、たまに息抜きして遊ぶのも大事だと思うよ。それに、せっかくの夏休みなんだから思い出作らないとさ〜」

「無理強いはおやめなさいな。伊藤は勉強したがっているのだから」

 スマコンが言った。

「ところでスマコン、何しに来たの?」

 修平はわざと愛想よく言った。

「本借りに来たんなら、とっとと手続きして帰ってくれない?」

「まあ失礼ね。わたくしはここで本を読んでいくつもりよ」

「えぇ〜」

「図書委員が他人の読書の邪魔しない」 

 百合が問題集を見たまま言った。仕方ないので、修平は本棚の奥へ行った。来る人がほとんどいないので、整理しようにも本の並び順はほとんど変わっていなかった。修平は本棚の前にしゃがみこみ、一番下の本を見るフリをしながらため息をついた。


 百合と話したい。

 名前で呼びたい。

 一緒にどこかへ行きたい。

 スマコンが邪魔だ。


 この四行が頭の中でぐるぐると回っていた。

 しばらく考えた後、修平はカウンターの百合に近づき、

「百合ちゃん」

 と小声で呼びかけた。百合が顔を上げ、鋭い目つきで修平をにらんだ。

「人がいるときに名前で呼ばないで」

「だって呼んでみたかったんだもん」

 修平は笑った。

「まあ〜聞き捨てならないわね!」

 スマコンには聞こえてしまったようだ。

「伊藤を下の名前で呼ぶなんて!」

「だからやめてって言ったのに」

 百合がつぶやいた。

「何?あなた達もうそんな仲なの?」

「違います」

 百合はきっぱりと否定した。そこまで強く言わなくてもと修平は思った。

「ただの図書委員で、お友達です」

 百合はそう言って、また問題集に目を落とした。

 お友達ね。

 修平はその言葉を頭の中で反芻しながら、また奥の本棚に戻った。

 何か、ものすごく大きな失敗をしてしまったような気がする。でも何がいけなかったのだろう?

「わたくしのせいだと思っているなら、それは違ってよ」

 いつの間にかスマコンがすぐ後ろに来ていた。

「別にそんなこと思ってないからほっといてくれない?」

「あなた、本当は体調がよくないでしょう?ここ最近ずっと」

「何?さらに追い詰めようっての?」

「そうではなくってよ。エネルギーの流れでわかるの。あなたは弱っているわ。本当なら、家に戻って治療しなくてはいけないのではなくて?」

 修平は何も言わなかった。

「体に無理がかかっているのよ。休んだ方がいいわ。せっかく夏休みなのですから」

「そうやって俺と百合の邪魔をしようとしてるだろ」

「そうではありません。わたくしは事実を言っているだけよ。まあ、いいでしょう。自分で認めたくないのなら、勝手に無理して倒れたらよろしいわ」

 スマコンは去った。

『修平君』

 新道先生の声がした。

『あまり言いたくはないが、須磨さんの言っていることは正しい』

 修平は答えなかった。

『君は弱っている』

 新道先生は続けた。

『もう少し自分を大事にした方がいい』

「わかってるよ」

 修平は低くつぶやいた。実際、体調はあまりよくなかった。歩いている時もどこか地に足がついていないような、ふらふらした感じがする──でも、それくらいで、百合に会うのを諦めたくなかった。

 しかし、どうだろう?

 こんな弱った人間に好かれても、相手は迷惑だろうか?

 修平は少し考えてから立ち上がり、カウンターの百合の所へ行くと、

「ちょっと頭痛がするから、帰る」

 と言った。

「大丈夫?保健室に薬あったと思うけど」

「大丈夫。帰って寝れば治るって」

 修平は笑いながら廊下に出た。校舎は人がいない。静まり返っている。まるで、自分以外誰もいなくなってしまったかのようだ。

 ああ、そうだ。

 修平は久しぶりに、ある感覚を思い出した。


 俺、一人きりだったな。病気の前では。


 それは入院中に、何度も感じたことだった。先生もいた。よい両親や医者や看護師、スタッフもついてくれていた。しかし、自分の病気と、弱さと向き合う時、自分は一人きりなのだ。

 自分以外に、自分の人生と向き合える者はない。


 帰ろう。


 修平は歩き出した。やはり足にも、全身にも力が入らなかった。もしかしたら、スマコンの言うとおりかもしれない。

 いや、でも、まだだ。

 まだわかっていないことがある。

 人生とは何か。

 自分がこんな運命を生きている意味は?

『あまり考え込まない方がいいですよ』

 新道先生が言った。

「いや、考えたいんだ」

 修平は強い口調で言った。

「今、考えなきゃダメなんだ」

 なぜなら、終わりがいつ来るかわからないのだから。

 修平は今から、その時を意識していた。







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