2017.7.22 土曜日 研究所
結城がピアノを弾き、早紀がそれに合わせて声を出す。それを、久方は横でじっと見つめている。
本来、今日は奈々子さんに練習をさせる日なのだが、
奈々子、出てきませんね。
手のひらを見つめながら早紀が言った時、久方は思った。
ああ、とうとう奈々子さんまで、
結城と早紀を付き合わせようとするようになったな、と。
結城を独占できて、早紀は嬉しそうだ。
それを見ていた久方は、ひたすら心が痛かった。
サキ君が望んでいることだから。
サキ君が幸せなら、僕だって幸せだ。
と、自分に言い聞かせているのだが、そういう言い訳のような言葉に効き目はほとんどない。ただただ悲しいだけだ。
結城は無表情で発声のアドバイスをし、一時間ほどすると『ここまで』も言って、関係ないピアノ曲を弾き始めた。最近いつもこうだ。早紀が余計な言葉を発する隙を与えない。
拷問の時間、いや、発声練習が終わり、久方と早紀は1階でコーヒーを飲んだ。
奈々子、どうして今日は出てこないんでしょうねえ。
早紀が尋ねた。
僕にはわからない。
久方は答えた。これ以上深い話はしたくなかった。
頼みがあるんだけど。
何ですか?
僕が神戸に帰ってる間、猫達の様子を見に来てくれないかな。本当は2匹とも連れていきたいんだけど、そういうわけにもいかなくて。
いいですよ。あ!そうだ!
早紀が手をポンと叩いて目を輝かせた。
その間、ここに泊まってもいいですか?
えっ?
一回ここに泊まってみたかったんですよ〜。
いいじゃないですか。どうせ結城さんも札幌帰っちゃっていなくなるんでしょ?
ちょっと待って。
久方は慌てた。そんな話になるとは夢にも思っていなかった。
あのさ、部屋のものを勝手に見られると困るんだけど。
大丈夫ですよ。所長の部屋には入りませんから。確か、レティシアさんが来た時に使った客室がありますよね?あそこに泊まります。
いや、でも──
いいじゃないですか。佐加も呼んで──
ダメ!佐加は絶対ダメ!
久方は全力で叫んだ。
じゃあ、あかねは?
早紀がおもしろがって言った。
どんな妄想されるかわからないからやめて!
じゃ、ヨギナミならいいでしょ?
いや、でも──
よし!決まり!
早紀は勝手に決定したようだ。そして伸びをして、
夏休みのいい思い出になるゥ〜!
と叫んだ。あまりにも嬉しそうだったので、久方は『泊まるのはやめて』とは言えなくなってしまった。なので、猫の世話をすることと、きちんと掃除することを条件に、泊まってもいいと言ってしまった。
だから女に鍵渡す時は気をつけろってんだよ。
後で話を聞いた結城は呆れた。
そのうちここ、女子高生どもに占領されるんじゃね〜の?
ま、俺は別にいいけどね。
お前もう少し強くならないと危ないと思うよ?ダメなものはダメ、いらんものはいらんとはっきり言わないと、いつか絶対変な業者に騙されるぞ。
放っといてよもう。
久方は落ち込んでいた。スマホにはヨギナミから、
ほんとに泊まってもいいんですか?
絶対他の子も来て中を探って回ると思いますよ?
と言ってきていた。
とりあえず見られたらヤバいものを今のうちに処分しとけ。あいつら絶対家探しするから。
ま、俺はいいけどね。見られて困るものはここには置いてないから。
結城はそう言ってテレビを見始めた。
サキ君のことは、どうする気?
久方が尋ねた。
今日奈々子さんが出てこなかったのは、サキ君とお前を仲良くさせるためじゃないのかな?お前はどう思う?
しかし結城は無視してテレビを見続けていた。久方は何度か話しかけたが、全く反応がないので諦めて2階へ行き、長く使われていなかった客室の掃除を始めた。何もかもほこりをかぶっている。けっこう時間がかかりそうだ。
ここにサキ君が泊まるのか。
と考えて、一瞬早紀が寝転んでいるのを想像したが、すぐ我に返って頭を振ると、掃除機を取りに1階に戻った。




