2017.7.18 火曜日 ヨギナミ
雨が晴れた。昨日できなかった花火は今日の夕方に決行となった。
今日は学校祭の後片付けをする日だ。飾り付けや展示品を撤去しながら、『終わっちゃったね』『あっという間だったね』と話し合い、祭りの余韻に浸っていた。
ヨギナミは佐加に、ケーキ型ソファーをどうするか尋ねると、『持って帰って店で使ってもらう』という答えだった。親が花火を見に来るので、ついでにソファーも車で運んでもらうそうだ。『車に載せれるのこれ?』と聞いたら『会社のバンで来るから』だそうだ。
花火は町中の人が見に来る。みんな親や家族と一緒だ。でもヨギナミは一人だった。いや、佐加の家族と一緒に見るから一人ぼっちではない。しかし、やはりみんなと自分は違うのだ。
学校祭が終わったら、勉強に集中しなくては。
なんとしても試験に受からなくては。
そして、一人で生きていけるようにならなくては。
ヨギナミはそう考えながら教室を掃除した。それから、みんなで校内をくまなく見て回り、昨日とはうってかわった、静寂に包まれた校舎の雰囲気に浸りながら、ゴミを拾い、不要になった飾り付けを惜しみつつ外のゴミ置き場に出した。
3時前には、校内はほぼ元通りに片付いた。
学校祭は終わった。
これからはいよいよ受験勉強に専念しなくては──
杉浦はヨギナミと同じことを考えていたらしい。
しかし、
まだ秋浜祭があるじゃん!
定期的に楽しいことがないと勉強する気しないし。
佐加が言った。
そうよ。私にとっては秋のコスプレ祭りの方が大事よ。
あかねがにやけた。
今年はまともな布地のある服着て。
早紀が言った。
何よ、真面目くさった昭和の魔女みたいなこと言うのやめてよね。
みんな心は次の祭りに飛んでいた。早紀は学校祭で幽霊に歌わせてあげたのに成仏してくれなかったので、次の秋浜祭のステージにもあまり期待はしていないと言っていた。
ヨギナミはふとおっさんを思い出し、おっさんが成仏する方法はあるのだろうか、今日の花火には来るのだろうかと考えた。来るとしたら所長の方だろうか。でも、大きな音が苦手だから花火も苦手かもしれない。
サキは『結城さんが去年来たから今年も来るかも』とそれだけが気がかりな様子で、所長のことを考えているようには見えない。
所長さん。かわいそうだなあ。
ヨギナミは思った。あんなに早紀のことが好きで、性格も真面目で優しいのに、早紀の様子を見ると、その気持ちが報われているとは思えなかった。
付き合ったらお似合いなのにな、サキと所長さん。
ヨギナミはそう思いつつ、杉浦に借りた『ノーサンガー・アビー』を読んで夕方までの時間をつぶした。今まで読んできたジェーン・オースティンの作品の中で一番ぶっ飛んでいるというか、話のトーンが他の作品とは違っていて、一気に読めてしまった。
他のクラスメートはみんな掃除疲れでダラダラしていた。佐加はケーキ型ソファーで寝てしまったし、男子もみんな寝ているか、やる気のなさそうな目でスマホを見ていた。スマコンは机にタロットを広げて『星』と『ワンドの10』が並んでいるのを見て考え込み、伊藤ちゃんは自分の席でカバーのついた文庫本を読んでいた。早紀とあかねは先程2人で外に出て行った。そしてなかなか戻ってこない。
そうしていつか空は暗くなり、校庭に町民が集まり始めた。秋倉高校の3年生達も一斉に外に飛び出した。そして、それぞれが、自分の家族と合流した。ヨギナミは佐加の父と母にあいさつした。2人ともにこやかに迎えてくれた。
シートに座って花火を待っていると、
おう。
そこに現れたのはおっさんだった。所長にもらった黒いリュックを背負っていた。
あれ?おっさんが来たの?所長は?
佐加が尋ねた。
もちろん創が来たんだ。無理やり俺が連れてきたんだよ。新橋と一緒に花火見ろって言ったのに、人が多いのが嫌だとか音が苦手とかぬかしやがって引きこもろうとするからな。
あとで『リュックにノイズキャンセリングのヘッドホン入れた』って教えてやってくれよ。
ところで、新橋はどこだ?
うち探してくる!
佐加がどこかへ走っていった。おっさんは『そこ、いいか?』と言って、ヨギナミの隣に座った。
おっさん。
ヨギナミが尋ねた。
所長さんをサキに会わせるためにここに来たの?
ああ、最後の学校祭だからな。思い出に──
私と一緒に花火見たいとは思わなかった?
ヨギナミがそう言って笑うと、おっさんは少しとまどった顔をした。
いっつも、所長さんのことばかり考えてるね。
アナウンスが『もうすぐ花火の打ち上げが始まります』と言った。まわりの人がどよめき、まだ暗い、星が多い夜空を今か今かと見上げていた。
なあ、奈美。
何?
お前は、何があっても、人生に絶望するなよ。
おっさんが真面目な顔で言った。
どうしたの急に?
ヨギナミは笑ったが、
俺がそれで失敗したからだ。
おっさんが言った。ヨギナミは笑うのをやめた。
生きていた頃、俺には世界のほんの一部しか見えてなかった。なのに、それが全てだと思ってしまった。それで──絶望したんだ。ほんの一部の汚いことばかり見て、他の素晴らしいものが見えなくなったんだ。
お前はそういう間違いをするなよ。
何が起きても、それだけが全てだと思うな。
何もかも、ほんの一部にすぎなかったんだ。
ヨギナミが何と答えていいか困っていると、
初島が狂ったのは、俺のせいなんだ。
おっさんが言った。ヨギナミの目をじっと見て。
これはもしかしたら、とうとう教えてくれる気になったのかもしれない。昔何があったのか、おっさんがなぜ死んだのか。
ヨギナミはそう期待したのだが、
しょ〜ちょ〜お〜。
早紀の間延びした声が聞こえた瞬間、おっさんの顔つきが変わり、急に立ち上がってあたりを見回し始めた。
早紀が所長の近くまで来た時、最初の花火が上がった。
大きな音がして、人々が歓声を上げた。しかし、所長は耳をふさいで地面にうずくまってしまった。
リュックにノイズキャンセルのヘッドホンが入ってる!
ヨギナミは叫んだ。それを聞いた早紀が黒いリュックからヘッドホンを取り出し、所長につけてあげた。所長は早紀に手を引かれてゆっくりと立ち上がり、うつろな目であたりを見回した。
すごい人だ──
それより花火を見ましょう。
あっちの方がよく見えますよ。
早紀は所長を引っ張りながら人混みを抜けていった。
おっさんと何か話した?
いつの間にか佐加も近くに来ていた。
人生に絶望するなって。
ヨギナミはつぶやいた。
それで自分は失敗したんだって。
そっか、おっさんくさいセリフだね〜。
でもきっと、ヨギナミが苦労してるの見ててわかるからあえて言ったんだと思う。
おっさんの失敗って何かな?
死んだことじゃね?それより今は花火撮ろうよ。
佐加は花火を撮り始めた。ヨギナミも撮った。あとでおっさんと、あと、できたら母にも見せようと思った。目を覚ます日が来るとは思えないけれど。
高条が近づいてきた。やはり町の人の様子を撮っていた。佐加が『花火撮らないの?』と聞くと『後で秀人が撮ったやつもらう』と言った。『うちのもあげようか?』と佐加は言った。高条は2人にカフェのクッキーを2枚ずつ渡して、また人々を撮りながら会場の入口の方へ歩いていった。
それからヨギナミと佐加はあかねと早紀を探した。しかし、あかねはLINEで『インスピレーションが云々』と言ってきたので、もう家に帰ってあやしいマンガを描いているだろうと思い、早紀を探すことにした。平岸家と一緒だろうと思っていたが、そこには高谷修平しかいなかった。
久方さん来てんの?音ダメなのに?
連れてこられた?災難だね〜。
早紀を見なかったか聞いてみたが、『知らない』と言われた。ヨギナミと佐加は会場内をさまよった。すると、校舎の近くに設置されたベンチに、所長と一緒に座っている早紀を発見した。
後ろからそ〜っと近づいて話盗み聞きしようぜ。
佐加がにやけながら言った。ヨギナミもその話に乗った。2人は後ろからそっとベンチに近づいた。
結城さん、なんで今年は来ないんですかね?
早紀が言った。
そもそも去年はなんで来てたのか、
そっちが不思議だよ。
所長が言った。
結城さんってやっぱり奈々子のこと好きですよね?
僕もそう思う。
でも奈々子はもう死んでるんだから、私と付き合った方がいいと思うんですよ。
所長はそれには答えなかった。
なので、これから結城さんをどうやって振り向かせるか考えたいんですけど──
あれ、ひどくね?
佐加がつぶやいた。
所長と一緒にいるのに結城さんの話ばっかしてるじゃん。しかも結城さんを振り向かせるとか言ってるし。
サキ、所長が自分のこと好きなの知ってるはずだよね?
所長さん、かわいそう。
ヨギナミは心の底から同情していた。
うちちょっと邪魔してこよ。
ヨギナミ、それちょ〜だい!
佐加はヨギナミからクッキーをひったくると、ベンチの2人に後ろから抱きつき、
お似合いだぜ2人〜!!
と叫びながらクッキーを渡した。それから、なぜか、藤木をLINEで呼び出して『2人がいかに愛し合ってるか』という話を延々と聞かせ続けた。話は花火が終わるまで続き、最後には早紀も所長も、ヨギナミすらぐったりしながら家路についた。急に呼び出された藤木はずっと困った顔をしていて、佐加だけが一人満足げに軽い足取りで帰っていった。




