2017.7.15 土曜日 サキの日記
暑い!しかも、結城さんの部屋にはエアコンがない。学祭前の最後のボイトレなのに、奈々子が少し歌ったら私がフラフラしちゃって、奈々子はすぐ引っ込み、私は1階のエアコンの近くで休んだ。いつの間に設置したのか知らないけど、所長は『猫達が部屋に戻ってくるようになった』と喜んでいた。
北海道も温暖化してるから、
年々夏は厳しくなってるよ。
もう、昔のさわやかな夏のイメージは合わないかもね。
所長がアイスを取り出しながら言った。いやでも、まだ東京よりはマシだと思う。こっちの方が空気はいいし。
アイスをもらいながら、所長って私のことが好きなんですよね?とストレートに聞きたい衝動と戦った。言ったら絶対気まずくなる。せっかく所長が普通にふるまってくれてるのに。
不満なのは、結城さんが歌の伴奏を『保坂に任せる』と言ったこと。実際、昼過ぎに保坂が来て、奈々子が出てきて、特に苦情は言わず『よろしくね』と言っていた。保坂は、
先にスマコンが政治の歌歌って客を引かせるけど、
気にしないでください。
と言っていた。何を歌う気だスマコン。まさかトランプの悪口じゃないだろうな。なんか、あの子ならやりかねない気がする。
私は今から期待と不安で緊張している。学校祭で奈々子が歌ったら、本当にそれで解決するんだろうか?奈々子は消えてくれるのか?それには結城さんに参加してもらうのがいいと思うんだけど、結城さんは『生徒にやらせたい』とピアノの先生ぶって、保坂にいろいろ偉そうな指示をしていた。声に合わせて伴奏の強さを調整しろとか何とか。
やっぱり私は相手にされてない感、強すぎ。
学校祭だってそうだ。奈々子には『ステージで歌う』という大役があるのに、私は何をする?出店でカレーを運ぶだけ?お化け屋敷の話にも乗りそびれてしまった。秋倉高校最後の学校祭で、この学校の生徒は奈々子ではなく私だ。なのに私は学校祭で何したらいいかわからない。
気分転換に佐加にLINEしたら、
先輩が来てわたあめと焼きそば売ってくれるって。
食おうぜ。
と言ってきた。今年は最後だから、歴代の卒業生が集まってすごい人数になるんじゃないかとも言っていた。
うちら大人になってももう帰る学校なくなってんの。
ちょっと寂しいよね。
そうかもしれない。
でも同窓会はやるよね?
佐加は今から卒業した後のことを心配しているようだ。でも私は今のことで手一杯。
暑すぎるせいか、所長も散歩に行こうとは言わない。ポット君にアイスコーヒーの作り方を教えたけど、エアコンが効いてる時はホットの方がいいかなと言っていた。神戸のお母さんから紅茶(なんと日本産。そんなのあるの知らなかった)とお菓子が送られてきていた。
8月に、一度神戸に帰ろうと思ってる。
と所長は言った。
こっちに来てからもう3年、帰ってなかった。たぶん来た時は、帰るつもりはなかったんだ。自分を失ってたから。
だけど、最近になって、自分を取り戻したような気がする。だから一度帰って、神戸が僕にとってどんな場所なのか確かめたいんだ。
それから所長は、
サキ君。僕のことは気にしないで、
今までどおりに接してほしい。
僕は何もする気はない。
ただ、今までと同じように友達でいてほしい。
私はいいですよと言った。それから今までどおり、神戸のおやつを食べながら本や動画の話をした。
所長、本当はつらいのかもしれない。
でも私にはどうにもできない。
夜、平岸家ではちょっとしたケンカが起きていた。
あかねが『最後の学校祭だからコスプレしたい』と言い出し、平岸ママが『最後だからこそやめておきなさい』と言ったことで口論となり、しまいには、お互いの趣味を罵り合うケンカに発展した。『気味の悪いマンガを描くのはやめろ』だの『家事しかできない無能』だのという言葉が飛び交い、私とヨギナミと修平はその悪口の中、そーっと皿を運び、テレビの間で新聞を読んでいた平岸パパと合流した。
ああいうケンカも今年で終わりだと思えば感慨深いよ。
と平岸パパは言った。どうも、あかねは卒業したら家を出たいと言っているらしい。ただし『パパが持ってる物件にタダで住みたい』とか言っちゃってるらしく、平岸パパはそれには反対しているそうだ。
一人暮らししたいなら、バイトでも何でもして自分で稼げってんだよ。
でも『私の本業はマンガだ。マンガを描く時間がなくなる』とか言ってさあ。
だったらここにいて描けばいいじゃない。
平岸パパはたぶん、娘に出て行ってほしくないんだと思う。私は娘と離れていても全然平気そうなバカと妙子を思い出し、同じ親でもいろいろ違うんだなと思った。




