2017.7.4 火曜日 サキの日記
平日は研究所に行かないことにしていたけど、修二が行くと言ったので、私も行くことにした。奈々子が会いたがるだろうと思ったし。
実際、修二と奈々子と結城さんは、3人で演奏し始めた。
18年前の、歌とギターとピアノのセッションの再現だ。
修二のギターは風のようになめらかで、それに呼応して奈々子の歌と結城さんのピアノが動いている。作ったような感じが全くなくて、自然に湧き上がってきたような音だった。
この3人、すごく相性いいんだな。
もし奈々子が死なず、この3人で演奏活動を続けていたら──いろいろなことが違っただろう。でも奈々子はもういない。実際、歌ってるのは私の体だ。ギターやピアノの演奏に比べると、声だけ質も量も足りてない感じ。私の体ではそれが限界なのだろう。奈々子が歌っても。
惜しいな。
演奏が終わってから、修二がつぶやいた。
この三重奏がもうできないなんて。
奈々子と結城さんは、何も言わなかった。
私はちょっと離れた所から、3人と所長を見ていた。今日は修平も来てたけど、なぜか演奏を聴きたがらず、1階のソファーで寝てた。たぶん自転車に乗りすぎて疲れたんだと思う。昨日からバカみたいにはしゃいで走りまくってし。
でも、修平が自転車に乗ってるの見てたら、私もほしくなったので、バカに頼んだら『欲しいなら買っていいよ』と言われた。今度ショッピングモールに連れて行ってもらった時に買おうかな。でも、冬に雪が積もったら乗れないから、ここでは使える期間が短いらしい。
修二が来ているせいか、レッスンが終わっても奈々子は私に体を返さず、修二と昔話をしていた。所長がその様子をじっと見ていた。たぶん心配してくれてるんだろう。
私、満足した。修二と歌えて。
奈々子が言った。
ほんと、このまま消えてもいいくらい満足してる。
だったら早く消えてくれよと思った。
でもまだここにいるのね。どうしてだろう。
理由は誰にもわからない。やっぱりトッカータなのか、それとも前に言っていた、私が心配とかいうやつなんだろうか。余計なお世話なのに。
お前は不思議な奴だったな。
修二が奈々子に言った。
どこからともなく現れて、どこへともわからず消える。
私は普通に生きていただけだよ。
奈々子が言った。
でも、その『普通』が、ものすごく貴重だったんだ。
今ならわかる。一日一日がかけがえのないものだった。二度と戻ってこないものだったって。
でも生きてた頃はわからなかった。ただ過ぎるにまかせてダラダラしちゃって。
それから奈々子は修二に、
今、幸せ?
と尋ねた。
ああ。
修二はすばらしい笑みを浮かべた。心の底から満足しているような。
ユエさんも幸せね?
たぶんね。
よかった。じゃああとは結城さんだけね?
奈々子が少しふざけた言い方をして、結城さんを見た。その瞬間、私はもとの体に戻った。私が結城さんと目が合ってしまい、気まずかったので慌ててその場を離れ、トイレに行った。戻ったら所長が『サキ君だよね?』と言ってきた。結城さんは何も言わずに部屋を出ていってしまった。
奈々子さんは、結城に幸せになってほしいのかな?
所長が言った。
無理だと思うけどな。
結城さんの幸せ、それは奈々子だ。もう死んでるのにまだ想い続けてる。どうしたらふっ切れるのか、やはり奈々子に消えてもらうしかない。でもそのためには結城さんを、トッカータを、どうにかしなければならない。
それから私は八つ当たり気味に、修二に修平の変な行動を報告してからかって過ごした。修二は笑いながら聞いてくれた。所長はずっと私の方を見ていた。まるで、目を離すことができなくなったみたいに、ずっと。
そうだ、所長をどうしよう?
このまま放っといていいのかな。
私のことが好きなのは知ってる。でも、私は所長をそういう目で見たくない。愛だの恋だのを所長とは関係のない所に置いておきたかった。単なる友情でよかった。それが一番うまくいっていたのに、なぜこうなるんだろう?
恋は、人生をややこしくする。
元に戻らないかな、出会った頃みたいに。一緒に話したり散歩したりして楽しく過ごすだけの状態に。でも無理だ。私だって恋が何かは知ってる。だって好きなのは結城さんだから。今日も、結城さんが奈々子ばかり見ているのは辛かった。いつまでこれが続くんだろう?
私は耐えきれるだろうか。




