2017.6.30 1980年6月
新道は、橋本古書店を訪ねた。毎日のように通っていた。学校に来なくなった橋本を心配したからだ。ここ数週間、全く学校に来ず、もはや出席日数すらもどうでもよくなったようだ。
「あいつは出かけたぞ」
店主が言った。またあの廃ビルだと新道は思った。なので行ってみた。
橋本はやはり最上階にいて、あの窓の下に座っていた。
「帰れよ」
新道を見るなり、橋本が言った。
「どうして学校に来ない?」
新道が尋ねた。
「俺が行く所じゃないからだ」
橋本はそう答えた。
「どういう意味?」
「学校てのは、未来に希望のある奴が行ってこそ意味があるんだ」
橋本はうつむいたまましゃべった。
「俺にはない」
「なぜ『ない』って言える?」
新道は納得しなかった。
「橋本にはお父さんもいる。俺達友達だっているじゃないか。それに、俺なんかよりずっと頭がいい。『学校の勉強ができるのと頭がいいのは違う』って前言ってたよね?」
「そういう問題じゃない」
橋本は繰り返した。
「そういう問題じゃないんだ」
「じゃあ何が問題なの?」
「お前と俺は違うんだよ」
橋本は言った。それから、
「初島はどうしてる?」
と尋ねた。
「初島は──学校をやめたよ」
「やめた?」
「初島先生に聞いたら『行く必要がなくなった』って言ってた。どうしてですかって聞いてもニヤニヤ笑うだけで答えてくれない」
「初島本人は?それでいいって言ってるのか?」
「会ってないからわからない」
「会ってない?どこに行ったんだ?」
「部屋にこもって出てこないって」
新道が言った。
「部屋の前まで行って声をかけてみたけど、『役立たず!』とか叫んでるのが聞こえるだけなんだよね」
橋本は何も言わずにしばらく考えていた。
「ねえ、外はいい天気だし、一緒に出かけようよ」
新道は言ったが、橋本は黙り込んでいて答えない。
「なあ」
しばらくして橋本が口を開いた。
「根岸は何か言ってたか?」
「ナホちゃん?何かって?」
「初島のことだよ。あの2人は友達だろ?」
「『みどりちゃんは何も悪くないのよ、お父さんが勝手に決めたのよ』って」
「だろうな」
橋本は顔を上げて、
「お前、運命とか、宿命って言葉、わかるか?」
と尋ねた。
「シュクメイ?何それ?」
わかっていない言い方で新道が尋ねた。
「人は生まれながらにどう生きるか決まってるんだよ。明るい奴は明るいし、暗いやつは暗い。同じ世界に生きてるように見えてもな、実際は──一人ひとり、まるで違う世界にいるんだ」
「意味がわからないよ」
「俺は生まれつき人から外れていく運命を持ってるんだよ」
橋本はそう言って、立ち上がって窓の外を見た。
「もう帰れよ。一人になりたい」
「でも──」
「いいから帰れって!」
橋本がきつい声で言った。新道は部屋を出たが、気になってしばらく階段を上がったり下がったりして、上の様子をうかがっていた。
橋本は窓辺から動かず、暗くなるまで、外に広がる街並みをじっと見つめていた。




