2017.6.28 水曜日 高谷修平
百合が冷たい。
いや、避けられている。
修平はそう感じていた。教室では席が隣なので話はするのだが、なんとなくよそよそしい。目を合わせてくれず、『ふーん』とか『あ、そう』という返事しか返ってこない。
「名前で呼ばれるのそんなに嫌だった?」
と聞いてみても、
「別にそうじゃないけど」
と答えて黙ってしまう。そして、もう3日、図書室を開けていない。『受験勉強に専念したいから』と言って。しかし、勉強したいと言いながら、杉浦塾にも来ていなかった。
一人になりたいのかな。
でも何があったんだろう?
修平は考えながら杉浦の家に向かった。今日は勇気、保坂、藤木が来ていた。杉浦が勝手に世界史の授業(というより、演説)をしている間、それぞれが好きな教科を勉強していた。
「ねえ」
修平は小声で保坂に話しかけた。
「伊藤、最近変じゃない?」
「変?どこが?」
「なんとなくよそよそしいというか──」
「あー、伊藤ちゃんはたまにそういうことあるべ」
保坂が言った。
「スマコンは『他に気になることがあって、人にかまってる余裕がなくなるのよ』って言ってたけど」
「他に気になること?やっぱ神?」
「神?なんでそこに神が出てくんの?」
「伊藤といえば神だろ」
「そうなの?」
「そうなのって……」
「君達、おしゃべりばかりしていないで学問に集中したまえ!」
杉浦が厳しい目をして手を叩いた。修平は黙り、また考え始めた。
百合は、同じグループの人には神の話はしていないのか?もしかして自分だけ?それはどういうことだ?なんで今自分は避けられてる?
「君は手が止まっている」
杉浦が目ざとく見つけて、タブレットをのぞき込んできた。
「何かわからないところでもあるのかな?」
「高谷は伊藤ちゃんを神だと思ってるべ」
何かを勘違いした保坂がそう言ってにやけた。
「えっ?」
修平が驚くと、
「それは違うな。高谷は伊藤さんの信仰の話をしているのだよ。伊藤さんはカトリック信者だからね」
杉浦がさらっと言った。
「そうなの?宗教の話しないから気づかなかった」
勇気が言った。
「伊藤さんはいかにもお母さんのような性格をしているから、このクラスの女子の中では一番早く結婚しそうだね。おそらく同じカトリック信者の男性とね」
杉浦が言った。
「えっ?藤木と佐加が一番先だべや」
保坂が言った。藤木が恥ずかしそうに手を振るしぐさをした。
「そういえば君達は親公認の仲だったな」
杉浦がにやけた。
「式には呼んでくれたまえ。僕が祝辞を読んであげよう」
「やめろ!人の結婚式で持論を語るな!やる気なら招待しないぞ!」
藤木が叫んだ。すると、
「ヤベえもう式とか考えてんのやべー!!」
勇気がいつの間にか動画を撮っていて、おもしろそうに叫んだ。保坂もおもしろがって手を叩いた。
修平は一人、静かに黙っていた。
結婚。
そうか。健康で、ずっと彼女がいる奴は、17とか18でもうそんなことを考えるんだ。しかも百合は『すぐ結婚しそうな人』に見えているんだ。
「ね〜佐加!藤木が結婚式の話してんだけど知ってる?」
勇気が佐加にテレビ電話し始め、慌てた藤木は『バカ!やめろ!』と叫んでスマホを奪おうとしたが、
『うちでっかい式やりたい!300人くらい来て、ウエディングケーキが2メートルくらいあるやつ!』
佐加はノリノリだった。『そんなバブル時代のようなことを言うものではない』と杉浦が真面目に言い、佐加は自分で考えた式のプランをしゃべりまくり、勇気と保坂はひたすらからかって爆笑していた。
修平は騒ぎを無視して別な問題を解き始めた。しかし、『伊藤さんは同じカトリック信者と結婚するだろう』という杉浦の言葉が頭から離れなかった。きっと、普通に健康な、普通に働ける男と結婚して、子育てして家を買う──そんな一般的なイメージが浮かんだ。
それは、体の弱い修平には、難しいことだった。
「お前今日元気ないね」
帰り、勇気がそう言ってきた。
「考えてたんだよ」
修平は正直に言った。
「みんなは当たり前に結婚したり就職したりできると思ってる。だけど俺は体が弱いから、それ以前に大学に通えるか、そもそも就職も難しいんじゃないかって言われてるんだよね」
「そうなの?普通に学校で6時間も座ってられるんだから、会社勤めは向いてんじゃない?俺はダメだけど。俺絶対普通の会社には就職できないもん」
「それはできないんじゃなくて『やりたくない』だろ?そうじゃなくて、俺の場合、本当に身体能力に限界があるんだよ」
「じゃあ、すっげ〜金持ちの女見つけて結婚するとか」
「そういう問題じゃねえよ」
「じゃあさ、修平は何がしたいの?」
修平は言葉に詰まった。今まで『何ができるか』ばかり考えていて、『何をしたいか』はあまり考えたことがなかった。
「まずやりたいことを決めてさ、そこに向かって動いた方がいいよ。始めから諦めるんじゃなくて」
勇気はそう言ってカフェに入っていった。
修平は『やりたいこと』を考えながらアパートに戻った。そして、スマホのメモアプリを開き、少し迷ってから、
『親父のようなギタリストになること』
と書き込み、それから、
『伊藤百合と結婚すること』
と書いた。そしてまた少し考えて、2行目を消そうとした所に、平岸あかねが『もう夕飯できてるんだけど!?』と怒鳴りに来たので、スマホをポケットに入れて平岸家に向かった。
「17歳最後の晩餐よ。ウフフフフ。
なのになんで煮魚なのよ!?」
カレイを見たあかねが母親をにらんだ。平岸ママは『明日ごちそうを作ってあげるから今日は我慢しなさい』と言った。
「明日大変だよ」
早紀が小声で言った。
「今から覚悟しといた方がいいよマジで」
「サキさ、結婚とか考えてる?」
「ハァ?」
「何でもない」
修平は早めに食事を済ませ、部屋に戻り、メモアプリを見ながらじっと考えていた。消そうと思っていた2行目も、なぜか消せなかった。画面をじっと見て何度かタップしながら、夜中までずっと、自分が何をしたいのか考えていた。




