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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2017年6月

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2017.6.27 火曜日 ヨギナミ

 3時過ぎ。

 ヨギナミは佐加と一緒に研究所へ向かっていた。


 サキってやっぱ男の人怖がってるよね。


 佐加が言った。


 あんなことがあったんじゃムリもないけどさ、

 でもこのままじゃ良くないよね。


 ヨギナミはどう考えていいかわからなかった。佐加は、早紀は誰かと付き合うべきだと思っているようだが、ヨギナミはそうは思っていなかった。今は受験生だし、勉強の方が大事という考え方だってある。無理強いはしたくない。

 鍵は持っていたが、一応インターホンを鳴らしてから建物に入った。上からはピアノの音がする。曲名はわからないがきれいな音だ。


 所長いる〜?


 佐加が叫びながら廊下を走っていく。ヨギナミはその後を歩いてついていった。

 久しぶりに来たが、中の様子は変わっていないようだ。1階の部屋に入ると、白い猫がカウンターの上に丸まっていた。


 あれ、所長いなくね?

 出かけたのかな?


 佐加があたりを見回した。ヨギナミは、キャビネットの扉がわずかに開いているのを見つけた。扉は少し開いて──静かに閉まった。察したヨギナミは、佐加に、カフェに行こうと声をかけて部屋を出た。佐加は学校祭のプログラムを2枚テーブルに置いてからついてきた。

『学校祭で使うクッションが足りないけど大丈夫かな』という佐加の話を聞きながら歩いていると、町の方から杉浦が歩いてくるのが見えた。彼はこちらに気づいて笑って手を上げると、別な方向に曲がっていった。


『思索のために散歩しているのだよ』って感じ?


 佐加がからかうように笑ったが、ヨギナミは黙っていた。一緒に歩けたらいいのにと思いながら。借りている本の話ができるかもしれない。今ヨギナミは『マンスフィールド・パーク』を杉浦から借りていた。『主人公の境遇が自分に似てるから共感しやすいんだ』と話してみたい。それで杉浦が何と答えるか聞いてみたい。しかし、最近ヨギナミは、杉浦に話しかける勇気がなくなっていた。


 卒業する前に告っちゃいなよ。


 ぼんやりしているヨギナミに、佐加が言った。


 やだ。試験前に傷ついて落ち込みたくないもん。


 ヨギナミはそう答えた。


 大丈夫だって。

 杉浦も絶対ヨギナミのこと好きだから!


 佐加が大声で言いながらカフェのドアを開けたので、誰かに聞かれたのではないかと思い、ヨギナミは恥ずかしさで顔を赤らめた。

 店内には数人の客と、高条がいた。松井マスターはカウンターのおばあさんと昔の秋倉の話をしていた。昔はもっと人が多くて、商店街のシャッターもみんな開いていたのにね、と。今駅前で開いているのは、このカフェと、スーパー、少し離れたセイコーマート、チョコレートショップ、そして幼稚園くらいだ。

 2人が席につくと、高条がスマホをかまえながら近づいてきた。


 また撮ってるだろお前〜!


 佐加が声を上げた。


 日記みたいなもんだから。


 高条は悪びれずに笑った。そして、


 ヨギナミ、杉浦のこと好きなの?


 と言った。ヨギナミの顔が真っ赤になった。


 やめといた方がいいよ。


 高条が真面目に言った。


 あいつ持論に夢中すぎていっつも何かズレてるじゃん。『勉強はできるけど、人の気持ちはわからない』の見本みたいなもんだろ。


 そんなことないもん。


 ヨギナミは言い返した。


 杉浦は確かにズレてるけど、優しい時は優しいもん。


 それはさ、ヨギナミの境遇がかわいそうだから同情してるだけで、特別な感情を持ってるわけじゃないと思う。


 ちょっと高条!さっきからひどくない!?


 佐加が叫んだ。


 勇気、やめなさい。


 松井マスターも注意した。高条は不満そうな顔で、


 でも俺はそうだと思う。


 と言いながらカウンターの奥に消えた。


 何あいつ。うっせーの。

 そうだ、サキに報告しちゃお。


 佐加がスマホをいじり出した。ヨギナミはコーヒーに口をつけた。苦い。前より苦く感じる。

 高条の言うとおりかもしれない。

 ヨギナミは思っていた。いつかレストランで言われた『僕にそんな気はない』という言葉もよみがえってきた。今まで受けてきた親切の数々も。あれは、母親同士が友達だから『単なる付き合い』でやっていたことにすぎなかったのか。


 おう、佐加もいるのか。


 おっさんが店に入ってきた。ヨギナミは驚いた。今日は会えないと思っていた。


 あ〜おっさん!

 さっき所長探したけどいなかったんだよね〜!

 どこ行ってたの?


 佐加が尋ねると、


 お前の声が聞こえた瞬間に、

 キャビネットに隠れたぞ。


 おっさんははっきりと言ってしまった。『教えなくてもいいのに……』とヨギナミは思い、所長がかわいそうになってきた。


 え〜マジで!?

 じゃ〜今度からは声出さないで忍び込もうかな。


 お前は忍者か。


 おっさんが言うと、佐加はテーブルの下に忍び込むマネをした。みんな笑った。


 学校祭のプログラム置いといたよ。


 ヨギナミが言った。


 さっき見たよ。創はまた『行きたくない』ってゴネるだろうけど、結局は行くだろうな。新橋がいるから。

 最近来ないけどなあいつ。


 来てないの?


 ヨギナミが尋ねると、おっさんは、


 しばらく来ないことにしたらしい。週末以外は。


 と答えた。佐加とヨギナミは顔を見合わせた。研究所に行かない早紀なんて想像できなかったのだ。

 どうしたのだろう?


 ほんとは所長のこと好きだと思うよ。


 佐加が言った。佐加は誰にでもそう言うなあとヨギナミは思った。


 でも、昔いろいろあったからさ〜、

 人が怖いだけなんだと思う。

 ほんと、あの事件の話、

 思い出しただけで気持ち悪くてイラッとする!


 所長さん、最近どうしてるの?


 ヨギナミが尋ねた。


 一日の大半をいじけて過ごしてる。でも、そのおかげなのか、結城の野郎がピアノをひっきりなしに弾いてるからか知らないが、あの変な森には行ってないみたいだな。

 生きてる世界に悩みがあると、逆に死の世界からは遠ざかるらしい。悩むってことは生きてるってことだからな。


 それから、佐加が学校祭で使うクッションと自作ソファーの話を延々とし、おっさんは楽しそうにそれを聞いて、時々からかったりしていた。ヨギナミは話半分に聞きながら、やっぱり杉浦を想って落ち込んでいた。本当にもうチャンスはないのだろうか。

 

 店の奥では、高条が先程撮ったヨギナミと佐加の動画を何度も再生して考え込んでいた。ヨギナミの真っ赤な顔を見て、これが恋する女の子の顔だと思った。自分と付き合っている間、早紀は一度もこういう顔をしたことがなかったな、とも。

 そんな孫の様子を見て、松井マスターは、店内にいるヨギナミと孫を交互に観察し、


 もしかしたら、可能性あったりするかしら。


 などと考えていた。




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