2017.6.23 金曜日 サキの日記
もうすぐあたしの誕生日よ。
プレゼントはアマゾンでお願いね。
やっと18になれるわ。全ての禁が解禁よ。
もうどんなエロシーンも描き放題よ。ウフフフフ。
いつもは自分の誕生日がウザいと言っているあかねが、今年は違う。今からウキウキしている。いや、ウズウズしていると言うべきか。18禁が解かれるのが楽しみでしかたないらしい。
クラスのみんなは、あかねの妄想が大爆発するのを恐れて、今から怖がっている。私も昔見ちゃった気持ち悪いエロ画像とか思い出して気分悪くなった。18禁を楽しめる人の気持ちなんてわからない。私は大人になっても、年齢制限のあるものには手をつけないつもりだ。体にも心にもよくないから。
学校祭の準備が始まった。杉浦が『学校行事と受験勉強の両立』をテーマに演説を開始し、佐加が『うっせーホソマユいいから作業しろ!』と、飾りに使う画用紙とカッターを投げつけた。藤木が『刃物を投げるな!危ないだろ!』と叫ぶ声が廊下に響き渡った。
私は飾り物を作ったり、杉浦が展示に使う昔の秋倉高校の写真を見たりしながら、なるべく所長のことは考えないようにして過ごした。でも考えてしまう。どうしてこうなったんだろう?所長は私が好きで、私は結城さんが好きで、結城さんは奈々子が好きで、奈々子はもう死んでる。
私は何回同じことを考えるんだろう?
しばらく研究所には行かないことにしたけど、明日は土曜日だ。奈々子を歌わせに行かなきゃならない。そしたら、所長にも会う。気まずい。いつからなんだろう?私と話してる時は全然、そんなそぶり見せなかったのに。
夜に奈々子が出てきて、
創くんはいい人だよ。言うまでもないけど。
と言った。
私は心配なの。せっかく自分を好きになってくれた人を、あなたはことごとくはねつける。そうやって一生一人で生きる気なんじゃないかって。
放っといてくれない?
創くんが昔のことで不安定なの、気になる?
自分を消そうとしてるところは気になる。
でも、気持ちはわかるから、それが原因で付き合いたくないわけじゃない。
クラスの人はみな、あの事件の話をしなくなった。もう忘れたのか、私に気を使っているのか。私自身はずっと忘れていない。忘れられない。ただ、忘れたフリをして日常をこなしているだけ──たぶん、所長もそうなんだろう。
母が言うとおり、生きていると怖いものが増えていくのだ。それは辛い。消えたくなる気持ちもわからなくはない。
じゃあ、避けるのはやめてあげてね?また明日。
奈々子はそう言って消えた。
避けるのはやめてあげてね、か。でも、今までみたいに遠慮なく遊びに行く気にはもうなれそうにない。そうしたら、『自分に気があるんじゃないか』とますます勘違いされそうだから。
どうして友達のままでいられないんだろう?
それが一番よかったのに。
なんで男女の話とか、余計なことに発展するんだろう?
そういうの求められても困る。
ほんとは勉強しなきゃいけないんだけど、竹田青嗣の『哲学入門』を読んでしまった。こういう本を読むと、やっぱり哲学者になりたいと思う。
キルケゴールの『死に至る病』について書いてある所があった。人間ははじめ、まわりの物や人、身体的に存在するものを信じる。でも、そのうち、抽象的なもの──『自由』とか『芸術』とか『神』とか──を作り上げる。こういう『無限なもの』と自己を一体化させることによって、人はますます具体的な生活を『貧しくする』と。
それは、スマホゲームには何十万も課金するのに、実際の現実の生活ではケチな人のことだろうか。エンタメや妄想にお金や時間を使って、実際に生活をよくすることには何の労力もかけたがらない人達。
『愛』とか『恋愛』も抽象的なものだろうか。追いかけるだけ虚しい。それとも、実際に相手がいる場合は具体的なもの?そういえば、恋だの愛だのと語りたがる人は女子が多いのに、哲学者は男性ばかり(あ、でも池田晶子がいるか)。男の方が存在もしない抽象に走りやすいのか。だから国家を作ったり、戦争したりするのは男なのか。
だめだ。私はもっと現実を生きよう。でも、ネットでモノを衝動買いするのはどう考えても哲学的じゃない。もうやめないと。
結局哲学って『生きるとはどういうことが』ってことなのかな。そんなの人それぞれ違うと思う。いい親に恵まれて育った人とそうでない人では、世界観も全然違うだろうし。生まれた場所によっても、国や宗教によっても違う。
『普遍的なこと』は結局『大多数がそうだと思っていること』になってしまって、変わった感覚の少数者はそこからあぶれてしまう。
時分がその『変わった少数』だったらどうしよう?
どう生きていけばいいんだろう?
やっぱり勉強しなきゃ。今からやる。




