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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2017年6月

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2017.6.18 日曜日 札幌 ラブ・オ・ショコラ展


 ラブ・オ・ショコラ展。


 なんていやらしい、わかりやすい名前だ。しかも、ラブは英語なのにショコラはフランス語だ。意味がわからない。思いついた奴に抗議したいくらいだ。

 久方は会場の文字を見つめながら、場違いな所に来てしまったと後悔していた。しかしなぜこんな展示を今時期にやるのだろう?バレンタインや夏休みならともかく──

 考えているうちに、一緒に来た早紀と結城は消えていた。慌てて探すと、展示ではなくお菓子の販売コーナーに向かって真っ直ぐ進んでいた。芸術より食い気が勝るらしい。久方は展示の方に向かった。

 チョコレートでできた彫刻がたくさん並んでいる。どれもハートや、恋人をかたどったものばかりだ。眺めている客もカップルが多い。

 久方はいたたまれない気持ちになってきた。世間一般の価値観が、自分を責めるためにここに並べられているのではないかという気がしていた。『愛』をかたどった像の一つ一つが、久方に向かって叫んでいる。

『どうだ、見てみろ。

 これはお前には絶対に手に入らないものだろう?』

 久方は像から目をそらした。まりえの作品を探そう。元々そのために来たのだから。

 他の作品は目に入らないようにし、作者の名前だけを見ながら『本堂まりえ』を探した。

 すると、招かれざる客が現れた。


 あれっ?所長じゃ〜ん!


 そこにいたのは天敵、いや、佐加美月と平岸あかねだった。

 久方は引きつった顔で動きを止めた。


 そんな露骨に嫌な顔しなくてもいいじゃ〜ん。


 佐加が怒った顔をした。


 ここは素晴らしいわ。


 平岸あかねが薄ら笑いを浮かべながら言った。


 一番奥の大きな像、見た?美青年どうしが見つめ合っているのよ。インスピレーションがわいたわ。作品展で出会った美しい画家の青年がお互いを激しく求めながら芸術の高みへ──


 久方は全力疾走で、出口に向かって逃げていった。






 おい、会場に戻れよ。


 橋本が言った。久方はもう30分近く、トイレの個室にこもったままいじけていた。


 まりえの作品をまだ見つけてねえし、

 結城と新橋を2人で放っといていいのか?


 どうせ僕は愛とは関係ないよ。


 は?


 みんなが幸せになってる間に、僕は変態のネタにされて、一人ぼっちで草原をさまよっているんだ。


 何言ってんの?


 交代してよ。


 やだね、お前の現実逃避に付き合う気はねえな。


 橋本はそう言って姿を消した。


 何だよ!今まで僕の体を勝手に使ってたくせに──


 あの〜、大丈夫ですか?


 誰かがドアをノックした。


 もうずいぶん長く入っていらっしゃるようだけど。


 久方は叫ぶのをやめ、気まずくドアを開けた。年配の係員が不審なものを見る目で久方を見た。久方は『ちょっと人の多さに酔っただけです』と小声で言い訳をして外に出た。本当は人の多さに酔ったのではなく、『世間的な愛のイメージ』にやられたというべきだろうが。

 来場者は増えていた。久方は再び展示に向かった。人が多いせいで、いまいましい恋人達の像は目に入らずに済んだ。人混みをかきわけて進んでいくと、一番奥に、ひときわ目立つ像が6体もあった。

 それが、本堂まりえの作品だった。

 どれも、久方の背より少し小さいくらいの大きさで、真ん中にローマ風の衣装を着た男女のカップル、右に男同士、左に女同士のカップルが立っていた。恋人達はお互いを見つめ合い、今にも抱きつきそうな手の動きをしていた。もちろん本当に動いているわけではないが、今にも動き出しそうなポーズをしている。

 それは、他の作家の作品とは明らかに次元の違う出来だった。他の像は止まっているが、こちらは動いていた。いや、生きていると言ってもいいかもしれない。

 久方はしばらく、自分がいじけていたことは忘れて、像に見入った。題名の所には『ごく普通の愛』と書かれていた。おそらく、性的マイノリティーへの差別を意識しているのだろう。


 これが普通?


 と久方は思った。ここまで思い合える2人が、現実の世界にいるだろうか?


 来てくれたんですね。


 まりえが近づいてきた。いつもの地味な服装と違い、赤いワンピースにチョコレートを思わせる茶色のベルトをしめている。髪にはチョコレートに見えるスイーツデコのバレッタがついていた。本物のチョコレートにしか見えない精巧さだ。まちがってかぶりつく人がいるかもしれない。


 いとおしい作品ですね。


 久方は言った。


『いとおしい』?その言葉初めて聞いたかも。


 まりえがおかしそうに笑った。久方は、自分は何か変なことを言っただろうかと思った。


 実はいろいろ迷ったんですよ。イメージはすぐできたけど題名がなかなか決まらなくて、これ、昨日『これでいいやもう!えいっ!』って勢いで書いちゃったんです。

 それに、配置にも迷いましたし。男女を真ん中にすると、いかにもこれだけがメインで左右はその次みたいになっちゃうでしょう?本当は愛に序列なんてないのに。それで、男性を前に出すか、女性を前に出すかでかなり迷ったんですけど、会場の設営の人と相談して結局こうなりました。


 それからまりえは、


 今日、結城さんと新橋さんも来てますよね?


 と言った。久方は2人のことを思い出して顔をしかめた。


 せっかく芸術作品があるのに、

 あの2人は来るなりお菓子コーナーに直行しましたよ。

 食べることしか考えてないんだ。


 いいんですよ。チョコレートは本来食べ物ですから。

 この像も、展示が終わったら破壊して食べる予定です。


 まりえがさりげなく言ったので久方は驚いた。


 だめですよ、そんなことしちゃ!


 いいんです。人によってはいろいろ加工してずっと保存しておく人もいますけど、私は、ある程度人に見せて満足したら、古い作品は破壊して食べちゃうことにしてます。そうやって、過去の栄光にすがるのを防ぐんです。古い自分を壊して、新しい作品に向かう──


 まりえは去り際にこう言った。


 久方さんも、捨てたい古い過去があったら、私が作品にして壊せますよ。もちろんお代はいただきますけど。


 まりえは他の客に声をかけて、楽しそうに話し始めた。久方はもう一度、ちらっと男女の像を見てから、その場を離れた。

 途中、別な作家が作った親子像が目に入った。20センチくらいの小さなもので、エプロンをつけた母親と、子供2人の像だった。まりえの作品に比べたら作りは雑で稚拙だったが、久方はしばらくそれをじっと見ていた。


 過去は、

 破壊してあっさり捨てられるようなものじゃない。


 久方は思った。この展示のテーマが辛いのは、自分が捨てられたということがずっと忘れられないからだ。


 いや、でも、もう関係ない。


 久方は像から目をそらし、早足で展示の外に出た。


 僕はもう大人だ。一人でやっていける。

 一人で生きてる男なんて世の中にいくらでもいる。


 販売コーナーに行くと、客のカップル率はやや下がっていた。というより、来ている人のほとんどが女性だった。久方は再び『場違いな所に来てしまった』と思った。早紀を探すと、飲食スペースでコーヒーを飲み、チョコレートを食べていた。一人のようだ。


 結城さんは『ラーメンが食いたい』と言ってどっか行きましたよ。


 ふてくされた様子の早紀が言った。


 奈々子が『ナギにチョコレートあげたら?』って言うから、()()わざわざ買ってあげたんですよ?

『これは奈々子からです』って。

 でも全然嬉しそうじゃなかった。


 きっと照れてるんだよ。


 それか、早紀に手を出さないようにするために引っ込んだか。久方は思った。あれでも結城も辛いのだろう。好きな人が別な女性に取りついていて、手が出せないのだから。


 でも、僕よりずっとましかもしれない。

 目の前に生きているのに何もできないんだから。


 久方は思った。いったんその場を離れてコーヒーを買いに行き、戻ってくると、そこには佐加と平岸あかねも来ていた。久方は再び走って逃げようとしたが、


 あ!所長!うちら所長にチョコレート買ったさ〜。

 ほら!これ!


 佐加が差し出したのは、天使の羽をかたどったチョコレートだった。久方は引きつった笑いを浮かべながらそれを受け取った。後で結城にでもくれてやろうと思いながら。

 それから女の子3人のけたたましい話を聞かされるハメになった。早紀は結城の話しかしないし、佐加は藤木の話しかしないし、平岸あかねは──思い出したくもない!



 一時間後に結城が戻ってきた時、久方はテーブルに伏したまま動けなくなっていて、また係員に『大丈夫ですか?』と肩をゆさぶられていた。結城は係員に謝ってから、『僕には愛は無理だ』とか何とかブツブツ言っている久方を引きずっていき、車に放り込んだ。早紀は他の女子と共に札幌で遊ぶことにしたらしい。


 お前は何をいじけてるんだ!?


 車を運転しながら結城が怒鳴った。


 ブツブツ言ってる暇があったら、

 とっとと当たって砕けちまえ!


 頭に響くから怒鳴らないでよもう。


 久方は弱々しくつぶやいた。頭の中には、あの男女の像のイメージと、親子のイメージと、自分の2人の母親──あの人と、神戸の母親──のイメージがごちゃまぜになって混沌としていた。その中で早紀の姿だけが、はっきりとしているのだった。

 だけど、手が出せない。

 早紀は自分に興味がない。

『普通の愛』は、自分には手の届かないものなのだ。


 久方は帰ってすぐ寝込んでしまった。

 ひどく疲れていた。





 

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