表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2017年6月

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

846/1131

2017.6.13 火曜日 研究所


 久方は、結城の部屋のドアに貼り付いて、中の様子をうかがっていた。ピアノの音と、早紀(いや、奈々子さんだ)の歌う声が聴こえてくる。少し発声して、結城が何かしゃべり、また発声する──を繰り返しているようだ。

 早紀と結城を2人きりにするのは気が気でなかった。結城が奈々子さんを愛しているのは知っていたし、奈々子さんも、そして早紀までも、結城が好きなのだ。まずいことが起きるのではないかと久方は心配していた。

 中の様子を探るのに夢中になっていたため、久方は、下から人が近づいてきていることに気がつかなかった。


 何してんの所長?


 はっとして振り返ると、そこには、ニヤニヤしている佐加と、微妙な笑いを浮かべたヨギナミがいた。止まってしまった久方のことは気にせず、佐加は隣に来て、同じように貼り付いて中の物音を聞こうとした。

 

 やっぱり、前みたいな声を出すのは無理だな。

 新橋の喉では。


 結城が言った。


 がっかりした?


 奈々子が尋ねた。


 少しね。


 結城が言った。


 練習しよう。


 またピアノを弾き始めた。奈々子は少し歌った。

 それから、


 ねえ。


 曲を中断して話し始めた。ピアノが止まった。


 もし、私があの日、音楽教室に行ってたら──


 告白するつもりだった。


 結城がはっきりと言った。


 俺だけのものになってくれって言うつもりだった。


 キャー!!


 佐加がドアの前で叫んだ。ヨギナミと久方は慌てた。結城がドアに近づいてくるのが足音でわかったので、廊下の3人は慌てて階段を駆け下り、1階に逃げた。


 練習するぞ。


 結城は少々いらついた声で言いながらピアノに戻った。





 ヤバくね!?ヤバくね!?めっちゃヤバくね!?


 1階では、佐加が興奮のあまり何度も叫んでいた。


 静かにしてくれないかな。


 久方はソファーで横になって頭を抱えていた。リアルに頭痛がしていた。


 私、止めに行った方がいいかな。


 ヨギナミが言った。


 あのまま放っといたら2人で何するかわかんないよね。


 体はサキなのに!


 佐加がまた大声を出し、久方が頭痛にうめいた。

 ヨギナミと佐加は再び2階へ向かった。


 結城さぁ〜ん!


 佐加がドアに向かって声を上げた。


 お菓子持ってきたんだけど、食べるぅ〜?


 するとドアが開き、結城が不機嫌な顔で出てきて、


 練習の邪魔だ。


 とだけ言って、再びドアを閉めようとした。


 ちょっと待って。


 ヨギナミがドアを押さえた。そして、


 体はサキのものだって忘れてないよね?


 結城に向かって厳しい眼差しを向けた。


 わかってるって。


 結城は薄く笑うと、ヨギナミの手をドアからはずして、閉めた。2人はしばらく様子を見ていたが、ピアノと歌声しか聞こえてこない。


 ここにポッキー持ってきて食う?


 佐加が言った、ヨギナミがうなずいた。






 久方はソファーで悶えていた。

 結城め、何が『俺のものになってくれ』だ。一体何をする気だったんだ(いや、そんなことは考えるまでもなく明白だ!)。これからサキをどうする気だ。そうだ、今目の前にいるのは奈々子さんじゃない。サキなのだ。どうにも許しがたい。しかし、何も言えない。

 頭痛は本格的にひどくなり、薬を取りに行こうにも、少し動くと痛みが増すので動けない。ヨギナミと佐加はどこかへ行ってしまった。帰ってくれればいいのにと久方は思ったが、佐加のことだ、まだ2階で何か企んでいるだろう。

 だめだ、このまま放っとく訳にはいかない。

 久方は痛みをこらえながら立ち上がり、階段に向かって数歩歩いた。しかし、ピアノの音と佐加の声(なんと、奈々子と一緒に歌っている!)がうるさすぎて頭が割れそうになり、キッチンに逃げ込んで床に倒れた。





 その頃、結城と奈々子は、廊下から聴こえてくる佐加の歌声と、ヨギナミであろう手拍子にすっかり調子を狂わされていた。


 何なんだあいつら。


 結城はいらつきながらドアを見た。


 サキが心配なの。それだけ。


 奈々子が薄く笑った。


 でもこれじゃ練習にならないだろ。


 そう?私はけっこう楽しいけど?

 誰かが一緒に歌ってくれるの。


 奈々子が言うと、結城はため息をついた。


 私はもうひととおり歌ったから、

 あとはサキと発声練習してあげて。


 おい、待ってくれ。


 結城が慌てた。しかし、奈々子は引っ込み、早紀が戻ってきた。早紀はドアに向かって走り、


 戻ってきたから、解散!


 と叫んだ。佐加とヨギナミが階段を駆け下りていく音が聞こえた。

 早紀は振り向いてにっこり笑うと、


 発声練習しましょう!


 と叫んだ。結城はあからさまに困った顔でため息をついた。





 所長さん、大丈夫?


 ヨギナミが久方の顔をのぞきこんだ。佐加と2人で1階に戻ったら、頭痛薬の箱をつかんだまま倒れている久方を発見し、慌ててソファーまで引きずっていったのだった。


 放っといてくれぇ。


 久方が今にも死にそうな声を発した。


 もうサキ戻ってきたから大丈夫だって。


 佐加が言った。2階からは、サキの、張り切りすぎている発声が聴こえてくる。久方の頭痛はさらにひどくなった。

 どいつもこいつも、なぜピアノ狂いに夢中なんだ!?

 久方は目を閉じ、世界の全てを締め出そうとした。今はモノクロの森に行こうとしても無理だろう。頭が痛すぎて集中できない。

 ヨギナミと佐加は、早紀が戻ってくるのを待っているようだ。早く帰ってほしいのに、ポット君が笑顔を表示しながら、コーヒーを運んできてしまった(女の子に弱い仕様をなんとかしてくれと、そのうち岩保に伝えなくては)。

 久方は頭痛をこらえながら、佐加とヨギナミのとりとめのない話を聞かされるハメになった。最近河合先生が試験だ試験だとうるさいとか、南先生はいつ結婚するんだろうとか、奈良崎と伊藤ちゃんをくっつけるにはカッパが邪魔だとか、海外のセレブの服はどうとか、とにかくどうでもいい話ばかりを。

 夕食の時間が近づいた頃、ピアノと声は止み、早紀がにこにこしながら降りてきた。後ろから結城もついてきた。


 発声練習、楽しい!


 早紀はヨギナミ達の所に来るなり、言った。


 私、本格的に歌やろうかな。


 腹減った。おい、今日はメシ食いに行くぞ。


 結城が久方に言った。


 頭痛がするから一人で行ってよ。


 久方は弱々しくつぶやいた。


 さっき、キッチンに倒れてたよ。


 ヨギナミが言った。


 ほんと?大丈夫?病院行く?


 結城が言った。


 大丈夫ですか?


 早紀が久方に近づいて顔をのぞきこんだが、久方は目を開けることができなかった。


 お前らもう帰れ。

 メシ食いに行くついでに車で送るわ。


 結城が言った。女の子達がきゃあきゃあ言いながら後について部屋を出ていった。一人残された久方は、痛みをこらえて起き上がり、壁にすがるようにしてなんとか2階の自分の部屋にたどりつくと、ゆっくりとベッドに倒れた。


 結城、佐加達を味方につけようとしてるな。

 本当はサキ君のことも狙ってるんじゃないか?


 そういう疑念が心から消えてくれない。でも、どうしたらいいかわからない。

 ベッドでうめいていると、人の気配がした。

 橋本が隣に立って、静かな目で久方を見下ろしていた。


 お前はいいかげん、自分の気持ちを伝えろ。


 橋本は言った。


 無理だよ。


 久方はつぶやいて、全てを拒絶するように顔を枕にうずめた。橋本はそれ以上何も言わずに消えた。久方は痛みが消えるのをひたすら待っていた。しかし、結城が弁当を持って帰ってきても、夜中、みんなが寝静まる頃になっても、痛みはおさまらなかった。いや、痛みは少しずつ引いていったのだが、別な痛みが大きくなっていた。

 早紀は結城に夢中で、

 自分のことなんかまるで考えてくれない。

 そういう痛みが。







 


 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ