2017.6.12 月曜日 サキの日記
今日は辛かった。学校ではパニックを起こしかけるし、やっと結城さんと話せたと思ったら、進路指導みたいな説教された。
授業中、急に『みんながあの動画を見て、私をバカにしてるんじゃないか』『これからもずっと悪口を言われ続けるんじゃないか』という考えに襲われた。心臓がバクバク鳴って、手が震えて、文字が書けなくなった。昔されたこととか、見せられた残酷な画像とか、youtubeのコメントなんかが一気に頭の中によみがえってきて、叫びたくなった。このままだと何か変なことをしてしまいそうだと思った。
落ち着け、ここは安全だ。
今は何も起きていない。
そう言い聞かせていたら、30分くらい過ぎてチャイムが鳴った。私は平静を装ってトイレに行き、窓の近くまで行って深呼吸した。なんとか落ち着いてはきた。けど、
どうしよう、次の授業耐える自信ない。
と思った。でも私は『普通の人のフリ』をして席につき、何とか、昼までやり過ごした。後ろを見たら奈良崎が授業中なのに爆睡してた。かわいい。自称イケメンの寝顔。少し心が和んだ。斜め後ろの藤木が『前を見ろ』と身振りで合図してきたので前を見たら、先生と目が合ってしまい、わからない問題を当てられて焦った。前のスマコンが時々こちらを振り返ってくるので、いろいろ気づかれてるんじゃないかと心配になった。でも何も言ってこなかった。
昼休みは学校祭の話をした。佐加はどうしてもこの教室をピンクとスイーツでデコりたいと言い張っているが、もちろん杉浦が反対している。ヨギナミの『空いてる教室でやれば?』という案も気に入らないらしい。そして、学校全体をピンクキラキラデコすることもまだ諦めていない様子。もう1ヶ月しかないのに。
午後の授業もずっと『平気なフリ』でやり過ごした。不安のピークは過ぎていて、まだ嫌な映像が頭の中をちらついていたけど、何とか普通に授業終えられた。
でも、いつまでこれが続くんだろう。
私は帰り道で落ち込んでいた。一生こういうのが続くんだろうか。何をしててもあいつらが私にまとわりついてくるんだろうか。嫌すぎる。辛い。
気がついたら、研究所への林の道を歩いていた。ちょうど所長が畑から帰ってきた所だった。一緒に中に入った。結城さんが1階でテレビを見ていた。
おう新橋。ちょっと話があるんだけど、いい?
いきなり話しかけられたのでびっくりした。話って何だろうと思った。実は奈々子が好きだからとか言われたらどうしよう?『俺達のために犠牲になってくれ』とかそういうこと言われたら──
新橋さ〜、将来なりたいものとかないの?
想像と全く違う話題だったので、一瞬何を言われたかわからなかった。
保坂も学校の他の奴らもそうだけどさ、みんな将来なりたいものがあって、そのために勉強したり技術を磨いたり、目標に向かって努力してるだろ?
お前は何してんの?
久方とおままごとして遊んでるだけ?
すごくバカにした言い方だったので、私は『まだやることが決まってないだけ!』とか『大学行くための勉強はしてる!』とか言ったけど、はっきり言って痛いところを突かれたと思った。
私には、得意分野というものがない。
文章を書きたいとは思っているけど、他のことにはあまり興味がない。
真面目に考えた方がいいと思うよ。
若い頃なんてあっという間に過ぎて、気がついたら何にもできない中年になって、世の中に居場所も仕事もなくなる。
お前は今のままだと絶対そうなるぞ。
ひどいと思ったので『じゃあ結城さんはどうなんですか?』と聞いたら『俺は好きなことしかしないことにしてるからいいの』とやっぱり小バカにしたように言われた。なので、じゃあ私も好きなことしかしないと言った。
私は文章書くのが好きなのでそれでいきます。
あと、結城さんのことも好きなので、
奈々子に何と言われようと諦めませんよ!
勢いで言っちゃってから『ヤバい、告白しちゃった!』と急に恥ずかしくなって、地下室に逃げた。
とうとうやってくれちゃったねえ。
奈々子が現れて、なぜかおもしろそうに笑っていた。余裕たっぷりって感じ。腹立つ。
ま、元からあなたの気持ちはバレバレだから、
ナギもそんなに驚いてはいないと思う。
何それムカつくんですけど。
がんばって。一応応援してるから。
そう言って奈々子は消えた。一応って何だ。
地下室で座り込んでいたら、かすかにピアノの音がした。『クープランの墓』、奈々子が好きだったやつ。
なんか、ものすごい拒絶を感じてさらにいじけた。
ひどい。せめて今は別な曲にしてくれればいいのに。
でも、どうしたらいいんだろう。私は結城さんに、奈々子のことを忘れてほしい。でも結城さんは、私を見るたびに奈々子を思い出すんだ。
地下室の床に転がって悩んでたら、
サキ君、そんなとこで寝たら風邪ひくよ。
所長が様子を見に来た。自分だって猫と一緒に床に寝てるくせに。
ファヤージュを持って1階の部屋に戻ったら、ポット君がコーヒーではなくココアを持ってきた。所長、ロボットにまで『女の子が落ち込んでいたら甘いものを出せ』と教えているんだろうか。
サキ君は真っ直ぐだね。自分の感情に。
ココア飲んでたら、所長がしみじみと言った。
若いんだなあ。
僕くらいの歳になると、
そんなに真っ直ぐにはなれないんだよ。
所長いくつですか?まだ20代ですよね?
だけど本当にそうなんだ。
思ってることをそのまま口にすることが、だんだん難しくなっていくんだよ。
毎年、少しずつね。
私だって思ってることを何でも言ってる訳じゃない。私はさっき、授業中にパニックを起こしかけた話をした。あの時に思ったことをそのまんましゃべっていたら、『授業中に性犯罪についてわめきちらすブチ切れ女』になっていたことだろう。私だって言えないことはたくさんあるのだ。
僕も似たような状態になること、あるよ。昔のことを思い出したり、怖い人のことが頭に浮かんだりしてね。
これっていつまで続くんですか。
やっぱりずっと続くんですか。
強くなったり弱くなったりを繰り返してる。
でも、耐えられないほどじゃない。
それに、他にもやることがたくさんあるしね。
考えることも。
それから所長は、
僕は、サキ君に悪い影響を与えたんじゃないかってずっと心配していた。
と言った。若い人をこんな田舎に来させてしまって、他にやるべきことできなくさせてしまったんじゃないか、というのだ。東京の方がいろんなチャンスがあるのに、とか。私は『どうせ向こうにいても家にこもるか、街をふらふら歩いて変な人に引っかかるかしただけですよ』と言ってあげた。本当は、秋倉に来たことを少し後悔したこともある。でも、今思うと、ここは安全だ。
私には、平岸家の愛情と安全が、必要だったのだ。
たぶん、今も。
所長はまだ初島を怖がっているし、私もまだ昔のことやネットの中傷が怖い。でも、何とか『普通の人のフリ』をして生きている。普通のフリをしているうちに、本当に平気になれたらいいのに、と思いながら。
夕飯は餃子とチャーハンで、あかねが『なんで炭水化物組み合わせるのよ!太るでしょ!』と文句を言いながら、出されたものはきちんと全部食べていた。平岸ママは餃子の包み方を説明してくれたが、『横を折ると中身が出なくていい』という所しか覚えていない。修平は今日、伊藤ちゃんと聖書と仏陀について話をしていたとか言ってた。伊藤ちゃんは一体何がしたいのだろう?
食べ終わって部屋に戻ったら奈々子が出てきた。ニヤニヤ笑っていたので嫌な予感がした。
頼みたいことがあるんだけど。
何?
『結城さん』と一緒に歌の練習がしたいの。
えー……
えーって何よ?頼んでみて、LINEで。
奈々子はそう言って、ニコッと笑って消えた。何それ、私が告白しちゃったから対抗心が出たとか?
スルーしようかと思ったけど、一応結城さんに伝えてみた。すると、
明日の3時に、2階に来い。
という返事がすぐ来た!
何それ?私が送ったのはいっつもスルーするくせに、
奈々子だと即レスなの?何なの?
私はどう考えていいかわからなくなった。返事が来たのは嬉しい。でもそれは奈々子が関わっているからだ。
結城さん、何考えてるんだろう?
奈々子のためなら私が犠牲になってもいいと思ってる?
奈々子は何をする気なの?
まさか、私の体を使って結城さんと付き合う気じゃないだろうな。
悶々と考えてたら、ヨギナミがドアをノックしてきた。私は今起きていることをそのまま相談した。そしたら、
私明日バイト休みだから、
一緒に行って見張っててあげようか?
と言った。佐加も誘ってみようと言っていた。そうだ、ここは佐加の行動力をあてにしてもいいかもしれない。でも佐加って、どちらかというと幽霊に同情してなかったっけ?
若干の不安を感じつつ、私達は明日の計画を立てた。まず私が研究所に行って、少し後から、偶然を装ってヨギナミと佐加が遊びに来て、結城さんと奈々子を見張る、ということになった。
ヨギナミが鍵を持って出ていってから、私は少し安心して勉強ができた。
友達ってありがたい。なんか、こういう共同作戦みたいなことができる友達、今までいなかったかも。
あ、そういえばリオはどうなっただろうと思ってfacebook見たら、ものすごいイケメンと『一緒にいます』な写真を出していた。やっぱりリオって、世界のどこでもモテるんだな。うらやましい。
そういえばリオ、父親がすごく嫌な奴だって言ってたっけ。やっぱり、たまに昔のことを思い出して悩んだりするんだろうな。でも私が今画面で見ているリオは、美しくて賢くて自信に満ち溢れている。
人って、わからないんだ。表に出てるものだけでは。街を歩いているたくさんの『普通の人』も、実は必死で『普通のフリ』をしているだけなのかもしれない。それぞれに恐ろしいものを抱えて、必死で正気を保とうとしているのかもしれない──
私はずっと、そんなことを考えていた。




