2017.6.11 日曜日 サキの日記
奈々子のためじゃなくて、
結城さんのためだと思って協力してあげたら?
平岸家でふてくされてテレビ見てたら、あかねが言った。
結城さんも、人生に迷ってる感じするでしょ?
あんたが過去から解放してあげなさいよ。
奈々子を使って、女シャーマンとか巫女みたいに。
──思いついたわ!美形のシャーマンが、美少年を悪魔から開放するために快楽を教えて絶頂に──
私はテレビの間から走って逃げ出し、そのまま研究所に行った。奈々子のことは気に入らないしあかねの妄想はもっと困るけど、『奈々子を使って結城さんを解放してあげる』はいい考えだと思った。だって、結城さんは今でもあのトッカータにとらわれてる。つまり、過去に。ろくに仕事も演奏活動もせずに、所長の世話をするという名目で田舎にこもってしまっている。
本当なら、もっと活躍していてもおかしくないのに。
研究所に近づくと、ショパンの『舟歌』が聴こえてきた。前にこれを聞きながら居眠りしたことがあったっけ。中に入ると、テーブルの上に毛糸のマフラーや帽子やベストが山積みになっていてびっくりした。しかも、触ろうとしたら中からかま猫が飛び出してきて、びっくりして転びそうになった。
結城が、編み物教室のおばあさん達からもらったんだよ。
所長が言った。
年配のご婦人まであいつに夢中なんだ。
世の中どうなってるのか訳がわからないよ。
所長は不満げだったけど、モヘアの帽子がめっちゃ似合っててかわいかった。そう言ったらすごく嫌そうな感じで帽子を取ってしまったので、無理やりかぶせ直して、しばらく所長にマフラー巻いたりベスト着せたりして遊んだ。どれも結城さんサイズで作られていて、所長には大きすぎた。
結城さん、前に『女の編み物は重い』とか言ってませんでしたっけ?おばあちゃんなら平気なんですかね。
たぶん、そんなに情念こもってないからだと思うよ。
『情念』という言葉で、所長は初島のことを思い出したらしい。初島が橋本に抱いている感情はまさに『情念』そのものだからだ。
最近わかったこと。初島は父親から暴力を受けていて、橋本のことは『不幸な仲間』だと勝手に思っていたらしいとのこと。男に対する恨みと、橋本に対するかなり屈折した愛情(なのかな、よくわからない)を抱いていて、それが『息子を犠牲にして友人を復活させる』というまずい行動につながったのでは、とのこと。
少なくとも『母さん』がなぜおかしくなったのかはわかってきたよ。
と所長は言ったけど、私は疑問に思った。親から暴力を受けても、きちんと普通に生きてる人はいくらでもいる(所長だってそうだ)。本当にそれだけがあの不気味さの原因なのか?初島が元々性格に歪みや偏りを持っていたとは考えられないか?私は所長にそう言ってみた。『それもあるかもしれない』と言ったけど、すぐ話題を変えられた。
本堂まりえさんに札幌のイベントに誘われたけど、人が多そうだから行きたくない。でも結城さんは行けとうるさい。たぶん当日に強制連行されるんじゃないか、と。
結城さん、まりえさんと所長をくっつけようとしているな。イベントいつって聞いたら来週の日曜日だった。私も行きたいって言ったら『伝えておくよ』と言っていた。所長とまりえさんも気になるし、チョコレートのイベント自体も気になる。何するんだろう?
ピアノが止まり、結城さんが降りてきた。マフィンを3つ持っていて1つくれた。
私は早速、あかねが言っていたシャーマン作戦を実行することにした。奈々子は嫌いだけど、結城さんのために奈々子に協力することにした、と本人に伝えた。もう好意を隠すのはやめて、堂々とぶつかることにした。
結城さんは『あ、そう』と気のない返事をしてから、テーブルの上の毛糸の山を指さして『あん中にほしいのある?』と尋ねた。黄色とオレンジの、夕日のようなグラデーションのマフラーがあったのでそれを選んだら、結城さんが、それを、私に巻いてくれた。
ふわっと。優しく。
おー似合うな〜!おばあちゃんわりとセンスいいな〜。
結城さんが嬉しそうに言った。
もっとババくさいもの作ってるかと思ったら、意外と最近の流行も取り入れてんだよな〜。
結城さんはそう言いながら、テレビを見始めた。
またアイドルだ。
でも私は怒る気になれなかった。結城さんの手の感触とか、近づいてきた時の熱とか、マフラーの暖かさとか──とにかく、今起きたことで頭がいっぱいになった。こんなささいなことをこんなにも幸せに感じるなんて。
やっぱり私は、この人が好きなんだ、と思った。
サキ君、暑くない?
自分も帽子をかぶったままの所長が尋ねてきた。私達は帽子とマフラーを取って、外へ出かけた。小雨が降っていた。アジサイにナメクジみたいなのがついていた。水滴が草を彩っていた。
でも私は、結城さんのことで頭がいっぱいで、他のことは何も考えられなかった。奈々子のことも完全に忘れていた。所長は『女の子にあげるなんて、おばあちゃん達に知られたら怒るよきっと』とか、ブツブツ文句を言い続けていた。
今、私は自分の部屋に戻ってマフラーを見つめている。これを身につけるべき季節はまだずっと先だ。なのに、気がついたら手に取って眺めてる。
こんなことしてていいんだろうか。
試験前なのに。
そういえば、私イベントにも参加するって言っちゃったんだっけ?試験の直前に?もういいや、どうでも。とにかく結城さんと一緒に過ごせればいいんだ。




