表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2017年6月

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

844/1131

2017.6.11 日曜日 サキの日記

 奈々子のためじゃなくて、

 結城さんのためだと思って協力してあげたら?


 平岸家でふてくされてテレビ見てたら、あかねが言った。


 結城さんも、人生に迷ってる感じするでしょ?

 あんたが過去から解放してあげなさいよ。

 奈々子を使って、女シャーマンとか巫女みたいに。

 ──思いついたわ!美形のシャーマンが、美少年を悪魔から開放するために快楽を教えて絶頂に──


 私はテレビの間から走って逃げ出し、そのまま研究所に行った。奈々子のことは気に入らないしあかねの妄想はもっと困るけど、『奈々子を使って結城さんを解放してあげる』はいい考えだと思った。だって、結城さんは今でもあのトッカータにとらわれてる。つまり、過去に。ろくに仕事も演奏活動もせずに、所長の世話をするという名目で田舎にこもってしまっている。

 本当なら、もっと活躍していてもおかしくないのに。

 研究所に近づくと、ショパンの『舟歌』が聴こえてきた。前にこれを聞きながら居眠りしたことがあったっけ。中に入ると、テーブルの上に毛糸のマフラーや帽子やベストが山積みになっていてびっくりした。しかも、触ろうとしたら中からかま猫が飛び出してきて、びっくりして転びそうになった。


 結城が、編み物教室のおばあさん達からもらったんだよ。


 所長が言った。


 年配のご婦人まであいつに夢中なんだ。

 世の中どうなってるのか訳がわからないよ。


 所長は不満げだったけど、モヘアの帽子がめっちゃ似合っててかわいかった。そう言ったらすごく嫌そうな感じで帽子を取ってしまったので、無理やりかぶせ直して、しばらく所長にマフラー巻いたりベスト着せたりして遊んだ。どれも結城さんサイズで作られていて、所長には大きすぎた。

 

 結城さん、前に『女の編み物は重い』とか言ってませんでしたっけ?おばあちゃんなら平気なんですかね。


 たぶん、そんなに情念こもってないからだと思うよ。


『情念』という言葉で、所長は初島のことを思い出したらしい。初島が橋本に抱いている感情はまさに『情念』そのものだからだ。

 最近わかったこと。初島は父親から暴力を受けていて、橋本のことは『不幸な仲間』だと勝手に思っていたらしいとのこと。男に対する恨みと、橋本に対するかなり屈折した愛情(なのかな、よくわからない)を抱いていて、それが『息子を犠牲にして友人を復活させる』というまずい行動につながったのでは、とのこと。

 

 少なくとも『母さん』がなぜおかしくなったのかはわかってきたよ。


 と所長は言ったけど、私は疑問に思った。親から暴力を受けても、きちんと普通に生きてる人はいくらでもいる(所長だってそうだ)。本当にそれだけがあの不気味さの原因なのか?初島が元々性格に歪みや偏りを持っていたとは考えられないか?私は所長にそう言ってみた。『それもあるかもしれない』と言ったけど、すぐ話題を変えられた。

 本堂まりえさんに札幌のイベントに誘われたけど、人が多そうだから行きたくない。でも結城さんは行けとうるさい。たぶん当日に強制連行されるんじゃないか、と。

 結城さん、まりえさんと所長をくっつけようとしているな。イベントいつって聞いたら来週の日曜日だった。私も行きたいって言ったら『伝えておくよ』と言っていた。所長とまりえさんも気になるし、チョコレートのイベント自体も気になる。何するんだろう?

 ピアノが止まり、結城さんが降りてきた。マフィンを3つ持っていて1つくれた。

 私は早速、あかねが言っていたシャーマン作戦を実行することにした。奈々子は嫌いだけど、結城さんのために奈々子に協力することにした、と本人に伝えた。もう好意を隠すのはやめて、堂々とぶつかることにした。

 結城さんは『あ、そう』と気のない返事をしてから、テーブルの上の毛糸の山を指さして『あん中にほしいのある?』と尋ねた。黄色とオレンジの、夕日のようなグラデーションのマフラーがあったのでそれを選んだら、結城さんが、それを、私に巻いてくれた。

 ふわっと。優しく。


 おー似合うな〜!おばあちゃんわりとセンスいいな〜。


 結城さんが嬉しそうに言った。


 もっとババくさいもの作ってるかと思ったら、意外と最近の流行も取り入れてんだよな〜。


 結城さんはそう言いながら、テレビを見始めた。

 またアイドルだ。

 でも私は怒る気になれなかった。結城さんの手の感触とか、近づいてきた時の熱とか、マフラーの暖かさとか──とにかく、今起きたことで頭がいっぱいになった。こんなささいなことをこんなにも幸せに感じるなんて。

 やっぱり私は、この人が好きなんだ、と思った。


 サキ君、暑くない?


 自分も帽子をかぶったままの所長が尋ねてきた。私達は帽子とマフラーを取って、外へ出かけた。小雨が降っていた。アジサイにナメクジみたいなのがついていた。水滴が草を彩っていた。

 でも私は、結城さんのことで頭がいっぱいで、他のことは何も考えられなかった。奈々子のことも完全に忘れていた。所長は『女の子にあげるなんて、おばあちゃん達に知られたら怒るよきっと』とか、ブツブツ文句を言い続けていた。

 

 今、私は自分の部屋に戻ってマフラーを見つめている。これを身につけるべき季節はまだずっと先だ。なのに、気がついたら手に取って眺めてる。

 こんなことしてていいんだろうか。

 試験前なのに。

 そういえば、私イベントにも参加するって言っちゃったんだっけ?試験の直前に?もういいや、どうでも。とにかく結城さんと一緒に過ごせればいいんだ。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ