2017.6.7 水曜日 図書室 高谷修平
図書室のカウンターで、伊藤とスマコンがプチプラコスメの話をしている。その様子を少し離れた所から、修平と奈良崎がうかがっていた。
「伊藤ちゃんは化粧する必要ないよな」
奈良崎が言った。
「スマコンは呪術するのに使いそうだけど」
「呪術って何だよ怖いって」
「なんか俺達、ひそかに呪われてたりしない?」
「なんで?」
「いや、ライバルだから?」
奈良崎は勧められた本はちらっと見るだけで、ずっと伊藤の方を見ていた。それは修平も同じだった。
前、伊藤は、自分のために祈っていると言ってくれた。
クラス全員が、修平の気持ちに気づいている。
では、伊藤は自分のことをどう思っているのか?
修平はそれが聞きたかったのだが、スマコンが邪魔た。先程からずっと伊藤にくっついて話していて、離れる様子がない。
「杉浦が来なくなったから静かでいいわね」
スマコンが言った。
「ほんとは私も塾に行った方がいいんだろうけど」
伊藤が言って、ちらっと修平の方を見た。修平は本の整理をしているふりをした。
「どうせ杉浦が自論を展開してうるさいだけでしょ?一人で勉強した方が効率がよくってよ」
「あのさあ」
修平は話に割って入った。
「また付箋貼ってある本見つけたんだけど」
修平はある政治家の本を差し出した。そこには、
『廃品回収行き』
という付箋が貼ってあった。
「原田先輩ね。卒業してからもこんなに出てくるなんて」
伊藤は呆れた顔をしながら付箋をはがし、足元のゴミ箱に捨てた。
「執念を感じるわね。『俺を忘れるな!』って叫んでるみたい」
スマコンが言った。
「今頃どうしてるだろうね」
修平はあの変な人が懐かしくなった。
「東大には落ちたんでしょ?」
スマコンが伊藤に尋ねた。
「たぶん何年浪人してでも入る気だと思う」
「そのうち自分で変な政党とか作っちゃったりしない?」
修平が言った。伊藤を見ながら。
「いくらあの人でもそれはないでしょ」
伊藤が苦笑いした。
「原田先輩は一匹狼だから群れにはなれないのよ。ずーっと一人でしょうね」
スマコンが言った。修平は奈良崎の方を見た。こっちを見ていたようだが、修平と目が合いそうになるとあわてて目線を本に戻した。なぜ話に入ってこないのだろう?そういえば、奈良崎の口から先輩の話を聞いたことがない。あまり仲良くなかったのかもしれない。
「スマコンさあ、せっかく図書室に来てるんだから本読めば?」
修平が言った。
「あら、わたくしと伊藤の仲を邪魔するつもり?」
スマコンがニヤッと笑った。
「本の整理は終わったの?」
伊藤が尋ねた。
「来てる人少ないからほとんど動いてないって」
「付箋に気づかなかったのに?もう6月だよ?」
「気づけねえって!政治家の本なんて読むのあの人くらいでしょ?」
「そもそもどうしてそんな本が図書室にあるのかしら」
スマコンは不思議がっていた。
「いろんなジャンルの本を均等に入れるから」
伊藤が立ち上がった。
「私も本棚を見て回りますから、高谷がここに座っててください」
「えっ?」
修平が止まってる間に、伊藤は本棚の奥へ行ってしまった。奈良崎が立ち上がって嬉しそうにその後を追っていった。
修平はしぶしぶカウンターに座った。椅子が温かい。伊藤の熱だ。
スマコンはまだ向かいにいて、カウンターに頬杖をついてニヤニヤ笑っていた。
「何?」
「伊藤の気持ちが知りたくて仕方ないのね?」
スマコンが言った。
「悪いけど、仕事の邪魔しないでくれない?」
「まあ、すっかり図書委員気取りね」
「俺は本物の図書委員だって!」
「どうでもいいわ。それより」
スマコンは真面目な顔になった。そして小声で言った。
「あなた、体調が良くないわね」
修平は黙っていたが、確かに朝から体に力が入らず、ふらふらしていた。
「大したことないと思ってやり過ごそうとしてる。でも、気をつけなさい。私のハイヤーセルフが言ってるの、それは軽いものじゃないって。もっと深刻にとらえなきゃいけないものだって」
修平は黙っていた。
「言っても無駄そうね」
スマコンは立ち上がり、本棚に向かった。『2人で何をコソコソしているのかしら!?』という大声が聞こえ、伊藤と奈良崎が何か話しているのも聞こえた。
『修平君』
新道先生が声だけで話しかけてきた。
『須磨さんの言うとおりではないですか?』
修平は黙っている。
『気持ちはわかるが、そろそろ戻ることを考えた方がいいかもしれませんよ』
「ダメだよ」
修平がつぶやいた。
「まだ何もわかってない」
橋本がなぜ死んだかもわかってない。先生を成仏させる方法も、奈々子さんを救う方法もわかってない。
何より、伊藤のことが何もわかっていない。
「高谷!来て!また変な付箋見つけちゃった!」
伊藤が叫んだ。修平は本棚に向かおうとして数歩歩き──床に倒れた。意識はあったが、体に力が入らなかった。奈良崎が飛んできて、修平の肩を担いで保健室まで引きずっていった。伊藤とスマコンもついてきた。
南先生は、自分の車を出して隣町の診療所へ修平を運んだ。手伝うため奈良崎も車に乗った。
診療所には平岸パパも同時に到着した。
点滴を打ってしばらくすると、修平は普通に歩けるようになったが、念のため一晩入院することになった。平岸パパが付き添いのため残り、南先生は奈良崎を連れて帰っていった。
「友達思いだなあ、保君は」
平岸パパが陽気に言った。修平はうつむいたままだった。
自分でも気づいていた。もう限界かもしれないと。
秋倉に来てからはずっと調子がよく、このままどんどん体力をつけて、いずれは『普通の人』みたいに健康になれるかもしれないと思っていた。
でも、そうではなかった。
やはり、生まれつきの弱さには勝てないのだ。
修平はすっかり落ち込んでいた。隣のベッドでは、自分よりさらに弱そうな老人が寝ていた。目は開いているが、空中を見つめているだけで、全く動かない。
俺だってこの人と大して変わらない。
泣きたくなってきた。さっきの奈良崎の動きの機敏さを思い出すと、助けてもらったのに、感謝よりもうらやましさと妬みの方が強かった。いや、あいつはいい奴だ。人を助けるのに全く躊躇しない。でもうらやましい。ああいう風に生まれたかった。
平岸パパは家に電話していた。修平の家族に。『お母さんと話したい?』と聞かれたが首を横に振った。今、あのママさんのキンキン声を聞くのは嫌だった。どうせ『帰ってきて入院しろ』と言うに決まっている。もしかしたら、寝てる間に勝手に元いた大病院に運ばれて一生出られないかも──そう思うと修平はうかつに眠る気にもなれなかった。
「お父さんが話したいらしいよ」
平岸パパがスマホを修平の枕元に置いた。
『生きてるか?』
高谷修二の低い声がした。
『かろうじて息はしてるよ』
修平は嫌々スマホに話しかけた。
『そうか』
少し間を置いてから父は、
『まだ、諦めたくないか?』
と尋ねた。
「当たり前でしょ?諦めたい人なんてこの世にいるかな?病気でさえなければ誰だって──」
『じゃあ、まだ諦めるな』
父は言った。
『お前が北海道に行くって言い出した時から、こっちはいろいろ覚悟してる』
修平は何も言えなくなった。
『納得がいくまでやってこい。ユエは俺がなんとかするから』
後ろでママさんがわめいている声がしたかと思うと、
『じゃあな』
という声で、電話は切れた。
「母さんに電話してくるよ。心配してるだろうからね」
平岸パパはそう言うと、スマホを持って廊下に出ていった。修平は涙が溢れてくるのを止められなかった。
そうだ。父も母も、心配でたまらないのだ、本当は。でも、自分のやりたいことをわかってくれているから、ここに来させるという危ない決断をしてくれたのだ。
修平が手で涙をぬぐっていると、いつの間にか新道先生が実体化して、枕元に立っていた。
『まだ、戻る気はないんですね?』
「ないよ」
修平は答えた。
「帰ったら、久方と橋本に会いに行こう。先生、そろそろ橋本と話した方がいいよ。先生にならあいつも何か話すかもしれない」
修平は、声だけは、元の元気を取り戻していた。




