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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2017年6月

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2017.6.4 日曜日 サキの日記

 午前中あかねと話をした。マンガことはよくわからないと言ったら『マンガ読まないなんて日本人じゃない』とまで言われてしまった。でも私は普通の本だけでも膨大な量があるから、良質な本だけを読んだとしても時間が足りなくて、マンガなんか見てる暇ないと言った。この点で、本好きの私とオタクのあかねとは意見が合わなかった。

 気まずくなったので、私は昨日の奈々子の話をした。奈々子が歌ったり、第2グループの4人と仲良くおしゃべりしている間、私はずーっとそこでみんなの様子を見ていた。そして思った。どうしてこの会話に参加しているのは私じゃないんだろうって。みんなと仲良くする時間を取られたような気がした。しかも奈々子はまた『援交気に入らねえ』みたいな話してた(奈々子は、自分が女子高生として生きていた頃、この言葉にさんざん悩まされたらしい。そのせいで今でも怒りがおさまらないのだ)。


 気持ちはわからなくもないわね。自分は何もしてないのに『女子高生だから金出せばヤれる』って勘違いしたクソオヤジがいっぱいいた時代でしょ?ていうか今でもそういうバカ、ネット上にいくらでもいるわよね。

 秋倉高校でもあったのよ。知らない?

 私が小6の時にね──


 あかねの話だと、小6の時、ここに下宿していた秋倉高校の女の子達に、知らない男性が声をかけてきたという。その男は遠回しに『金を出すから自分と一緒に行かないか』というようなことを言っていたらしい。もちろん、平岸パパが怒って警察に突き出し、町の人も不安がって、しばらくの間、『不審な車を見たら知らせるように』と言ったり、奈良のとっつあん達(たぶん猟友会の人達)が登下校パトロールを行ったりしたそうだ。


 そこまであからさまだと町の人も気づくじゃない?

 昔ここに下宿してて兄ちゃんが、知らない女に誘い出されて札幌に行ったのよ。そしたらそこには女じゃなくて怖いおっさんが3人いてね──


 財布を取られて泣きながら帰ってきたらしい。殺されなくてよかったねと言いたい。女だったらレイプされていたかもしれないし、今は男を襲う痴漢だっているのだ。


 世の中って楽しいけど、バカもいるのよ。

 それはわかってないとね。


 あかねはそう言ってから『インスピレーションがわいたわ』と言って自分の部屋に戻っていった。何を描く気だろう?嫌な予感がする。


 


 お昼。平岸ママがサンドイッチのバスケットを用意してくれたので、それを持って研究所に言った。

 所長と橋本がケンカしていた。

 所長は『なんで教えてくれないの!?』を連呼し、橋本は『俺にだって話したくないことはあるんだよ!』を繰り返していた。

 私の姿をみるやいなや、橋本は逃げるように消え、所長は恥ずかしかったのか、顔が真っ赤になっていた。ポット君が、なぜかめっちゃ嬉しそうな顔を表示して近づいてきて、『コーヒーイル?』と言った。2つ持ってきてと私は言った。ケンカを止めたかったのかな、ポット君。


 死んだ日に何が起きたか聞こうとしてたんだよ。


 所長は言った。


 でも、橋本は頑なに話そうとしない。


 サンドイッチを食べてコーヒーを飲みながら、私達はいろんな話をした。私は昨日起きたことを話した。奈々子は私に発声練習してもらいたいみたいだけど、私は嫌だ。これ以上人のために時間を取られたくない。受験生なんだし(にしては研究所に行っちゃって勉強してないけど)。

 奈々子に使う時間が増えるほど、自分がなくなっていくような気がして怖い。でも、無視しても、幽霊はいなくならない。それに、何もしない時間があると、昔の映像を思い出したりして怖くなることがある。私は何かしてた方がいい。


 結城が発声練習手伝ってくれればいいんだけどね。


 所長がそんなことを言い出した。天井からはよく聴くリストの曲が聴こえた。超絶技巧だ。あいかわらず毎日ピアノを弾いてる。


 奈々子さんはもともと結城と一緒に歌ってたでしょう?修二さんもいたけど。また3人で歌いたいんじゃないかなって僕は思ったんだけど。


 そっか、そんなこともあったっけ。

 私はいいことを思いついた。『奈々子のため』と言って、発声練習を手伝ってもらえば、結城さんの近くにいられる。奈々子じゃなくて、私が。

 さっそく2階へ行ってみた。でも、話しかけても無視された。ピアノ弾いてる最中に話しかけても無駄みたいなので、1階に戻って待つことにした。すると、


 今もらってる仕事、

 今年いっぱいでなくなりそうなんだよね。


 と所長が言った。


 たぶん来年には、ここを出ることになると思う。


 と言われた。

 頭をぶん殴られたような、ズドーンとした衝撃を受けた。

 研究所がなくなる。私の居場所が。


 大丈夫だよ。サキ君が卒業するまではいるから。


 私の様子がおかしいことに気づいたのか、所長は慌ててそう言って、『お菓子取ってくる』と言って出ていった。

 私は、研究所は永遠にここにあるものだと思っていた。平岸家と同じくらい。でも、平岸家だって、学校が廃校になって生徒達がいなくなったら、学生寮としての役割は終えるのだ。

 所長がファヤージュや他のお菓子の箱を抱えて戻ってきた。すると、甘いものの気配を察知したのか、結城さんがやってきた。ポット君が嫌そうな平たい目と縦線を表示しながら近づいてきた。結城さんがコーヒー持って来いって言ったら一応持ってきたけど、顔は嫌そうな表示のままだった。

 結城さんがテーブルにつくと、所長がすぐ、発声練習に協力してあげるようにと言った。でも結城さんは乗り気ではなく『一人でできるだろそんなことは』と言って、すごい勢いでお菓子を食べてコーヒーを一気飲みすると、また2階に戻ってしまった。そして、ラヴェルのソナチネを弾き始めた。


 散歩に行くには、今日は寒いかな?

 4月並の気温しかないって、今日は。


 所長が言った。今日は平岸家でも研究所でも暖房を使っていて、かま猫も暖房の近くをうろうろしていた。シュネーはずっとソファーの上にいる。私は隣りに座って白い背中を撫でた。柔らかくて気持ちいい。なんだか落ち着く。

 所長は畑の野菜を心配していた。急に気温が下がりすぎるとよくないらしい。ちょっと見てくると言って外に出ていったけど、すぐ戻ってきた。


 また雲の間から光が降りてきてるよ。


 所長はにこにこしていた。私はコートを着て一緒に外に出た。雲の間から一筋の光が草原に降りてきて、天への道みたいだった。


 幽霊もあれに乗って成仏してくれるといいんですけどね。


 と私は言った。


 奈々子さんはともかく、橋本には似合わないよ。新道先生なら自分で飛んでいけるかもしれないけどね。しょっちゅう飛んでるし、風を操れるから。


 私は、頭に輪をつけた新道が光に乗って昇天していく様子を想像した。ギャグマンガにしか思えなかった。おじさんにこういうきれいな光景は似合わない。なぜだろう?

 せっかくのきれいな景色を、ふざけた想像で台無しにしてしまった。寒すぎるので、私達はまた中に戻った。ピアノはまだ続いていた。所長が『まりえさんにもらったチョコレートがあるから』と、ホットチョコレートを作るのをじっと眺めていた。所長は料理がうまい。何を作るにも特に困ってなさそう。まりえさんとはどういう仲なんだろう?見た目は2人とも小柄で、優しそうな所も似ているけど、あまり仲良くしてほしくないと思ってしまうのはなぜなんだろう。

 ホットチョコレートを飲んでいたら、窓辺でガタン!という音がした。

 見ると、しわしわのおじいちゃんが、窓に貼りついていた。


 米田さんだ!


 所長が叫んで、外にまわりこんでおじいちゃんを中へ入れた。おじいちゃんは寒さでブルブル震えていた。体が細くて、水色のパジャマみたいな服を着ていた。所長がどこかに電話していて、その後すぐに家族が迎えに来た。おじいちゃんは所長のことを『一郎』と呼び(亡くなった長男と勘違いしたらしい)、『まだ帰らんのか』と言った。

 車が走っていくのを見守ってから中に戻ると、


 僕もそろそろ神戸に帰った方がいいのかな。


 と所長がつぶやいた。秋倉に来てからずっと、神戸のご両親の所には帰ってなくて、そのことをすごく気にしてるらしい。


 元々は、もう帰るつもりはなかったんだ。僕は無意識に北海道に来てしまって、橋本に人生を返して、自分は消えるつもりでいた。でも抵抗してしまった。やっぱり自分は自分でしかなかったから。


 所長は言った。


 でも、今さら帰ってもいいのかなとも思うんだ。


 それから私達は自分の親の話をした。所長のお父さんは変な所がケチで、誰かに『おごってやる』と言ったら、それは店に行くことではなく、『うちでメシを食え』という意味になるらしい。外であまりお金を使いたがらないそうだ。

 私はこの前母が出た妙子スペシャルの話をした。スカイダイビングで主人公のもとに現れたストーカー女、妙子。空から降りてくる妙子の姿は過剰にキモい演出が施され、『カメラ!カメラ!』『顔のキモさがいつものクオリティで最高です!』『ある意味神がかってる』などとSNSで話題になっていた。映画『妙子の夜』がどういう内容になるかは聞いていない。どうせろくでもない話に決まってる。バカも出るし、監督は新井カントクだし。


 サキ君は女優にならないの?きれいなのに。


 所長が言った。私をきれいだと思うのは所長くらいですよと言ったら、


 サキ君、鏡というものをきちんと見たことがあるの?


 と真顔で言われた。所長が言うに、私はとても美人だから、変な男も必ず寄ってくるであろうと。気をつけなきゃダメだよと。

 そうだ、私はそれが怖い。

 畠山みたいな奴がまた近づいてくるのが。

 本当はいろんな人に言われててわかってた。私は、少なくとも、平均よりは上の容姿を持っていると。だけど、それを認めたら『人は見た目だけ見て私に近づいてくる』と認めなくてはいけなくなる。それに、自分で自分のことを美人だとかかわいいと思うことは、なんだか、傲慢で嫌な奴みたいだとも思う。

 私は、私の中身を見て、好きになってくれる人と付き合いたい。

 でも、今まで私に親切にしてくれてた人達って、やっぱり私が『若くてかわいい女の子』だから優しかったのかな。劇団のおじさんとか、デイケアで会った人、今のクラスの男子とかも。若くもかわいくもなくなったら、みんな冷たくなるのかな。それは嫌だと思う。

 私は人柄で好かれたい。見た目ではなく。

 部屋で鏡を見ながら考えていたらヨギナミが来た。もう鍵回収しなくてもよくない?って言ってみたけど、『でも一応、いつ出てくるかわからないから』と。見た目じゃなくて中身で好かれるにはどうしたらいいんだろうねって言ってみたら、


 もう少し人当たりを優しくしたらいいんじゃない?

 サキ、仲のいい人には優しいけど、高谷とか杉浦とか、特定の人にはものすごく態度悪いよね。

 まずそれを直したら?


 とはっきり言われてしまった。ショックだった。そんなつもりはなかったのに。カッパに聞いたら、


 あれ?今頃気づいたの?俺への無礼の数々に!


 と返事が来たので、とりあえず『ごめん』って言ったら、


 どうしたの?

 明日雪降る?台風来るの?


 とか言い出した。腹立つ。

 こいつに謝ったのは間違いだった。





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