2017.6.2 金曜日 サキの日記
研究所に行ったけど所長がいなくて、結城さんのピアノだけが聴こえた。それがラヴェルの『クープランの墓』だったせいで、奈々子がまた出てきてしまった。しかも、結城さんとけっこう話していた。ピアノが鳴っている間は、ただじっと音を聞いていた。結城さんの指が出す一音一音を私の体で感じているのが伝わってきた。
曲集がひととおり終わると、奈々子は『創くんはどこへ行ったの?』と尋ねた。
レストランに行くって言ってた。
食いたいものでもあるんだろ。
最近は『森』には行ってないの?
さあ、話さないからわからない。
一人でブツブツ言ってんのは聞こえたから、中の人とは話してるのかもな。
橋本とよく話してるんだ。
奈々子は言った。
私はサキと上手く話せない。
話したいの?
結城さんが尋ねると、奈々子はうなずいた。それから奈々子が話したのは、私が事件のことを忘れようと努力していること(事実だけどあまり話してほしくなかった)、そのために自分も何かしたいということ(余計なお世話だ)。
サキと話してあげて。あなたと話したがっているから。
奈々子はそう言って引っ込んだ。いきなり結城さんの前に立たされた私は困った。『あのー、えっと』みたいなことしか言えなくなった。見えなかったけど絶対顔真っ赤になってた。結城さんはニヤニヤ笑い始め、『コーヒーでも飲む?』と言った。1階に戻ると、ポット君が嫌そうな平たい目を表示したけど、一応コーヒーは2人分持ってきてくれた。
奈々子はお前のことが心配なんだな。
結城さんが言った。なんとなくしんみりした様子で。結城さんらしくない。いつも人を小バカにして堂々としてるのが、私の知ってる結城さんなのに。
私は学校のことを話した。
学校祭が近づいていて、準備期間が始まったらここには来れませんよと言ったら『久方が悲しむな』と言われた。今年の学校祭は来てくださいねと言ったら『当日にならないと行けるかわからない』と。
学校では佐加のデコ欲が大暴走していた。
計画立てようと思って、絵に書いてみたんだけどさ〜。
と言いながら持ってきたのは、全体がピンク色に染まり、バラのデコを施された秋倉高校の校舎の絵だった。
無理だろ!あと2週間もないのに!
校舎大改装すんの!?
奈良崎が爆笑していた。
ほとんど建て替えが必要だな。
杉浦が目を細めて言った。しかし、それでひるむ佐加ではなかった。外壁だけでなく中身の図も作られていて、ぬいぐるみルームや、一面スワロキラキラのまぶしすぎるルーム(絶対目に悪い)とか、スイーツデコルーム、コスプレルームなどが用意されていた。あかねが喜ぶかと思いきや、
これ、あんたん家の商品並べただけでしょ。
と、意外と冷めていた。伊藤ちゃんはぬいぐるみルームが気に入ったらしく、来場者の子供を喜ばせる場所として作れないかと言った。するとスマコンが、
うちにあるわよ。ぬいぐるみルーム。
と言った。佐加が嫌そうな顔をした。スマコンはちょっと照れながら、ぬいぐるみだらけの部屋の写真をみんなに見せた。そこには、クマとかウサギとか犬とか猫とかユニコーンとか、普通に近い動物のぬいぐるみが多くて、アニメやゲームのキャラはいないようだった。スマコンは、本当は猫か鳥を飼いたいが、父親が生き物が家にいるのを好まないと言った。
だからってわざわざぬいぐるみのために一部屋使ってんの?
金持ちだね〜。
佐加が嫌味を言ったが、ピンクデコの考案者に何言われてもって感じ。
ぬいぐるみはともかく、子供が遊べる部屋を作っておくのはいいかもしれないな。僕が安全性を検証して置くものを決めよう。口に入ると危ないものは置けないからね。
と杉浦が言った。佐加が小声で『ウザい』とつぶやいた。
ピンク色の城には行きたくね〜なぁ。
佐加の話をしたら、結城さんはおどけて言った。
町の人も絶対引くって。
大丈夫です。そもそも実行不可能ですから。でも、佐加の暴走が簡単に止まるとは思えないので、『一部屋だけ与えて好きにさせてあげたら?』とヨギナミが言ってました。どうせ教室は余ってるし。
お前は何やんの?
たぶん去年と同じで、カフェか飲食だと思いますよ。
つまんね〜な。何か出し物とかしないの?
そういうの苦手なんですよ。
それこそ奈々子に歌わせたらどう?
確か去年も町長の娘が歌ってただろ。
結城さんってやっぱり奈々子の話がしたいのかな?私は『秋浜祭だけでいいです』と言った。それでなんとなく気まずくなって、コーヒー全部飲んでから平岸家に帰った。
私は自分が求められてないという悲しみに浸りながら、なぜか去年スマコンが歌っていたマヌケな歌を思い出していた。あれに比べたら、奈々子の方がよっぽどマシな歌が歌えるだろう。
やらせてみようかな。でも最近練習させてないし。
佐加に相談したら、
今からなら間に合うと思うよ。やってみよ!
でもさ〜、ステージはスマコンと保坂が占領してるから、スマコンと話して時間調整しないといけないんだよね。うち話したくないから直接聞いてみてくれない?
と返事が来て、どうしようか迷ってたら、いきなり保坂から着信来たのでびっくりした。しかも、
スマコンにこの時間に電話しろって言われたんだけど。
と言われた。何それ怖すぎる。
いつものことだから俺は気にしてないけどね。
保坂、慣れすぎ。かなり怖がりながら、私は、学校祭で奈々子に歌わせられないかと聞いてみた。
全然OK。時間あり余ってるから。男子全員でコーラス芸人やろうかって言ってたとこだし、スマコンはどうせ政治ネタしか歌わないから、まともな歌歌う人が一人いてもいいべ。
それから保坂は、『聴いてみたいから明日音楽室で練習するべ』と言った。どうしようか迷ってたら、隣に奈々子が現れてにっこり笑い、
音楽室、大好き!
と言った。ヤバい。かなりはりきってそう。
私は保坂に『明日行くのは私じゃなくて奈々子だから、変な振る舞いしてもそれが私だと思わないでね』と言っといた。保坂は『わかってるって』と言った。
通話を終えたら、奈々子は消えていた。なんで消えるんだ。私と話したいんじゃなかったのか。一方的に心配して。
私だって、あんたがどうなるか心配なんだからね。
私は空中に向かって言った。
明日、変なことしないでよ。
私は平岸ママに連絡して、明日土曜日だけど学校に行くからお弁当ほしいと言った。無理ならセコマで買うと言ったけど、平岸ママは『大丈夫』と言ってくれた。どうせ食べるのは奈々子だろうけど。
明日、どうなるんだろう?考えてたらヨギナミが来て、
所長さんがレストランに来たよ。
と言った。一人で来たんだけど、少し後でショコラティエのまりえさんも来て、2人で食事して、所長はまりえさんの車に乗って一緒に帰っていったらしい。
あの2人、仲いいんだな。
どうしてだろう?なんとなく気に入らないというか、悲しいのは。やっぱり私は研究所を自分のものだと思っていて(みんなにそう言われる)、他の人に取られるのが嫌なんだろうか。でもそれって子供っぽいよね。やめないと。




