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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2017年5月

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2017.5.22 日曜日 高谷修平


 修平は退院し、平岸アパートに戻っていた。しかしまだ体は重く、気分も悪かった。

「もう帰ってきなさい」

 母、高谷ユエが言った。父、修二も。新道先生すら同じことを言った。でも、修平は帰りたくなかった。今戻ったら、また病院から出られない生活に戻ってしまう。それは絶対に避けたかった。幸い、体の調子は元に戻ってきてはいた。

「学校行きてえなあ」

 修平は、保坂が送ってくれた3日分のPDFを見ながらつぶやいた。

「行けるかなあ、明日」

『今日ゆっくり休めば大丈夫でしょう』

 新道先生が言った。

「ねえ先生」

『何でしょうか』

「風邪治ったの、先生の力?」

『いいえ、違いますよ。君自身の治癒力です』

「ほんと?」

『そうです』

 新道先生はにっこりと笑った。

『こちらに来てもう一年になります。その間に体力がついていたのでしょう』

「そうか」

 それでも普通の風邪が入院まで行ってしまう。他のみんなは家で寝て治しているのに。

「みんな強すぎるな〜」

『他人と比べるのはよくありませんよ』

「いや、わかってるよ?わかってるけどさ」

 PDFを確認し終わってから、

「久方さんが森に行ってないか確認した?」

 修平が尋ねた。

『ここ数日は行っていません』

「俺聞いてみる」

 修平は久方創に質問を送った。すると、

「初島に会ったって」

 修平は顔をしかめた。

「はじめは穏やかだったのに、突然狂ったように笑い出したって」

『そうですか』

 新道先生が悲しげに目を伏せた。

『久方さんは無事ですか?』

「一応逃げられたみたいだけど、はじめに会ったまともそうな方が本来の姿なんじゃないかって悩んでるらしい。あと、父親の事件のことももうわかっちゃったみたい」

『それは──ショックを受けているでしょうね』

「サキにも話しちゃったのかな」

『かもしれませんね』

「きつい話なのにな〜」

 修平はスマホを置いてから、

「やっぱりまだ帰れない」

 と言った。

「幽霊のことだけじゃない。高校ちゃんと卒業したいし」

「修平〜」

 廊下から、妙にはずんだ声が聞こえた。平岸あかねだ。

「伊藤ちゃんがお見舞いに来てる。ウフフフフ」

「えっ?」

『がんばってくださいね』

 とまどう修平を置いて、先生は笑いながら消えた。

「高谷?」

 本当に伊藤の声がし、ドアがノックされた。

「え!?ちょっと!ちょっと待って!」

 修平は慌てて出しっぱなしの服や本などを片付け、ドアの前に立ち、深い深い息を吸ってから、ドアを開けた。

 伊藤は本当にいた。白いブラウスと黒いタイトスカートを身につけていた。教会に行った帰りだろうか。

「もう大丈夫?」

 伊藤が尋ねた。

「え?あぁ、大丈夫、全然もう治ってるから」

「本を持ってきた」

 伊藤は『よくわかるクリスマス』という本を差し出した。

「季節はずれだけど、おもしろいと思うから」

「あ、そう。ありがとう」

「立ち話してないで中に入れてあげたら?ウフフフフ」

 隣のあかねがにやけた。

「ううん大丈夫、すぐ帰るから」

 伊藤がそう言ったので修平はがっかりした。

「でもバスの時間までまだあるから、平岸家で待たせてもらおうかな」

「ちょうどいいわ。ママがまた変なお菓子を作ってるから。テレビで見て作りたくなったとか言って。テレビで食べ物見るたびに同じもの作ってたらキリがないじゃない。ささ、行きましょ。カッパ、あんたも来るのよ、着替えて。もう治ったんでしょ?」

 あかねはそう言いながらドアを閉めた。修平は3秒ほど止まってから、慌てて着替えて平岸家のテレビの間に行った。伊藤は行儀よく正座し、あかねは横座りして、スマホで何かのアニメを伊藤に見せていた。

 修平は伊藤の向かいに座った。

「昨日杉浦塾に行ったんだけど」

 伊藤が話し始めた。

「『勉強しなきゃいけないのにやる気がしない時どうしたらいいか』って話をしててね、また杉浦が自論ばっか展開するからみんなうんざりしちゃって。『やる気がなくても、やればそのうちやる気が出てくる』って言ってたかな」

「それは杉浦が正しいよ」

 修平は言った。

「あのさあ、勉強ができるってすげー恵まれてるんだって。俺この3日具合悪すぎて勉強どころかスマホの画面も見れなかったもん。みんな元気だよね?だったら、勉強なんてできて当たり前じゃん?」

 言ってしまってからきつすぎたかと後悔した。伊藤は何か考え込んだように黙ってしまい、あかねは、

「他人ってみんなまぶしく見えるものね」

 と言った。そしてこう付け加えた。

「あたしはこの3日、つまんない授業を受けながら、『風邪で休んでる人、うらやましい』って思ってたけど、怒る?」

「うらやましい?なんで?」

 伊藤が尋ねた。

「家でアニメ見てた方がよっぽどためになるから」

 あかねはしれっと答えた。

「あのさあ、それは間違ってると思うよ。勉強ができるかどうかで人生けっこう──」

 修平が文句を言いかけると、

「それはあんたがわりと高い知能を持ってるからよ。クラスの人みんな気づいてるわよね?」

 あかねが伊藤の方を見た。伊藤は黙ってうなずいた。

「どういう意味?」

 修平は少しいらいらしながら聞き返した。

「病気というハンデがあっても、あんたには生まれつきものを考えられる知能があるでしょ?でも世の中にはそうじゃない人の方が多いのよ。せっかく健康に生まれて時間があっても、『サボってテレビでも見てたい』とか『授業中も隠れてネット三昧』とか、そういうことしかできないように生まれついているバカが」

「それはそいつらが努力してないからだろ」

「あら?あんたさっき言ったわよね?ここ3日具合悪くて勉強できなかったって。勉強できるかどうかも運だと思わない?環境とか能力とか」

 3人とも気まずく黙った所に、平岸ママが現れた。するとあかねが、

「自分だけ特別だなんて思うんじゃないわよ」

 と言って、平岸ママが持っていたクロワッサンを奪って逃げた。

「あの子ったらまたきついこと言ったんじゃない?大丈夫?」

 平岸ママが心配そうに娘が去った方向を見た。

「いえ、大丈夫です」

 伊藤が気を遣って微笑んだ。やっぱり礼儀正しいなと修平は思った。平岸あかねとは大違いだ。いや、でも、あかねが何を言いたかったかはわかる。

 平岸ママはいろいろな味のクロワッサンを作っていた。伊藤はさつまいもの味が気に入ったようだ。修平は食欲がなかったが、りんごが入ったものを一つ食べた。自然に甘い。ちゃんとした味がする。

 大丈夫だ。まだ生きてる。

「平岸さんって口が悪いけど、たまに本質を突くよね」

 伊藤が言った。

「もう少し言い方考えてくれりゃあなあ、いい人になれるのに」

 修平が言った。『いい人』と伊藤が吹き出した。平岸あかねと『いい人』という言葉は合わないのだ。

 それから伊藤は、保坂がスマホゲームをやめられない話とか、奈良崎はいい人なのに頭が悪すぎて本を読むのがすごく辛そうだとか、スマコンがお高いチョコレート中毒だとか、グループ内のしょうもない話をした。

「伊藤はそういうのないだろ。いつもちゃんとしてるし」

「そんなことない。栗とさつまいもには弱いし、部屋片付けるの苦手。高谷の部屋はちゃんと片付いていたよね。すごいと思う」

「さっき慌てて片付けたんだよ」

「それに、グループ内では私が一番迷子だと思う」

「迷子?」

「みんなは神を求めてないけど、私は求めてるから」

「ああ、それか」

 修平はちょっと迷ってから、

「俺も、この3日間は神に祈ったよ。『早く治して。ママさんのとこには帰りたくな〜い!』って」

 2人は軽く笑った。

「そのせいか知らないけど戻ってこれた」

「よかったね」

 伊藤は笑った。それから、

「私も、高谷のために祈ってたから」

 それから、ちょっと顔を赤らめて、

「バスの時間があるから、もう帰らなきゃ」

 と言って、慌てて立ち上がった。修平は玄関まで見送って、伊藤が草原を歩いていくのを、じっと見ていた。伊藤の後ろ姿は、去年、長崎で見たものによく似ていた。清らかで、美しすぎて、別世界へ行ってしまうかのようだった。

「青春だねえ〜!!」

 いつの間にか真後ろに平岸パパがいて。にやけながら大声を出した。修平は驚いて軽く飛び退いた。

「言ってくれれば車出したのに」

「いや、いいですよ。伊藤は一人で帰れますから」

「そっか。その様子だともう大丈夫そうだね」

「はい。ご心配おかけしました」

「お母さんから電話が来てたよ」

 平岸パパはちょっと困った顔で言った。

「なんとか言いくるめられたけど、親が心配するのは当たり前なんだからさ、具合悪くなったらまたすぐ言いなさいよ」

「わかりました」

 平岸パパは変な鼻歌を歌いながら去っていった。

 修平は部屋に戻って、『よくわかるクリスマス』を開いた。予想どおり、キリスト教の話題が多い本だった。『やっぱり布教したいのかな』とも思ったが、

「先生」

 修平はにやけながら言った。

「伊藤が俺のために祈ってたんだって!」

『おやおや、今朝まではあんなに機嫌が悪かったのに』

 新道先生が呆れ笑いをしながら現れた。

『もう人生はバラ色のようだ。全く、うらやましい限りです』









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