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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2017年5月

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2023.5.23 火曜日 ヨギナミ

 学校では、新橋早紀と高谷修平が風邪で休んでいた。


 所長からうつったらしいよ。


 佐加が言った。


 てことはさ〜、

 おっさんも風邪ひいてるってことじゃね?


 午後の授業が終わる頃、おっさんから、

『風邪ひいてるからカフェには行けない。

 ()()寝かさないと』

 というメールが来た。

 ヨギナミはお見舞いに行くことにした。駅近くのセコマに行ってお菓子と果物を買い、横溝店長と『久しぶりね〜』という話をしてから、研究所に向かった。

 もらった鍵を使ってそ〜っと戸を開け『ごめんください』と言ってみた。返事はない。おそらく2階にいるのだろう。ヨギナミが廊下を歩くと、1階の部屋から猫達のかすかな足音がした。今日はロボットがいない。所長がいないからだろうか。つまり──


 また創がどっか行っちまったんだよ。


 2階の部屋では、おっさんが、頭の上で手を組んでベッドに横になっていた。


 まだ熱も下がってねえのによ。おかげで俺が代わりに寝てなきゃなんねーの。暇だ。こいつ、つまんねえ本しか持ってねえんだよ。だから小説を勝手にダウンロードしてやった。


 ダメじゃん。そんなことしちゃ、後で怒られるよ。


 知るか。人生投げ出してる奴に何言われても聞く気しねえ。それに、創はもっと今の本を読むべきなんだよ。古典や植物図鑑だけじゃなく。映画も昔のばっか見てるだろ。


 それは好みの問題だから。


 ヨギナミは苦笑いした。


 でも、俺も昔はそうだったよ。


 おっさんが寝返りをうってから、ゆっくりした声で言った。


 若かったせいかな。なぜか同世代とか、世の中で流行ってるものがいいとは思えなくて、古い本ばかり読んでたよ。岩波の古いのを。


 岩波。


 古典が揃ってる文庫だよ。学校の図書室にもあるはずだぞ。次何読むか迷ったらそこから選べ。


 おっさん、風邪なのに元気そうだね。


 やべえ、忘れてた。お前帰ったほうがいいぞ。

 うつるぞ。


 大丈夫、私は風邪をひかないから。


 何言ってる、そんな奴いるか?


 いいえ、本当です。私は風邪をひいたことがない。


 ヨギナミは強い声で言った。どこか拒絶の響きがあった。


 嘘だろ。


 なぜなら、そんな余裕はなかったから。


 ヨギナミは固い声で話し続けた。


 私が小学校に入る頃には、母はもう体が弱って寝込んでいたの。私がやらないと、洗濯物はたまっていくし食べるものもない。家はほこりだらけになる。だから、学校から帰ってきたらすぐ洗濯して、掃除して、機嫌の悪い母の相手をしながら料理をして──中学になったらバイトも始めて。風邪で寝込んでる場合じゃなかった。本当は具合悪い日もあったけど──


 ヨギナミの表情がみるみる崩れていき、目が涙でいっぱいになった。


 私が頭痛で寝てると、お母さんが不安がって機嫌悪くなるの。『洗濯はどうした』『ご飯は誰が作るんだ』『バイト休んだら生活費が足りなくなる』って私に向かって言うの。自分でやるって発想がないの。ただ私を責めるだけ。


 ヨギナミは泣いていた。おっさんは起き上がって箱ティッシュを渡した。


 お母さんが私を心配したことなんか一度もない!おっさんは前、あれでも心配はしてるって言ったよね?でも私、わからない!今までそんなこと一度もなかった!だから今も、お母さんが死にかけてるのに、私、何も感じないの。こんなひどい人間になっちゃったの!


 お前はひどくなんかないって。泣くな。


 おっさんはティッシュでヨギナミの涙を拭いてから、ヨギナミを抱きしめた。ヨギナミはしばらく、子供のように声を上げて泣いた。今までたまっていた苦しみを全て吐き出すかのように、いろいろなことを言いながら。


 お前は、たぶん、何でもやりすぎたんだ。


 ヨギナミが落ち着いてから、おっさんが言った。


 何でも完璧にやりすぎたんだ。だからあさみもそれに慣れちまって、自分で何もしなくなったんだろうな。

 お前はもっとサボればよかったんだよ。


 それから、ヨギナミの顔をのぞきこんで、


 風邪、絶対うつるぞ。


 と言って苦笑いした。


 まあ、お前はたまに風邪ひいた方がいいんだよ。そうでもしないと休めねえんだろ?どうせ平岸家でも手伝いと勉強ばっかしてんだろ?

 たまには熱出して休めよ。若いからすぐ治るだろ。


 それから、天井を見て、


 創の奴、帰ってこねえな。

 まさか初島に会ってねえだろうな。


 と言った。


 初島って人、お父さんに虐待されてたでしょう?


 ヨギナミはすかさず尋ねた。おっさんが不安の目でヨギナミを見た。


 大丈夫、私はもう大人だし、ニュースでそういう話もよく聞いてる。おっさんが『話せない』って頑なに言うのは、そういうことでしょ?


 おっさんは少し間をおいてから、


 俺は、見たんだ。


 と言った。


 見た?


 初島の家に行ったとき、

 あいつが父親に殴られるのを見た。


 おっさんの表情は凍りついていた。


 ほんとに?


 ああ。


 それは、ショックだね。


 ショックなんてもんじゃねえよ。俺の世界はあの時半分崩壊した。


 それから、


 創には言うなよ。


 と言った。


 話してあげるべきだと思うけど。


 ヨギナミは言ったが、


 駄目だ。こんな話を息子にできねえよ。


 とおっさんは言った。強い目と口調で、


 わかった、黙ってる。


 ヨギナミは言った。


 新橋にも言うなよ。

 あいつ何でも創にしゃべりまくるからな。


 おっさんが言った。ヨギナミは『もう知ってると思うけどなあ』と思いながら一応『言わない』と約束した。


 ほんと新橋の野郎は何でもベラベラしゃべりすぎなんだよ。知ってるか?前の彼氏とキスした時、わさわざ創にそれを知らせに来たんだぞ?とにかく何か起きるたびにいちいち報告しに来やがってよ、うるせーんだよ。そのたびに創が傷ついてんのがわかんねえのかって!

 あいつ絶対鈍いだろ。お前にも何か失礼なことしてんじゃねえか?どうにかなんねえのかよあの天然はよ。


 おっさんが早紀の悪口を勢いよく言い立てるのを、ヨギナミは半笑いで聞いていた。確かに早紀は変な子だ。でも、それもいろいろ事情があるのだ──たぶん。





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