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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2017年5月

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2017.5.22 月曜日 サキの日記

 所長が風邪をひいてしまった。『うつしたら困るから来ないで』と連絡してきた。だけど、学校から帰ってきたら、平岸ママにおかゆを持っていくよう命じられたので、バスケットに小さな鍋を入れて研究所に行った。

 1階に結城さんがいて、櫻坂46の『サイレントマジョリティー』のPVを繰り返し見ていた。またアイドルだ。その後で乃木坂も見てた。何が楽しいんですかと聞いたら、『センターの子がかわいい』って。確かにかわいいけど。

 私が持ってきた鍋に気づいて蓋を開けようとしたので『所長のですよ!』と注意したらすねた。食べ物は何でも自分のものだと思っているらしい。所長の様子を聞いたら、『熱が高くて、ずっと寝てる』と。だから今日はピアノを弾いてない──のかと思ったら、


 おっ、奈良崎と保坂がキーボード使わしてくれるって。

 行ってくるわ。


 と言って出ていこうとした。私は引き止めた。何か話題はないだろうかと思って、奈々子の話をすれば行かないかもしれないと思った。それで聞いてみた。


 奈々子が死んだってわかった後、どうしました?


 すると、結城さんが怯えた顔をした。意外だった。聞くんじゃなかったと思った。


 すぐ修二を探して、最後に会ったのはいつだって聞いた。でもあいつは、もう何ヶ月も会ってないと言っていた。最後に会ったのは俺だった。


 結城さんは低い声でそれだけ言って、出ていった。

 私はさっきまで結城さんが座っていたソファーで、考えた。

 

 大変なのは事件そのものではなく、

 その後に続く膨大な時間だ。


 奈々子が死んでから、結城さんが過ごした19年。所長が苦しみながら過ごしてきた19年。私がこれから過ごさなきゃいけない人生の残りの時間。

 好きな人がいなくなっても、とんでもなく悪い奴に痛めつけられてトラウマになっても、日はのぼって沈んで、毎日は容赦なく、止まらずにやってくる。そして私達はずっと、痛みや苦しみを再生し続ける。朝目覚めるたび、何か昔と関係あるものを見るたびに。

 もし私が不登校のままで、学校に行っていなかったら、男子とも接しないし、勇気とも付き合わなかった。たぶん、昔を思い出すきっかけはずっと減っただろう。それはそれで平穏に暮らしたかもしれない。

 だけど、生きている以上、いつまでも引きこもっている訳にはいかない。私は外に出なきゃいけなくて、そこには昔を思い出させるものがたくさんあった。フラッシュバックが起こるたびにパニックになった。でも、それでも生きていかなきゃいけなかった。

 だけど、その辛い日々の中で、どうしようもない不安や恐怖に襲われて、底知れぬ暗黒をそこに見てしまったら、どうやって生きていけばいいのだろう?

 私はおかゆを温め直してから、2階に向かった。もう風邪うつってもいいやって思った。所長は起きていた。私がドアをノックすると、『うつるから入っちゃダメだよ』と言われたけど無視してドアを開けた。植物図鑑を見ていたので、寝てなきゃダメじゃないですかと怒った。


 奈々子さんと逃げてる時にも、

 熱を出したことがあった。


 所長は言った。


 ユエさんの家で寝かせてもらってた。夢でも見たけど、さっき、なんとなく思い出した。

 僕はたくさんの人に助けられて生き延びた。


 所長は横になって目を閉じてから、


 なのに、僕はよく、

 このまま消えてしまいたいと思ってしまう。


 昔起きた辛いことを思い出すから。

 もう過去は過ぎ去り、いつかの出来事は今の生活とは関係がない。でも、体に、心に、残り続ける。それはなぜだろう?こんな苦しさに何の意味が?

 すると所長は、


 同じ目にあわないようにするために記憶するんだよ。

 同じ過ちを繰り返さないようにするために。

 人の体はそういう風にできてる。

 人間だけじゃない。動物だって同じ。

 でも、極端な体験をすると、怖がらなくてもいいものまで怖がって避けるようになるよね。


 それから所長は、


 わかってるんだ。頭ではわかってるんだけどね。

 サキ君もそうでしょ?


 と言った。そして、そのまま眠ってしまった。

 頭ではわかってる。そうだ。あいつは最悪の部類だったけど、そのせいで、何もしてない他の男子まで怖がったり嫌ったりするのはおかしい。

 私は勇気を不当に怖がった。

 何かされるんじゃないかと思って。

 だからうまくいかなかったんだ。

 元々好きじゃなかったのもあるけど。


 私は『おかゆは冷蔵庫に入れておきますね』とLINEして、キッチンに行き、ポット君にまたコーヒーを頼んで、1階のテーブルでのんびりした。自分の部屋にいるより、ここにいた方が落ち着くと思った。なぜかはわからない。ここの主は凄まじい過去に今も苦しんでいるのに。でも所長の存在には、人を落ち着かせる何かがあると思う。パニクってさえいなければ、とても穏やかな人だし。

 結城さん帰ってこないかなと思ったら、先にあかねが玄関の戸を蹴りに来た。よその家の戸壊したらヤバいからやめてって言ったら、


 よその家でコーヒー飲んでくつろいでるあんたの頭の方がヤバいわよ!


 と言われた。


 夕食の時に所長に会った話をしたら、修平が『風邪の菌もらってないよね?』と怯えた顔をしたので、テーブルの下で足を蹴ってやった。でも後で反省した。修平は体が弱いから風邪ひいたら大変なんだっけ。

 ヨギナミが鍵を回収しに来た時に『むかしあった嫌なこととか思い出して辛くなることない?』って聞いたら、


 バイトと勉強で忙しいから、そんな暇ない。


 と冷たく言われた。なんか、ヨギナミらしくない言い方だ。何かあったのか?

 私は『ヒマ人』って言われたような気がして、勉強することにした。

 そうだ、すぐ忘れちゃうけど私は受験生なんだっけ。前の学校の子は1日10時間は勉強してる──ああ、でも前の学校のことなんて思い出したくない。あれと比べちゃダメだ。あいつらは勉強のストレスで人をいじめる。

 私はそんなことしたくない。

 だからほどほどに勉強する。




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