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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2017年5月

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2017.5.7 日曜日 教会 伊藤百合

 地獄とは、心の迷いのことを言うのかもしれない。


 伊藤は教会にいた。神父が『テモテへの手紙』の話をしていた。『委ねられたものを守る』の部分だ。


『私達が真実でなくても、

 この方は常に真実であられる』


 神が私達に委ねられ、かの日まで守ることができると確信しておられるもの。


 私に何を求めておいでですか、神よ。


 祈りながらも、伊藤が考えていたのは高谷修平のことだった。先日、

「旧約聖書読んだけどめっちゃ怖いよ」

 と言ってきた。そして、エゼキエル書の話を始めた。伊藤は焦った。そこはあまりきちんと読んでいなかったからだ。高谷は『私の言うことを聞かないものは罰する』というような話は好きではないと言っていた。『やたらに罰するよね、何で?』とも。おそらく全部は読んでいない。ところどころ拾い読みして、怖い単語だけ拾ってそう言っているのだろう。

 それとも、全部読んだのか?本当に?

 伊藤はエゼキエル書を読んだ。これはおそらく、贅沢をする者、教えを守らない者への戒めなのだ。しかし内容は確かにきつい。

 神は、自己啓発の明るい文章ではない。力を用いて時に人を罰する。

 神は厳しい。しかし、こうも書いてある。


『悪しき者の悪も、その悪から立ち帰るときには、それによってつまずくことはない』


 だから、過ちを犯しても許される道は残してある。改心せよと。

 しかし神は『なんでも願いを叶えてくれる』ような都合のいい存在ではない。神は正しきことを求められる。その『正しい』は今と昔では違う(同じだと言う人も多くいるが)。

 神は何のために、

 高谷修平を私に引き合わせたのだろう。

 伊藤は考えていた。好意を持たれていることにはとっくの昔に気づいていた。おそらくクラスの全員が気づいているだろう。高谷は思っていることを隠せない人間だ。何でも口に出して人の反感を買う。でも、気を遣っているのもわかる。相手に合わせて話を変えたり、うまく合わせているのもよく見かける。

 幽霊の話も、本当かどうかの証明はできない。ただ信じているだけだ。高谷はおしゃべりだが、作り話はしない。そう感じる。ひたすら本当のこと、本人が本当だと思っていることしか言わない。

 スマコンや新橋早紀に『高谷をどう思っているのか』と聞かれる。その度に、『図書委員としては優秀です』などと言ってはぐらかしてきた。しかし最近、高谷は急激に伊藤に近づいてきた。聖書を読み始め、伊藤がよく覚えていないことにまで言及し始めた。

 これはまずい。

 伊藤は思った。しかし何がまずいのだろう。人が神に近づくのはいいことではないのか?自分はよい影響を与えたのだ。喜ぶべきではないのか。

 しかし、近づきすぎている。

 伊藤は落ち着かなかった。神ではなく、高谷に惹かれてしまっていることに気づいたからだ。それはよくない。それに、高谷は体が弱いし、ふざけすぎる所がある。好みの男性像には合わない。いや、男の好みなど自分にはない。元々修道女になろうと思っていたのだから。

 私が求めているのは神であって、男ではない。

 でもどうだろう。

 神とつながりたいのに、高谷のことばかり考えている。

 伊藤は聖書片手に頭を抱えていた。

「何かお悩みですか」

 気がつくと、隣に神父が立っていた。ミサが終わってからだいぶ経ったのに動かない伊藤を心配したのだ。

「体の弱い()()がいるんです」

 伊藤は言った。

「最近、聖書を読み始めたそうですが、旧約聖書が怖いと言われてしまって」

「神は裁かれる。しかし、希望も与えられる」

 神父は言った。

「正しく生きる者は、そのようなことを恐れる必要はありません」

「その『正しさ』とは何でしょう?」

「神を敬い、人の役に立つこと。しかし人間には神の全ては理解できません。神は時に、人間の目には不可解なものを使って、私達に何かを伝えようとなさいます。そのお友達が現れたのは、弱い者に優しくせよということかもしれないし、もっと深い意味があるのかもしれない」

 他のスタッフが神父を呼んだ。神父は「はい」と答えてから、

「お友達には、新約聖書を勧めたほうがいいかもしれないね。それか『詩編』を」

「私も詩編は好きです」

 伊藤は愛想笑いをした。求めていたような、はっきりした答えは得られなかった。そもそも自分が正しい問いを発していなかったからだ。

『私はなぜ、高谷のことばかり気になるのでしょう』

 でも、それを問うのは怖い。答えはわかりきっているからだ。どうしたらいいのだろう?男を好きになったら、神から遠ざかってしまうのでは?

 伊藤は教会を出た。家に近づくと、また母と弟の怒鳴り声と、何かが割れるガチャンという音がした。神はなぜあの2人をあのようにお創りになったのか、伊藤には理解できなかった。

 家には入らず、近くを歩くことにした。小さな村で、道に人はいない。日曜日だ。みんな出かけているか、家にこもってネットやテレビを見ているか、どちらかだろう。連休の最終日を惜しんで、明日からの学校や仕事を思ってうんざりしている人もいるだろう。

 明日から学校だ。

 また、高谷に会うのだ。席も隣だし。

 伊藤はそれが楽しみだったのだけれど、それはいけないことのような気もしていた。高谷には、あまり気安く話さないことにしよう。これ以上踏み込まれてはいけない。でも聖書は読んでほしい。

 伊藤は矛盾した考えを持ちながら歩き続けた。







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