2017.5.6 土曜日 サキの日記
今、札幌のおばあちゃん家でこれを書いてる。遊びに来たらやっぱり泊まることになった。寿司をたくさんとってくれた。食べすぎて少し苦しい。
来る前に創成川と狸小路を見に行った。奈々子が昔さまよっていた場所。所長が逃げ回っていた場所だ。でも、奈々子が死んだ後、創成川のまわりは大規模な工事で公園になった。だから景色は当時とはだいぶ違う。それに、狸小路に昔いた路上ミュージシャン達も、今はもういない。広告放送がうるさく鳴っている。まるで地元の音楽を締め出すかのように。流行の音楽や映画の広告がスクリーンに映し出される。もっと地元の情報を出してくれれば観光客は助かるのに、全国どこでもテレビで見れるような広告をわざわざ北海道まで来て見たい人がいるだろうか?たぶん広告収入とかの都合だろう。地方の街の景色が、大企業の広告に汚染されているのだ。
創成川の公園にある意味不明のアートに触っていたら、いつの間にか隣に奈々子がいた。
このあたり、すっかり変わった。
川の向こう側を見ながら奈々子が言った。
昔から店はあったんだけど、こんなに人多くなかった。どちらかというと、これからさびれていきそうな雰囲気だった。でも賑わってる。
私の未来予想は全部外れた。
どんな未来を予想してたの?
男女平等、はずれ。バレンタインはなくなる、はずれ。いじめが減る、かえって増えた。インターネットがこんなことになるとは誰も思ってなかった。
誰もではないと思うよ。IT系の人は知ってたかも。
そっか。私は本当に、限られたことしか知らなかったんだ。本とかテレビで見た世界の断片を、ほんのかけらを。
通りすがりのおばさんが不審者を見る目でこちらを見た。やばいと思った。みんなは幽霊が見えてないから、私が一人でブツブツ言ってるように見えるのだ。
ごまかすためにスマホを取り出した。公園のアートを撮って佐加に送ってみた。『こういうのわかんね』という返事が来た。
なんで街中をさまよってたの?
私は聞いた。すると、
あなたが渋谷や知らない駅へ行ってうろうろするのと同じ理由。
と答えた。
考えてみて。
奈々子は謎かけをして消えた。私は公園内をひととおり回ってから狸小路に行って、そこから地下に入った。大通駅まで歩くと、ベンチがあって人が休んでる場所を見つけたのでそこに座って通り過ぎる人を眺めた。人が多くて、みんな早足だ。秋倉で散歩してる人の10倍くらいの速さで歩いてる。
私が街中をうろついていた理由は何だったろう。暇だった?家にいてもおもしろくないからか。本屋やカフェに行ったり、街を歩く方が、毎日いろいろなことが変わっていて楽しいし、それに、家に帰っても誰もいない。バカも妙子も仕事でめったに帰ってこない。
奈々子には親がいたはずだ。確か家は自営業で、父親も家にいたとか聞いたことがある。でも、仲はよくなかった。
私はかつてここを歩いていた奈々子の姿を想像した。生きていて、どこにでもいる普通の女子高生で、まだ未来があると信じていた頃の。実際、似たような女子高生が何人か目の前を通り過ぎた。休日なのに制服を着て、部活なのか荷物が大きい。私も何かやればよかったかなと思った。でも書くこと以外に興味のあることはないし、私はいつでも自分の不安や落ち着きのなさに対処するのに手一杯で、きちんと先のことを考える余裕がなかった。
だから畠山に引っかかっちゃったのかな。
そのまま地下鉄に乗れば早かったんだけど、どうしても外の空気が吸いたくなって外に出た。前におじいちゃんが『札幌にはバスで行く』と言っていたのを思い出した。電話して『そのバスどこにあるの』と聞いたら、別な通りまで歩けばバス停があるから、そこで札幌駅とは逆向きのバスに乗ってと言われた。大丈夫かなと思いながらバスに乗ったら、ちゃんと着いた。バス停でおじいちゃんが待っていてくれた。
おばあちゃんのカレーを食べてから、最近の話をした。でも、幽霊の話はできなかった。ただ『死ぬときに後悔したくないから今のうちにやれることはやっておきたい』とか私は偉そうに言った。何したらいいかもわかってないのに。
若いうちに何でもやっといた方がいいぞ。
おじいちゃんは言った。
歳取るとやりたいことがあっても体が動かなくなるぞ。
そういうおじいちゃんは、明日ゴルフに行くらしい。おばあちゃんはビーズ手芸にハマっていて『最近目が見えなくて』とか言いながら、めっちゃ小さいビーズの粒を一個一個編み込んでバッグを作っていた。『欲しかったらあげるよ』と言われたけど、今おばあちゃんが作ってるのがめっちゃ虫みたいな色だったので、『青いやつにして』と言っといた。本当に青いやつ送ってきたら?仕方ない。部屋に飾ってやろう。使わないけど。
母の昔の写真を見てたら、小さな母が同じくらい小さな男の子と写っている写真があった。幸平という子だ。橋本の死にショックを受けて、のちに自殺する男の子。それを知っているせいか、子供なのに暗い目をしているように見えた。母も笑っていない。
ところで、ここはバカの実家なのになぜ母の昔の写真があるか。それは、結婚する時に、反対された母は自分の親と絶交し、自分のものを持ち出してここに移したから。だから、バカの家なのに、倉庫には母が子供の頃使っていたものが詰まってる。実は今日初めてその品々を見た。子供用の木のおもちゃ。乗って遊ぶのであろうプラスチックの車。顔が古い人形と服。すすけたクマのぬいぐるみ。アルバムの写真に橋本が写ってないか見たけど、そこには自分と、幸平という男の子の写真しかない。剥がした跡があるのはなぜだろう。親の写真が一枚も残されていないのも。
おばあちゃんに、母の家族がどこにいるか聞いてみたけど、
もう何年も連絡してないから、わからない。
昔の電話番号もつながらない。
と。おかげで私は祖父母を一組亡くした。お年玉が惜しいわけではない。ただ、母がそこまで親を嫌っているのはなぜなのか知りたい。でも本人には聞けない。今パニックを起こされたらロケが台無しになる。あの人は変な所が繊細だから刺激したくない。
由希さん、今でも、
ここに来ると必ずその写真を見てるわ。
おばあちゃんが言った。妙子がここに来ることなんてあるんですかと聞きたくなったがやめておいた。母が自分の家よりここを実家だと思っているのは私も知ってる。実は私は小学生くらいまで、母もバカもここで育ったと思い込んでいた。母がここを自分の家だと言っていたから。小学校で『パパとママのおじいちゃんとおばあちゃんは別だよ』と友達に言われて、初めて知った。よその家には祖父母が二組いるのが普通だということを。
その子、五月にそっくりなのよ。
ちょっと見て。今五月の写真持ってくるから。
おばあちゃんが自分の息子の写真を持ってきた。バカが小さい頃の写真だ。手を上げたり飛び跳ねたりバカな顔をしていたり、いかにもバカそうにふざけている写真ばかりだった。
ね?似てるでしょ?顔が同じでびっくりするのよ。
由希さん、五月がこの子に似ててびっくりしたらしいのよ。それが縁で結婚したのよ。
とおばあちゃんは言ってるけど、私には2人が似てるようには見えなかった。小さなバカがあまりにもバカっぽい格好で写っていたからかもしれない。とにかく普通に立って写ってる写真がない。他の家族が大人しく立ってる写真でも、バカは一人で変なポーズをしてる。舌出したり白目むいたり飛び跳ねてたり、とにかくまともな写真がない。
同じ顔でも、片方は自殺するほど暗くて、もう片方は明るすぎるバカ。
ふと思った。母が、あの幸平という子に似てるという理由でバカを選んだとしたら。橋本の死が2人を結びつけたことになる。つまり、橋本が生きていたら2人は出会わず、私は生まれていなかった。一人の人間の死が、別な人間を誕生させたわけ。
私はそれを恐ろしいことだとも思ったし、なぜか当たり前のようにも思った。どうしてかわからないけど、橋本が死んだのは必然だったという感じがしてきた。でもひどいと思う。お前が死んだせいで幸平って子は死んで、母の人生は狂った。それは事実だ。そこはやっぱ許しがたい。
ふざけたバカな子の写真を写真に撮って今のバカに送りつけてみた。『そんな恥ずかしいもの出すなよ』という返事が来ると思っていた私は甘かった。奴には恥ずかしいなどという概念はない。送った写真と同じポーズでふざけた自撮り写真を送りつけてきた。『俺は今も飛んでるピョーン』というおバカなセリフ付きで。おばあちゃんに見せたら『やだぁもう!』と顔をそむけられ、おじいちゃんに見せたら、
いつものカフェに行こう。
と、静けさをたたえた目で言われてしまった。
あれ?スルー?スルーなの?
2人ともさすが親。バカの扱いはよく知っていた。
いつものワッフルカフェに連れて行ってもらった。店員のイケメン度が前より上がっていて興奮した。佐加にワッフルの写真送ったら『イケメンの方は?』と言われたけどさすがに『あなたの写真撮っていいですか』とは聞けなかった。
本当にあいつは、誰に似たのかわからん。
おじいちゃんが息子の愚痴を言い出した。
弥生は真面目に育ったのに。
バカの妹、弥生おばさんは、名前のとおり3月生まれで、今は熊本にいる。
弥生おばさんはどうしてる?
地震で大変だったらしいが今は落ち着いて暮らしてるよ。
それにしても五月は昔からふざけた野郎だったんだよ。学生の頃はビートたけしを目指してたんだ。あいつは何も言わなかったが行動から明らかだ。
昔のバカのバカすぎる所業をたっぷり聞かされてから、またヨーカドーに行ってお土産を買ってもらい、アイスを食べて帰ってきた。
ここに来ると思いっきり甘やかしてもらえるので気分がいい。でも、いつまでもいるわけにはいかない。忘れてたけど私は受験生だ。勉強しないと。
勇気からのLINEをスルーしてしまったので、今慌てて『おじいちゃんの家にいる』と、バカのバカな写真を一緒に送った。『知能低そう。でも生き残ってるってことは頭は良かったんだね』と返ってきた。いや、それはどうだろう。でも、確かにバカは、古典とか昔の演劇の本とかはひととおり読破してたし、そっち方面の努力はしてると思うけど、でも普段の態度がバカすぎてそれが見えない。
努力を見せないで成功するってかっこいいじゃん。
バカが、かっこいい。
それは新しい概念だ。記憶しておこう。でも本人には言わない。つけあがってピョンピョン跳ね回るから。
せっかく札幌に来たから、結城さんのマンションに行ってみようかと思ったけど、行っても入れないからやめた。かつて音楽教室だった場所。奈々子が昔通っていた場所。今は結城さんが昔の思い出に浸るだけの場所。
本当に奈々子が好きだったなら、かわいそうだ。
でも、だからって奈々子に体を譲る気はない。私の体は私のもの。体と心は一つなのだ。体が記憶を作り、記憶が私を作る。いや、もしかして違うのだろうか。昔は肉体より精神を重視した。でもその精神は、薬物だとか脳の障害とかで、いとも簡単に変わってしまう。結局肉体が精神を作っている。そうじゃない?
かつて奈々子を形作っていたものはもう存在しない。
どうするのが一番いいのか、まだわからない。だけど、たぶん、幽霊達をなんとかするには、生きた私達の体が必要だ。
初島の狙いはそこなんだろうか?
なんか考えたら怖くなってきた。もう寝よう。あしたは早く帰って勉強しよう。でも、おばあちゃんが一緒にアウトレットモール行きたいって言ってたな。どうしようかな。どっちかというと私より佐加の方が合いそうな場所だけど。




