表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2015年8月
8/1131

2015.8.23 サキの日記



 朝起きれなくなってきた。



 ここに来てからはやたらに早く寝てたから、ずっと5時か6時には勝手に目が覚めたのに。来る前のような倦怠感が朝からまとわりついてきた。もうすぐ帰らなきゃいけないから、全身がそれを拒絶してるのかもしれない。

 朝ごはんの時間に姿を見せなかったので、あかねがドアを叩きに来た。何か恨まれるようなことでもしたかと思うくらい乱暴な音が聞こえた。半目にボサボサの頭で仕方なく出ると、あかねに黒ずんだ紫色の風呂敷包みを押しつけられた。


 朝ごはんは食べなくていいから、それ久方さんの所に昼までに持ってって。


 歩き出して数歩の所で振り返り、


 お弁当。


 と、軽く私を睨み付けながらメガネを押さえ、


 ママが作りすぎるから悪いのよ!

 生徒なんかもういないのに!!


 と叫びながら歩き去った。最後のは私に言ったのか、平岸ママへの嫌味なのか、よくはわからない。

 もう一度眠りたかったけど、風呂敷から美味しそうないい香りがするし、届けろと言われたものをいつまでも預かっているのはなんだか落ち着かないので、すぐに着替えて出かけることにした。


 天気が良い。

 草原の草の臭いと、卵と何か知らない食べ物の香り。空はとてつもなく青い。『秋倉雲』と呼ばれる二本の筋状の雲が、舗装されていない一本道の左右に浮かぶ。

 まるで別世界に来てしまったようだ。

 このまま時間が止まればいい。永遠に帰らなくて済むように。

 もちろん、本当に帰れなくなったら困ることは、前に道に迷ったからよく知ってるけど。


 目印の林の中に入り、研究所の玄関に行くと、ドアは空いたまま、換気でもしているのかと思って中に入ると、所長はいつもの窓辺にいた。


 やあ、どうも。平岸さんから今日は昼御飯を作るなって電話があったよ。



 所長はうれしそうだったが、その『平岸さん』が3人のうちの誰なのかがわからなかった。ママなのか、あかねなのか。パパかもしれないし。


 たまに来るんだよ、電話が。

 昔はたくさんの生徒のご飯を作ってたらしいから、今でも間違えちゃうのかもしれないね。


 去年卒業した生徒を最後に、平岸アパートには学生がいなくなった。秋倉高校は生徒の募集を停止。今の在校生は30名以下。あかねも確か言っていた。『うちのクラスは9人しかいない』と。


 朝ごはんを食べずに歩いてきたので、急にお腹が空いてきた。所長が『今すぐ食べよう』と言ってくれた。もしかしたら所長に電話したのはあかねで、私が寝坊したのもバラされたのかもしれない。

 風呂敷の中身は、幕の内弁当を二人分、二段重ねにしたような内容だった。何をどう間違ったらこんな弁当を『作りすぎる』ことができるのか、不思議すぎて所長と話が盛り上がった。どう見ても特別に作ったとしか思えなかった。でも、記念日でもないし、理由がさっぱりわからない。帰ったら聞いてみることにした。

 お弁当を食べ終わると、所長は律儀に箱を洗い、それから二人で『三人の妻への手紙』という古典映画を見た。ダサいドレスを嘆いている若い妻を、励まして助けている年かさの妻の優しさ。古い映画が好きなのも、所長と私の共通点の一つ。ドアの横の壁には、映画のDVDやCDがずらっと並んでいる。たぶん所長は孤独で人付き合いが上手くないのだ。実際本人も言ってたし、私もそう。


 私の部屋だってそう。

 本とDVD、パソコンやスマホの中にもデータはいっぱい。



 でも、部屋には友達の写真はない。

 スマホの中にも入ってない。

 夏休みは1ヶ月以上あるのに、父からと、コンビニのキャンペーン以外のメールは一切来ない。


 人生はここにあるはずなのに、人の影がない。

 町には、所長を不審人物だと思っているひとも実際、いる。

 私はもちろん、そうは思っていない。

 学校の奴らは私をノロい馬鹿だと思っている。

 残念だけど私もそう思っているから、わざわざ教えてくれる必要なんかないのに、彼らは毎日私にそれを思い知らせようとする。



 父からは毎日、しつこいほどにメールが来るので無視し続けている。どうせ親友(平岸パパ)にも毎日電話をかけて、私の状態をチェックしているに決まっているからだ。


 またバカからメールが来まシタ。

 所長に『パパだピョーン』という題名の、いい年の大人が書いたとは思えない幼稚なメールを見せると、お父さんをバカなんて言っちゃだめだよ、と初めて注意された。


 これには、我が家独特の理由がある。

 そのうち説明しなくてはならないだろうけど、今日はやめた。



 せっかく遠くまで来てるのに、なんで嫌いな奴らのことを忘れることができないんだろう。



 風呂敷包みを平岸ママに渡して、今日はなんか特別な日ですかと訊いてみたけど、


 まあー久方さんたら丁寧に洗ってくれたのね。


 と、軽くかわされた。そして、中身の野菜はほとんど自分の畑で採れたものだと言った。


 久方さんもこの町に越してきてすぐ家庭菜園を始めて、今年はなかなか上手くいっているみたいですけどね、うちにはかないませんよ。帰るときにわけてあげるから、スーパーで売ってるのと食べ比べてみなさい。甘味も味の濃さも格段に違うんだから!!


 誇らしげに言いながらお弁当箱を棚に戻し、平岸ママはテレビの間に戻った。食事中にテレビを見ないように、食卓とテレビを別々の部屋に分けるのが平岸家の流儀なのだ。



 自分の畑の野菜の方が旨いと言いたかっただけかもしれないです、はい。


 私は所長にそうメールした。このためにわざわざアドレスを聞き出しておいたのだ。

 ほんとうは、夏休みが終わっても所長と連絡を取り続けられるようにするためなんだけど。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ