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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2017年4月

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2017.4.27 木曜日 病院→研究所


 あさみと典人は結婚するって、

 町のだれもが思っていたんだから。


 病院。平岸ママが昔話をしていた。


 なのにあいつは親が連れてきた女と結婚してしまったのよ。もうあさみのお腹には子供がいたのに。あさみはそれからおかしくなってしまった。


 あいつの話はやめてくれや。


 おっさんが不快をあらわにした。


 でも昔はねえ、本当に幸せそうだったの。たぶんあの頃のあさみだったら、あなたに会っても目もくれないでしょうね。それくらい夢中だったのよ。なのに裏切られてしまって。しかも、そこでスパッと別れればいいのに、ズルズル会い続けたから町の人に不倫と言われてしまって。でも、元はどっちが悪いのよ?私は町の人の言い方がよろしくないと思うわ。なぜあさみを責めるのよ?悪いのは典人でしょうよ。


 ああそうだ。でも本当にその話はもうやめてくれ。


 おっさんは窓の外に顔をそむけた。


 でも奈美ちゃんは本当に立派に育ったわ。


 平岸ママはこう続けた。


 うちの子もあれぐらいしっかりしてくれたら、私も安心できるんだけど。

 私はね、老後は子供には頼らずに、何でもやってくれる施設を見つけて、とっとと入ってやろうと思っているのよ。あかねは人の世話ができるような性格してないし、純也は自分の家族の面倒を見なきゃいけない。それに、よく言うのよ。『母親は5人の子供の面倒をいっぺんに見れるが、その逆は無理』って。今じゃ親の介護するのは当たり前って言われますけどね、ちょっと昔まではそうじゃなかったんですよ。あなた昔を覚えてない?昭和の時代に『介護』なんて単語、聞いたことなかったでしょう?


『恍惚の人』があったろ。有吉佐和子の。


 あら、さすが古本屋の息子ね。そんなの知ってるの?私の世代でももう知らないんじゃない?たまにドラマ化されてたけど。でも昔はね、介護する間もなく老人は死んでたのよ。それが自然だったの。昔の人の平均寿命は30とか50よ。人間の本能には『子育て』はあっても『介護』はないのよ。

 だから私、子供には一切負担をかけないつもり。幸い、夫が稼ぐ人だから、金はあるのよ。


 それから平岸ママは、


 別にあさみを責めてる訳じゃないのよ。


 と言った。


 わかってるよ。俺でも思うよ。

 あさみは娘に苦労させすぎた。


 おっさんが言った。


 そういう意味で言ったんじゃないのよ。


 わかってるって。


 私はただ、自分の老後が悩ましいだけ。あかねが卒業したら秋倉高校もなくなるし、子育ても、学生の世話も終わり。これから何をしたらいいのか。もう今から空の巣症候群になりそう!


 いいじゃねえか。まっとうな人生を歩いてきた証拠だろ?


 おっさんは笑った。それから、


 俺もそういう人生を送りたかったよ。普通の人生を。


 と言った。

 ベッドのあさみは、この一連の会話には反応せず、いつもどおり、静かに眠っていた。




 昼過ぎ。

 体は久方創に返されていたが、どこか重苦しいものが体にまとわりついているように感じられた。保坂典人への憎しみか、それとも『普通の人生を送りたかった』という過去への悲しみなのか。

 その保坂の息子が今ここに来ていて、天井からは『ス・ワンダフル』が、少々ぎこちない手つきで聴こえてきた。たまに、うまい音で見本を弾くのも聴こえる。結城は真面目に先生をやっているようだ。


 老後なんてもう考えてるんだな、平岸の奥さん。


 久方は先程の会話を思い出して、そこを意外に思った。あの奥さんはいつも元気で(料理に関しては『好戦的』と言ってもいいくらいだ!)年老いて弱った姿など想像もできないのだが。


 サキ君も来年には卒業する。

 そしたら、この町からはいなくなってしまうだろうな。


 その時、自分はどうするか。そろそろ、今後のことを考えなければならない時が来ていた。仲間からも『このまま永遠に仕事を回し続けるのは無理だ』と言われていた。ここにずっといるわけにはいかない。いつか、世の中に出て、働いて生きていかなくては。

 しかし、ここの生活が今や快適になっていた。自然は美しく、ピアノ狂いさえいなければ静けさがあって、何にも邪魔されずに一人で過ごせる。たまに若者が訪ねてくるのもいい。この暮らしを手放すなんて──今は、考えられない。

 それに、この人生は元々橋本のものだった。


 やっぱり橋本に生きさせるべきじゃないのか。

 あさみさんが目を覚ましたらきっと一緒に──


 そこまで考えた時、


 所長〜。


 早紀が、バスケットを持って入ってきた。


 これ、平岸ママからです。『ケーキまんじゅう』なんですよ。まんじゅうの中にショートケーキが入ってるんです!どうやって作ったんでしょうね。なんか『話を聞いてくれたお礼』とか言ってましたけど、何を話したんですか?


 僕じゃなくて橋本だよ。老後の話をしてた。


 久方は聞いた話をそのまま早紀に伝えた。


 平岸ママ、そこまで考えてるんですね。


 早紀も驚いたようだ。


 うちの親なんて、全然そんなこと考えてなさそうですもん。2人とも芸能人だから、死ぬ間際まで働けるつもりでいるんですよ。でも本当はどうなるかわからないですよね。ボケて寝たきりになるかもしれないし。あぁ、どうしよう。仕事がなくなったら。2人とも演技しかできないバカなのに。


 早紀が本気で心配し始めてしまったので、久方は『大丈夫だよ』と言いながらポット君にコーヒーを頼んだ。


 妙子の介護なんて、考えただけで恐ろしいですよ。


 早紀は言った。それから、


 ヨギナミはずっと、それをやってきたんですよね。


 と、しんみり言った。





 しばらくして保坂と結城が降りてきたのでまた平岸ママの話になった。保坂は、


 うちの親も何も考えてなさそうだべ。


 と言った。


 こないだ母が言ってたんすよ。『好きだと思っても、相性がいいと思っても、いずれ人は変わる。歳を取らないとわからないことがある』とか。

 でも、俺が思うに、親父は昔から何も変わってないんすよ。何でも自分で決めてるように見えるけど流されてるだけ。きっと、与儀の奥さんと一緒の時は与儀の奥さんの言いなり、うちの母といるときは母に合わせる。親といるときは親に合わせる。そうやって流されてきた結果が今なんすよ。

 きっと老後のことなんかまるで考えてねえべ。やべえな。俺あの親父の世話したくないんだけど。


 ジジイなんざ野垂れ死にさせときゃいいんだよ。


 結城が言うと、早紀が、


 ひどーい!

 

 と叫んだ。


 自分が年寄りになっても同じこと言えます?


 俺は長生きする気ないからいいんだよ。


 いや、そういう奴に限って90とか100まで生きるんだよ。


 久方が言った。


 そうですよ。結城さんの場合、歳取ってもピアノにこだわって『ピアノ弾けないから老人ホームに入りたくない!』とかゴネるんですよ。目に見えるようです。


 早紀が言った。『それな!』と保坂も言って手を叩いた。


 何とでも言ってろ。でも俺はその点に関しては幸せかもな。親はもういないから、介護の心配をする必要はない。

 世話しなきゃいけない家族がいるだけ、まだ幸せなんじゃねえの。


 結城が言うと、その場が静まり返った。


 お前どうすんの?


 結城が久方に尋ねた。


 神戸の親をほったらかしてもう3年は経つだろ。そろそろ考えた方がいいぞ。どうやって世話するか。

 自分の子でもないのに育ててくれたんだから、恩は返せよ。


 結城は言いながら立ち上がり、部屋を出ていった。保坂が追いかけていき、2階からはまたガーシュインが流れ始めた。


 保坂、結城さんにくっついて回ってますね。


 早紀はふてくされた顔をしていた。


 木曜だけだから許してやりなよ。


 久方は言った。


 早紀が帰ったあと、久方は神戸の母親に電話をかけ『元気?』とか『最近変わったことない?』と聞いたが『老後のこと考えてる?』とは聞けなかった。平岸の奥さんが言っていた『どこかの施設に入る』ような選択は、自分の親にはしてほしくないと思っていた。父も母も、いつまでもあの家で暮らしてもらいたい。


 ああ、そうか。

 あそこが、僕の家だったな。


 久方は改めてそのことを思い出した。自分に家があったことを、しばらく忘れていた。急に、自分が間違った場所にいるような気がしてきた。

 帰った方がいいのかもしれない。

 久方は思い始めていた。でも、橋本はどうする?早紀は?若者に取りついている幽霊達は──それに、何が起きたかまだ何も聞いていない。

 この一年で、すべてなんとかしなくては。

 でも、できるだろうか。

 久方は焦り始めていた。





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