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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2017年4月

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2017.4.22 土曜日 研究所


 創の様子がおかしいんだよ。


 橋本は、眠っているあさみに話しかけた。


 一度は『生きたい』って希望を持ち始めたのに、最近また『消えたい』って言い出して、ずーっとそのことしか考えられねえみたいなんだ。

 あいつを生かすのは本当に大変だよ。何かというとすぐ『僕は存在しちゃいけない』って言い出すからな。

 でもそれは()()のせいなんだよな。

 なあ、どうしたら生きる気になってくれると思う?


 あさみは答えない。


 お前は、俺に会って少しは楽しかったか?


 橋本は再び尋ね、あさみの手を握った。


 もし救われたのが俺だけだったら、申し訳なくて仕方ないよ。

 俺はお前にも救われてほしいんだ。


 声は雨の音に混じって、今にも消えてしまいそうだった。





 今日はずっと雨だ。たまに氷のつぶてが混じる。この時期独特の降り方。春が来ているが、冬の抵抗がまだ激しいのだ、北海道の4月は。

 久方はカウンターで窓の外を見ながら、今日橋本が言ったことを考えていた。

 

 あさみさんが救われないと、橋本は満足しないのか。

 でもそれはほとんど不可能だぞ。意識がないんだから。


 早紀は昨日奈々子をカラオケで歌わせて『歌うことはやはり大事みたいだ』と気づいたらしい。そして今日は『杉浦がウザいけど、自分の将来のために勉強会に参加します』と言ってきていた。

 橋本がやりたいことは、あさみを救うこと。

 でもそれは不可能だ。


 俺達のことなんかもう考えるなよ。


 と橋本はよく言ってくるが、そういうわけにもいかない。自分が自分の人生と体を取り戻すためには、この幽霊をなんとかしなくてはいけない。

 でも、本当に消す必要があるのか?

 今うまくやっているのに。

 前に高谷修平が『幽霊に生きさせた方がいい』というような逆説的なことを言っていたのを思い出した。生きているという実感を与えた方がいいと。槙田も同じようなことを言っていた。早紀は、奈々子に歌わせることでそれをやってのけたのだろう。


 でも、僕と橋本の場合は──


 久方はどうしたらいいか、やはりわからなかった。





 そんなの簡単だろ?お前に生きててほしいんだよ。


 3時頃、散々ピアノを弾いていた結城が、お菓子を探しに下に降りてきて久方にこう言った。


 お前がちゃんと生きればいいんだって。こんな所に引きこもってないで世の中に出て、一人でもやっていけるって所を見せろよ。そしたらきっと消えないまでも、奈々子の先生くらいには引っ込むんじゃないの?


 結城はお菓子を取りに行ってから、わざわざ久方の所に戻って、


 神戸に帰るか、ここを出て就職しろよ。


 と言って、チョコバーを投げつけて2階に戻っていった。そして天井からは、季節に合わない『サマータイム』が聴こえてきた。しかも激しくアレンジされていた。最近また曲作りや改悪に目覚めたらしい。今日は朝から『ベートーベンのジャズverメドレー』を聴かされ、寝覚めが最悪になった。


 人のこと言えないじゃないか。

 自分もこもってピアノばっかり弾いてるくせに。


 久方はつぶやいてからチョコバーを食べ、散歩に出かけることにした。雨の中を歩くのも悪くない。


 今日もサキ君は来なかったな。


 久方は思ったが、忘れることにした。

 この時期の雨は冷たい。まだ冬の冷たさを含んでいる。でも、雪ではなく雨であるというだけで、春を証してもいる。2つの季節がせめぎあって、その間で生き物達が出る機会をうかがっている──久方は雨で濡れた道を歩きながら、その気配を感じ取っていた。寒くて歩きにくくて、風で横から飛んできた雨粒にはどうしても濡れてしまうが、それでももうすぐ来る春を思って、久方の顔はほころんだ。


 一生、こうやって季節の中を生きていたいものだな。


 久方は思った。かといって、今の暮らしを永遠に続けられるわけではない。仕事を回してくれていた友人達も『そろそろ帰ってきては』と言ってきている。でも今はもう少し、ここで、自然を感じながら暮らしたい。

 今日は誰にも会わなかった。まりえも早紀も、こんな雨の日には外に出たがらないのかもしれない。ふと、モノクロの森のことも、『消えたい』という気持ちも今日は思い出さなかったことに気づいた。状況は何も変わっていないのになぜこんなに気分が違うのだろう。そう考えた時、()()()が夢の中で、自分のことを『マザーアース』と呼んでいたことを思い出した。

 つまり、僕が受け継いだ力は自然に関係があるってこと?

 よくわからなかった。

 建物からはまだ、変にアレンジされた古い曲が響いてきていた。


 橋本、聞こえる?


 久方は部屋に戻ってから、空中に向かって声を上げた。


 あの人には不思議な力があったんだよね?


 返答はない。


 岩本も行ってた。死んだ人をよみがえらせたって。新道先生や高谷君からも、地震を起こしたり人を惑わせたりしてたって聞いてる。それって、お前が死んだことと何か関係があるの?


 ないよ。


 橋本が出てきた。声だけではなく、生きていた頃の姿で、赤い髪の少年が、久方の前に現れた。


 その力は何の役にも立たなかったんだよ。

 だから忘れろ。考えても無駄だ。


 でも現に僕はあの森を創り出してしまった。


 お前が作ったんじゃねえよ。たぶん、お前の友達が言ってたように、初島の罠だ。お前をおびき寄せようとしてるんだよ。


 なんでわかるの?


 いかにもあいつのやりそうなことだからだよ。

 お前、もうそこに行くのはやめろ。


 でも、子供の頃の僕がいるんだ。


 そんな奴ほっとけよ!

 お前はもう一人で生きてる大人だろ?


 どうして昔のことを何も教えてくれないのさ!?


 久方は叫んだ。


 知ってるくせに!どうして僕がここにいるか、どうしてあの人があんなふうになったのか!

 それがわかれば僕は──


 僕は、何だよ。どうするってんだよ?あぁ?


 橋本はいらだっているようだった。


 言ってみろ。わかったらどうすんだ?


 久方は言葉に詰まった。全てがわかったらどうする?自分は変われる?疑いが晴れてすっきりする?それとももっとひどいことが起きる?


 わかんねえだろ?


 橋本はバカにしたように言った。


 お前はな、人生がうまく行ってないから、昔のことばかり考えすぎてんだよ。新橋に彼氏ができたせいで落ち込んでたろ?それで、昔のことを思い出したんだよ。初島の言いなりになって自分を消されそうになった時のことをな。

 でもな、それはもう遠い昔の話だろ?

 今のお前には、初島はもう関係ないんだよ。

 しがみつこうとしているのはお前の方だ。何が不思議な力だ。何が昔起きたことが知りたいだよ。

 関係ねえんだよそんなのはよ。今のお前にはよ。


 久方は言われるがままぼんやりしていたが、ふと、


 お前、なんで死んだの?


 と、暗い目でつぶやいた。


 いいだろそんなことはどうでも。


 よくない。それだ、みんなが言ってるのは。


 久方は急に強い目つきになって橋本をにらんだ。


 人には自分の人生を生きろとか言ってるくせに自分はどうなの?生きていた頃に何が起きたか、ほとんど話してくれないじゃないか!

 話せないんだろ、自分の人生が嫌いだから!

 ろくな人生送らなかったって思ってるから!


 久方の声が悲鳴のようになってきた。


 おい、落ち着けよ。そうじゃねえって。


 橋本は慌てていた。


 お前が知る必要のないこともあるんだよ。


 それは僕が決める!


 久方は叫んだ。それから、急に冷静な声になってこう言った。


 ずっと僕に取りついて人生をおかしくしてきたじゃないか。今更それについてどうこう言う気はないよ。でも、今、僕らは協力して、どうしたらお前が成仏できるか考えなきゃいけない。サキ君や高谷君達もそうしてる。それには、お前がどう生きていて、何があったのか、知らない訳にはいかない。


 久方は橋本に詰め寄った。橋本は怯えた顔をして後ろに引いた。


 今日こそ教えてもらうぞ!

 お前が死んだ日に何が起きたのか!


 しかし、久方のあては外れた。橋本が消えてしまったからだった。久方がいくらわめいても、出てくることはなかった。


 おい、何を叫んでんだよ。病気が再発したのか?


 声を聞きつけて結城が下に降りてきた。久方は今のやり取りを伝えながら泣き出してしまった。そしてまた『ガキくせぇ』とバカにされた。


 橋本の言ってることが正しいよ。

 もう昔のことは忘れろよ。

 潔く新橋に当たって砕けるか、神戸に帰るかしてくれや。


 結城は呆れてそう言ったが、久方は『どうしても知らなきゃいけないんだ!そうじゃなきゃ帰れないんだ!』と何度もわめいた。結城が久方をなだめるのに夜中までかかった。やっと大人しく寝てくれた後、結城は一人で1階に戻り、テレビをつけながら深いため息をついた。この様子だと、今後しばらく久方は落ち着きなく動いて何かまずいことをやらかしそうだと思ったからだ。






 




 

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