2017.4.18 火曜日 サキの日記
ヨギナミの強い誘いで、カフェに行って橋本と話した。といっても見た目と声は所長なので違和感ありまくり。話してるうちに奈々子まで出てきて、昔の札幌の話を始めた。所長を連れて行った4プラのアクセサリーパーツの店や中古CDショップの話だ(この話今まで何回聞かされたかもう数え切れない。よほど思い出があるんだろう。今度行ってみようかな、4プラ)。
ただ、橋本は、自分が生きていた頃の話をしたがらない。
『俺のことなんかどうでもいいだろ』と言ってはぐらかしてしまう。本当はそこが一番重要で、ことの発端はあんたの死なんだよと言ってもダメ。私は母の名前を出して脅してみた。『由希ちゃん』のことは覚えていたらしく、かなりひるんでいたけど、やっぱり死んだ日に何があったかは『話せない』と言う。
よほどやましいことがあったに違いない。
やっぱり初島と恋仲だったんじゃないか?妙にかばっているような言い方をしていたし。『創に聞かれたらまずい』とも言ってたし。
奈々子も生きていた頃には、そこまで詳しいことは聞かなかったという。
あんたは昔から肝心なことを隠すもんね。
奈々子が橋本にそう言っていた。何か隠してるとは昔から思っていたらしい。今日新たに聞いた話といえば、橋本は3年生になってから『学校に行く気が全くなくなってしまった』ので、サボって自宅や廃ビルで本ばかり読んでいたそうだ。出席日数が足りず、高校を卒業できないことはほぼ確定していたという。なんで行きたくなかったのと聞いたら『お前と同じだよ』と言われた。何それ、どういうこと?
いじめられてたのかなあ、おっさん。
帰りにヨギナミが言った。
髪の色とか、あと、いい人だけど言動がなんとなく乱暴だから、私も最初はお母さんに近づいてくるの嫌だったんだよね。
今ではすっかりお父さんになってるけどね。
お父さんですと!?
私は変な言い回しで叫んでしまった。それはヤバいでしょう!でも、ヨギナミはあくまで『お父さんぽい』と言い張る。ヤバい、どうしよう。所長に言っといた方がいいかな。でも所長の話じゃないし。
それより、この時間中、所長は何してたんだろう?また森に行っちゃったんじゃないだろうな?LINEしてみたら夜になってから、
今日はずっと橋本の近くにいて、
サキ君とヨギナミの話も聞いてたよ。
と返ってきた。とりあえず森に行ってなくて安心した。
でも、橋本がお父さんなんて笑っちゃうよ。ヨギナミは橋本の本当の姿を見たことがないからそう思うんだ。
70年代の髪の赤い高校生だよ?
そのことを散々バカにして笑いあった後、私は寝ることにした。でも急に、前の学校のことと、動画のコメントのことを思い出してしまった。
あいつらがここに来たらどうしよう。
そう思って、窓の外を見て、それからわざわざ外に出て、アパートの入口に誰もいないのを確認した。そんな必要ないって頭ではわかってる。あいつらがわざわざ私なんかを追って北海道まで来るわけがない。でも、体が怖がっているのがわかる。
いろいろひどい目にあってわかった。
頭と体は、思ったよりも連動してない。頭では平気なことを体が怖がることもあるし、その逆もある。自分の体は自分のものだけで、思い通りには動かない。私とは別の意志を持っているんじゃないかと思うくらい。
『私』とは、何だろう。
よく『人は過去だ』とか『いや、愛だ』とか言う。
でも結局は『体』に返ってくるんじゃないだろうか。自分の意志とは関係なく動いている個々の細胞が、それぞれに自分の意志をもっているとしたら──その数は、正確には知らないけれど、地球の人口より多そうだ。
今ググったら60兆個って出た。地球の人口どころじゃなかった。それだけの数の細胞が、相互に協力しつつも、それぞれに生き物だとしたら?人間が、人間の行動や感覚が、死ぬほど複雑で不可解になるのは、当たり前のことではないか?
私はいつまで、前の学校のことを思い出すんだろう。
細胞よ、早く忘れてほしい。年月が経ったら入れ替わるはずなのに、私の体はまだあの人達を怖がっている。こんな遠くで。
ネットがない時代、橋本や奈々子が生きた時代なら、引っ越してしまえばそれで人との縁は切れただろう。でも今はネットにつないでしまったら、みんな同じサービスを利用してる。だから、こんな離れた所で作った動画に『この子前うちの学校にいた』なんてコメントがついてしまう。世界中どこに行ってもみんながつなぐのは同じインターネット世界。外国で、ネットいじめで自殺した子がいた。引っ越した先でも同じ悪口や中傷がついてきてどうしようもなくなったのだ。のちにその国の首相が『これはもはや犯罪だ』と宣言して対策を始めたとか確かニュースで見たことがある。だいぶ前に。
私を追いかけてこないで。
放っといて。
私は遠くの、もはや私のことなんかひとかけらも考えてなさそうな人に向かってつぶやいた。わかってる。現実の彼らはもう私には何もしてこない。私が気にしているのは、私の記憶の中の彼ら、きつい言い方をすれば、私が勝手に気にしているだけ。
これは私の問題なのだ。
私がなんとかしなくちゃいけない。
たぶん私は、自分の体に教え直さなきゃいけないのだ。
『もうここは安全なんだ。怖がる必要はない』と。




