表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2017年4月

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

782/1131

2017.4.16 日曜日 研究所

 朝5時。結城がうるさいピアノを鳴らし始める前に朝食を作ってしまおうと、久方は早起きしてキッチンにいた。昨日は夜遅くまでカフェの孫が居座って岩保を撮っていたため、寝る間際まで落ち着かなかった。今日はゆっくり話をしたいものだ。若い学生達が来る前に。岩保が連れてきた岩本が、やたらに橋本と話したがるのも気に入らなかった。いくら幽霊が見えると言われても、あんな口の悪い男に重要な話をする気にはなれない。

 卵を焼いていると、後ろから足音がして、覆面をかぶった岩保が現れた。


 岩本君は平岸家に泊まってるよ。若い子達についている幽霊が気になるらしくて。


 つまり早紀と一緒にいるのか、こんな朝早くから。

 久方は気に入らなかったが黙っていた。


 気になることがある。

 昨日みんなが集まっている時の君の様子だけど、もう、新橋って子に夢中なのは見え見えだよ。きっと彼氏にもバレてるんだろう。


 岩保はそう言って笑った。


 バレてるどころか一度警告しにここに来たよ。

 わざわざ。


 なのにあの子だけが気づいてない。どうする気?


 別にどうもしないよ。サキ君は学生で、僕は大人だ。


 久方が言うと岩保は『ふふっ』と笑い声をもらした。それから、


 今日、槙田もこっちに来るって。


 と岩保が言った。リア充も来るのか。久方は苦笑いした。他人の幸せを過剰に願うあの男が今の事態を知ったらどうなるか、想像できすぎて恐ろしい。


 それとねえ。


 まだあるの?


 実は昨日、夜中に橋本さんと話したよ。


 久方は火を止め、岩保を見た。覆面のせいで表情は読めなかった。


 たぶん知らない他人の方が話しやすかったんだろうな。いろいろ教えてくれたよ。でも、自分が死んだ時のことは話してくれなかったな。


 そう。


 彼もいろいろ不安らしい。

 でも、話の中身は他人の心配ばかりだ。


 ヨギナミの話もした?


 聞いたよ。自分の娘だと思っているらしい。


 娘って。


 今度は久方が笑う番だった。


 別におかしいことじゃない。ただ、自分が一番不安定で困っている立ち位置のはずなのに、それを言わないのが気になったね。『自分のことは心配じゃないの?』と聞いたら『俺なんてどうでもいい』ってさ。


 岩保は卵が乗った皿を運んでいき、戻ってきてからこう続けた。


 よく似てるよ。君と橋本さんは。『自分なんかどうでもいい』って所が。でもね、その2人分のセルフネグレクトが、事態を悪くする原因のようにも思える。


 どういう意味?


 自分の問題なのに、向き合ってないってことさ。


 2人が食事を始めた少し後に、結城が眠そうな顔で降りてきた。今日はピアノを弾かないようだ。

 食事中は3人とも言葉少なだった。食器を片付けた後、久方は岩保を自分の部屋に連れて行った。結城が1階でテレビを見始めたからだ。


 さっきの話だけど、


 久方から切り出した。


 僕らのことをセルフネグレクトって言ったよね。

 じゃあ、僕はどうしたらいいっていうの?


 月並みな言い方をすると、

『自分の人生にきちんと向き合え』かな。


 岩保はそう言ってからまた笑い声をもらして言った。


 僕も人のことは言えないんだけどね。ずっと家にこもって生きてきたから。でも、岩本君にむりやり外に引っ張り出されたり、高条君みたいな若い人と接しているうちに、変わってきた。何ていうかな。僕は外に拒絶されてたわけじゃなく、自ら目をそむけてきただけかもしれないと。


 久方はいつか佐加が言っていた言葉を思い出した。

『自分が参加してないだけじゃん』


 僕の目には君も、何かと理由をつけて、現実の世界から自ら引こうとしているように見える。モノクロの森がその最たるものだ。


 でもあそこには──


 初島と、子供の頃の君がいる。君がずっと忘れていて、疑問に思っていることの象徴が。

 それこそ初島が仕組んだ罠かもしれないじゃないか。岩本君が言っていたように、僕らは初島と関わったことがある。だから言うんだよ。君の弱みを向こうは知ってる。利用するのはたやすいことだ。


 岩保のスマホが振動した。


 高条君達、もう起きて集まっているらしい。今何時?7時か。早いな。最近の若者は朝型なのかな。


 岩保は若者と接するのが楽しみで仕方ないようだ。久方は気に入らなかった。駒を犬に取られた時のような感情が湧いてきた。僕の友達なのに、僕のこと忘れてない?──いや、そんな言い方は子供っぽすぎる。


 僕は仕事があるから、行って楽しむといいよ。


 久方は低い声で言った。


 あれ?今日は日曜で友達が来てるのに、仕事なんかするの?


 岩保がおどけたように言った。久方は黙って部屋を出ていった。





 その数十分後、久方はまたモノクロの森にいた。

 せっかく久しぶりに会ったのに、岩保と一緒に若い人達に会いに行きたくないのは、早紀と彼氏が一緒にいるのを見るのが辛かったからだ。きっと岩保もそれに気づいているだろう。

 僕は何をしてるんだろう。

 感覚のない世界で、自分の臆病さとみじめさだけを強く感じながら、久方は灰色の草の中でじっとしていた。

 しかし、何も起きない。

 誰もやってこない。

 やっぱり岩保と一緒に早紀達に会いに行くべきだったろうか。久方はそう思い、帰り道を探すため動き出した。森の中をひたすら進んだ。しかし、どこまで行っても似たような景色ばかり。色のついたものは何も見えない。

 いくら進んでも出口が見つからず、久方は焦り始めた。もしかして、戻れないんじゃないだろうか、そう思い始めた。前戻った時はどうしていたか思い出そうとした。はじめは新道先生に強制送還されていた。結城のピアノで起きたこともあった。早紀が連れ戻しに来たこともあった。


 サキ君。


 久方はつぶやいた。だめだ、強く想ったらまた早紀をここに引き寄せてしまう。しかし、久方は早紀のことを考えずにいられなかった。今まで2人で話したことや、一緒に歩いていた頃などの記憶が、次々とよみがえった。


 生きる理由があるとしたら、それしかない。


 久方は思った。


 どんなに子供じみていて異常だと思われても──


 久方がそこまで思いかけた時、目の前に色づいたものが現れた。同時に、すすり泣くような声も。


 目の前に、子供の頃の自分がいた。

 そして、泣いていた。手の甲で涙をぬぐいながら。


 どうしたの?どうして泣いてるの?


 久方はその子に近寄っていった。すると、突然、目の前の景色が真っ二つに裂けた。


 待って!せっかく見つけたのに──


 久方の叫びも虚しく、子供は割れた風景と共にどこかへ消えてしまった。







 起きてください。大丈夫ですか?


 久方が目を覚ますと、目の前にそっくりな顔が2つ並んでいた。覆面を取った岩保と、岩本だった。後ろで結城が機嫌の悪そうな顔をして腕を組んで立っていた。自分はソファーで寝ていたようだ、と久方は気づき、ゆっくりと起き上がった。


 帰ろうと思って挨拶に来たんですよ。


 と岩本が言った。


 あの子を見つけたんだよ。


 久方は遠くを見るような目をして言った。


 なのに、世界が割れてしまった。


 岩保と岩本は顔を見合わせ、結城は『意味がわからん』と言いたげに顔をしかめた。


 あの子は泣いてたよ。どうしてだろう。


 久方はひとりごとのように言い続けた。


 なんで()()泣いてたんだろう。


 それは本人にしかわからないことだよ。


 岩保が優しく微笑んだ。


 つまり、君自身が答えを見つけなきゃいけないってこと。

 あ、そうだ、槙田はお子さんが熱を出して来れなくなったって。でもそのうちまた来るって言ってたよ。

 僕もまた来れるように努力するよ。


 岩保が言うと、岩本が驚いて『外に出るのあんなに嫌がってたのにどうした?』と聞いた。岩保はただ微笑んだだけで何も言わなかったが、久方には、自分を心配してそう言っているのだということがよくわかった。


 僕はいつまで、

 子供みたいに人に心配され続けるんだろう?


 走り去る車を見送りながら、久方は沈んでいた。

 あの子は、いつまで経っても大人になり切れない自分を見て泣いていたのだろうか?それとも、単に、一人ぼっちで怖かったのだろうか?久方は夜までずっと考えていた。親に捨てられたからかもしれない。いや、でも今自分は一人で生きているし、神戸には新しい親がいる──本物よりも本物らしい親が。


 あんま深く考えないほうがいいんじゃない?


 結城はテレビを見ながらそう言った。しかし久方は考えずにいられなかった。岩保に言われた『自分の人生にきちんと向き合え』という言葉も気にかかっていた。実は、久方はとっくの昔に自覚していたのだ。自分のやっていることが、ことごとく現実逃避でしかないことは。


 でも、何をどうしたらいいんだろう?


 具体的なことは、何一つ思いつかなかった。ただ、一つだけ確かなことがあった。

 自分が、早紀を強く求めているということ。

 それは、どうにも否定できない現実だった。






 

 


 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ