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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2017年4月

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2017.4.9 日曜日 ヨギナミ

 朝、ヨギナミが朝食をとっていると、早紀がやってきた。不安そうにあたりを見回してから席についたが、食事中も支線が泳いでいて落ち着かない。


 どうかした?


 ヨギナミが話しかけると、早紀は『ううん、何も』と答えたが、食事が終わると何も話さずにすぐ出ていってしまった。


 何かあったのかな。


 ヨギナミは不思議に思いながらも、皿を洗ってから部屋に戻り、今日の分の勉強を終えてからバイトに出かけた。



 レストランでは、昼まではいつもどおりの時間が過ぎていった。仕事中は余計なことは考えずにいられた。杉浦のことは考えないようにしていた。どうせ自分に興味を持ってはくれない。今は働いて、家の代金を返さないと。平岸パパが『いらないよ』と言っているにもかかわらず、ヨギナミはどうしてもそのお金を返済したかった。だから働くしかない。

 問題の男は、昼頃やってきた。

 保坂典人が突然、客として店に入ってきたのだ。

 不幸中の幸いで、ヨギナミは店の奥でシェフと話していたため、出迎えずに済んだ。しかし、昼時で混んでいて人手がなかったので、接客しなくてはならなかった。

 久しぶりに見る保坂典人は、前よりも老けて、意地悪そうに見えた。


 ご注文をどうぞ。


 ヨギナミは嫌悪感を隠すのに苦労しながら言った。典人は平板な声で本日のランチとコーヒーを注文してから、歪んだ笑みを浮かべてこう言った。


 奈美よ。うちの養子にならないか。


 物の売り買いをするような気楽な声だった。


 娘が欲しいと思ってたんだ。あさみはどうせもうすぐ死ぬだろう。お前は成績がいいそうだな。秀人が言ってたぞ。俺が大学の費用を出してやるよ。


 ──お断りします!


 ヨギナミは大きな声で言って、まわりの客を驚かせてしまったことに気づき、慌てて『失礼しました』と言ってから引き下がった。

 ああ、汚らしい!

 向こうの申し出は、ヨギナミにとっては迷惑以外の何物でもなかった。しかも『あさみはどうせ死ぬ』ですって?確かにもう目を覚ます可能性は低いけど、あんな言い方ある?

 おっさんがここにいたら殴りかかってくれたのに!

 ヨギナミは他のウェイトレスにランチを運んでくれるよう頼み、自分は裏で皿を洗い始めた。忙しい時間帯に申し訳なかったが、今はどうしてもあの男の前に出ていく気にはなれなかった。


 おい、何かあったのか?


 いつになく落ち着きのないヨギナミを見て、シェフが声をかけた。


 母と付き合ってた男が来たんです!


 ヨギナミは言った。『父親』とはもはや思っていなかったし、口にしたくもなかった。


 私につきまとってくるんです!


 うわぁ、そりゃ気持ち悪いな。


 そうなんです!ほんとに気味が悪いんですよ!


 ヨギナミは彼女らしくない大声で言った。本人に聞こえてしまえばいいのにとすら思っていた。





 夕食の時、ヨギナミはこの話をみんなにした。いつもならあの男の話など口にしたくもないのだが、今日は『変な申し出をされたけど、自分はきっぱりと()()()』ということを世の中に知らしめたかった。ほんの1%でも可能性があるとは思われたくなかった。

 しかし


 いいじゃない。お金出してもらえば。


 何も理解する気がない平岸あかねが冷たく言い放った。


 人の家に居候してるくせに何言ってんの?ほんとの親と暮らせばいいじゃない。似たもの同士でしょ?ほんとは人に頼らないと生きていけないくせに、自分だけで生きてると思ってんの?バカじゃない?


 これにはヨギナミは傷ついてしまい、食事を終えずにすぐに出ていってしまった。


 あかね!言い過ぎ!


 早紀が怒った。


 ヨギナミに謝んな。


 なんであたしが謝らなきゃいけないのよ?


 あの親父マジで気持ち悪いんだって。あんた会ったことないからわからないんだって。私研究所で見たことある。死ぬほど気持ち悪いよあいつ。


 へ〜。そんな気持ち悪い男の娘なんだ。へぇ〜。


 あかねはニヤニヤ笑い始めた。


 親が誰だろうと関係ないでしょ!


 早紀はますます怒った。


 ヨギナミはヨギナミなんだから。


 まあまあ、2人とも落ち着きなさい。


 平岸パパが割って入った。


 お前の言い方は確かによくないよ。


 修平があかねに言った。あかねはそれを無視して『あ〜エビフライうまい』と話をはぐらかした。



 ヨギナミは部屋でちょっとだけ泣いてから、佐加と、所長つまりおっさんに今日起きたことを送った。クラスのみんなにも知らせた。どうしてもみんなにわからせたかった。そんな可能性はないと。

 保坂から、


 最近親父帰ってきてなかったんだけどまさかレストランに出るとは。呆れた。でも、学費は出すべきなんじゃないかと俺は思っていた。


 というメールが来た。ヨギナミは慌てて『いらない』と返事した。みんなからいろいろな慰めや怒りのメールが来た。それをぼんやり見て『私、やりすぎたかな』とヨギナミは反省した。

 おっさんではなく、所長からこんなメールが来ていた。


 僕もとんでもない親がいるから、わかるよ。

 だけど、それはヨギナミの人生には関係ないことだよ。

 否応なく影響は受けてしまうけどね。


 本当はおっさんの反応が欲しかったのだが、ヨギナミは丁寧にお礼の返事をした。

 今日は勉強する気になれなかった。なので、杉浦に借りた『分別と多感』を読んだ。『エマ』が面白かったので、同じオースティンの本が他にないか聞いてみたらこれが出てきた。『エマ』よりさらに読みやすくて、今までで一番面白いと思った。

 でも、私はマリアンみたいにはなれない。かといって、エリナーみたいにいつも冷静でもいられない。

 今日の行動は自分らしくなかったと、ヨギナミは一日を振り返って考えていた。他のことならいくら言われても落ち着いて対処できるのに、あの男のこととなると、何をどう言われても腹が立って許せないのだ。

 ほんと、私の人生から消えてほしい。

 ヨギナミはいつも思っていた。しかし、あの男がいなければ自分も生まれてはいなかったという事実が、ヨギナミをますます落ち込ませるのだった。

 母はなぜあんな男と付き合ってしまったのだろう?

 もう、責めることもできない。

 ヨギナミは本を閉じ、ベッドに入った。でもなかなか眠れなかった。これから自分はどうなるのだろう?あかねの言ったことはきついけど正しい。自分はここに居候しているのだ。早く就職しなくては。そのためにはやはり、公務員試験に受からなければ。

 ヨギナミはベッドから出て机に向かい、勉強を始めた。今自分にできる運命に対抗する手段は、それしかなかったから。




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