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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2017年4月

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2017.4.1 土曜日 研究所

 早紀から桜の写真が届いた。東京の春はもう終わりに入っているようだ。桜の散り具合で季節の進み方がわかる。

 秋倉にも4月がやってきた。しかし、まだ寒く、雪も残っている。桜が咲くのは5月の連休あたりだ。

 久方創は疲れてソファーに寝そべったまま、早紀が見たものと同じ桜を眺めていた。今すぐ飛んでいって、隣で一緒に桜を見たい。しかし、今、久方に立ち上がる気力はなかった。だらしなく寝そべって、時々気まぐれに猫達がソファーに乗ってくるのを、ぼんやりと見ていた。


 あなたが早紀に好意を持っていることは知ってます。


 先程、カフェの孫が訪ねてきて、久方にこう言った。


 でもそれはいいことじゃない。早紀はあなたのことを友達だとしか思っていないし、歳も離れすぎてる。


 言われなくても自分でわかってるよ。


 なら、早紀には今後関わらないようにしてください。


 それはサキ君が決めることだよ。

 ここには他の学生もよく来てるし。


 サキには僕から言っておきます。


 言いたいことだけ言って、高条は帰っていった。

 とうとう彼氏が乗り込んできた──久方はソファーできつく目を閉じて、何もかも忘れようとした。しかし、先程言われたことが頭から離れない。


『サキはあなたのことを友達としか思っていませんよ』


 言われなくてもわかっている、そんなことは。

 しかし辛い。久方はまた『消えてしまいたい』と思い始めた。このまま眠りについて、目覚めなければいい。


 そのせいかもしれない。

 気がつくと、またモノクロの森にいた。


 ああ、やっぱり、と久方は思った。やはりここは自分が作った世界なのだ。世の中から自分を隠して、やがて消すために。

 目の前に草の分け目が道を作っていたが、久方は進まずにその場にとどまっていた。

 何も聞こえず、何も感じない。

 しばらく待ってみたが、何がが近づいてくる気配はない。カラーのあの人が出て来ないか、森の奥に目を凝らしても、そこに色はない。白黒の木々があるだけだ。


 あの人ももう、僕を探すのをやめたのかもしれない。


 久方は思った。そして、自分は一人ぼっちなのだと改めて思った。自分を求める人はいない。心配してくれる人もここにはいない。このまま消えていっても誰も気づかない。

 久方の中身まで、真っ白になってしまった。何も考えられなくなってしまったのだ。自分の存在の支えになる何かを見つけることが、とうとうできなかった。不安定なまま生きてきて、みんなが持っている(と久方は思っている)安定とか安心を、自分は知らずに終わるのだ。

 ここに来られるのは自分だけだ。

 誰も見つけることはできないだろう。

 久方はじっと動かなかった。このまま森の風景の一部になってしまえばいいと思った。しかし、自分を見ると、色がついている。モノクロの森の中で自分だけがカラーなのだ。まだ生きているということだ。


 どうして。


 声にならない声でつぶやいた。


 どうして僕は生きてるんだ。

 どうして生きなきゃいけないんだ。


 あの忌々しい新道先生なら『生まれてきたからですよ』と即答するだろう。しかし久方にはそれが理不尽に思えた。好きで生まれさせられたわけじゃないのに。しかも自分の場合は、他人に体を譲り渡すために作られたのだ。

 自分がいなくなれば、あとは橋本がうまくやってくれるだろう。きっとヨギナミと一緒にあさみを支えながら暮らすに違いない。

 でも早紀は──

 そこで久方は、自分の意識を取り戻した。


 サキ君。


 久方はつぶやいた。なぜかわからないが、そうするのが正しいような気がした。


 サキ君。


 再び声に出した。感覚も音もない世界で、その声だけは、妙な響きを持って森の中を通っていった。

 すると、道の向こうで、何かが動いた。色のついた人影が近づいてきた。

 それは、紺色のコートを着て、赤いバッグを持った早紀だった。


 サキ君?


 久方は驚いて早紀に近寄った。


 どうしてここにいるの?

 ここには僕しか入れないはずなのに。


 早紀は静かな表情で久方を見て、


 所長が呼んだからですよ。


 と言った。


 私、公園を歩き回って疲れちゃって、家帰ってすぐ寝ちゃったんですよ。その後一回起きてうとうとしてたら、所長が私を呼ぶ声がして、気づいたらここにいました。


 なんということだ。久方は慌てた。自分が早紀の名を口から発したせいで、早紀をここに呼び寄せてしまったのだ。自分の力がそんなふうに働くなんて、久方は思ってもいなかった。


 サキ君、ここにいちゃだめだ。

 ここは生きた人間が来る世界じゃない。


 久方は慌てて言った。


 じゃあ、所長はなんでここにいるんですか?


 そう言う早紀の顔は、明らかに怒っていた。


 僕はいいんだよ。だって元々──


 よくないですよ。修平に聞きましたよ。新道に強制送還されるのが嫌だから追い出したんでしょ?私はそうはいきません。一緒に戻りましょう。


 でも、僕は──


 所長が戻らないなら、私も帰りませんよ。


 早紀は強く言い張った。久方は諦めた。するとモノクロの世界は崩れていき、視界は真っ暗になり、気がつくと久方は、元のソファーの上で、かま猫が自分の腹に乗っている重みを感じていた。

 久方が起き上がると、かま猫はテーブルに飛び乗った。スマホを見ると、


 さっき、夢の中で会いましたよね?


 と早紀から来ていた。どうやら自分は本当に、早紀をあの世界に引きずり込んでしまったらしい。久方は謝りのメッセージを送った後、カウンターの席に移動し、外の景色を見ながら考え込んだ。

 

 まずい。

 僕一人消えるならいいけど、サキ君まで巻き込んでる。

 どうしてこうなったんだ?

 それに、なぜサキ君を呼ぶことができたんだろう?


 その答えは明らかだった。

『自分が心から早紀を求めている』

 からだ。

 

 だめだ、それはだめなんだ。

 久方は目をつぶって頭を振った。

 スマホには、早紀から説教が入り混じった文章が次々と送られてきていた。『いいかげん初島を探すのはやめろ』とか『所長には所長の人生があるでしょ』など。


 夢の世界は白黒でしたけど、所長の姿はきれいなカラーでしたよ。生きてるってことですよ。残念ながら初島もカラーなのでたぶんどっかでまだ生きてるんでしょうね。

 でももう関係ないんですよ。

 自分の人生を生きましょうよ。


 と早紀は言ってきた。

『自分の人生を生きよう』

 そうはっきりと気持ちを切り替えられたら、どんなに楽か。

 久方は早紀から来た文面を何度も読み返した。それが、自分の不確かさを少しでも無くしてくれることを願って。しかし、早紀には彼氏がいて、先程個々に警告しに来た。このままずっと一緒に過ごすことはできないだろう。

 何とかしなければ。早紀をあの世界に呼び込まずに、自分だけで自分を処理しなくては。久方はその方法を考えた。しかし、今のところいいやり方は思いつかなかった。




 

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