表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2017年3月

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

762/1131

2017.3.28 火曜日 研究所


 結局バカと一緒にゲームで完徹してしまいました。

 自分が嫌になります。

 これから寝ます。おやすみなさい。


 朝起きると、早紀から昨日起きたことを知らせる文章がたくさん来ていた。久方はベッドの中でその文言を眺め、早紀が遠くに行っていることを思い出し、また眠りにつこうとした。しかし、ちょうど6時になり、隣の結城がショパンのピアノソナタ3番の第4楽章を弾き始めた。朝には聴きなくない曲調だ。久方はいつもどおり、うめきながらベッドを飛び出し、着替えを持って1階に逃げた。



 サキ君がいない。


 朝食の時、久方が暗い目でつぶやいた。


 同じセリフをもう一度言ってみろ。

 裏に穴掘って埋めてやるぞ。


 結城が久方をにらみながらトーストをつまんだ。


 そしたら新種の木が生えてくるから、植物学者に知らせるといいよ。


 やだよ学者なんてめんどくさい。

 それより、新橋が彼氏から離れてるうちに、

 LINEで自己アピールしたらどうだ?


 今朝来てたよ。父親と徹夜でゲームしてたって。


 ガキくせぇ。


 結城は鼻で笑った。久方は無言で食事を続けた。

 食事が終わり、ピアノ狂いがベートーベン三昧を始めた。久方はパソコンに向かっていたのだが、ふと、あのモノクロの森のことを思い出した。

 今なら行けるかもしれない。

 久方は目を閉じた。異界への扉が開く気配がしたのだ。しばらくすると、体の感覚がなくなった。

 思ったとおりに、久方はモノクロの森に降り立っていた。


 やっぱりそうだ。ここは。


 久方は前に進み始めた。あの人もここにいるかもしれない。

 あいかわらずここには人の気配も、生物の気配もない。ただ、木々や草があって、その間に道があるだけだ。どこにもつながっていない道。ただ進むためだけにあるような道が。

 ひたすら進んでいくと、細い棒のようなものが立っているのが見えた。よく見るとそれは人で、さらに近づくと、


 また来てしまったんですね。


 それは、モノクロの新道先生だった。


 なぜここにいるんですか?


 久方は尋ねた。


 それはこちらのセリフです。

 ここは生者が来るところでは──


 ここは、僕が作った世界ですよ。


 久方は新道先生の言葉を遮った。


 なんですって?


 僕が自分で創り出した世界です。


 久方は断固とした口調で言った。


 最近わかりました。僕が、()()()()()()()に会うために、()()()()()()()創ってしまった世界なんです。


 それから、こう尋ねた。


 なのに、あなたや、高谷君までここに入り込めている。

 それはなぜですか?


 新道先生は答えなかったが、とまどった様子を見せた。何か事情を知っているが、話せない。そういう風に久方には見えた。


 理解できないかもしれないけど、そうなんです。


 久方は話し続けた。


 ここは死の世界だ。でも、元からあったものじゃない。

 ()()()()()()()()()()()が創り出した世界です。

 あの人は僕を消そうとした。

 それは間違った行いだった。

 でも子供は、

 無意識に親の願いを叶えたがるものでしょう?

 僕は、あの人のために、

 母さんのために、自分を殺したかった。

 そういうことなんです。


 それはいけませんよ。


 新道先生が言った。


 絶対にいけません。


 わかってます。


 久方は薄く微笑んだ。


 いや、『頭では』わかってると言うべきかな。みんなが僕を大切にして心配してくれてるのは知ってる。親がどんな人間だろうと、子供には独自の人生を歩む権利がある──それは、()()()()()。でも、()()()()()。結局この体は母親が産んだものだから、母親の願いからは逃れ難いのかもしれない。

 理由はわからない。でも、僕はどうしても、自分を消したいと思うことをやめることができない。


 あなたは元の世界に戻るべきです。今すぐに。


 新道先生が厳しい表情で言った。それから、あたりを不安げに見回した。あの人が来ないか警戒しているのだろう。


 新道先生。


 久方は静かに言った。


 あなたはここに来る必要はありません。

 高谷君についていてあげてください。


 久方がそう言うと、なんと、新道先生は消えてしまった。


 あなたの言ったとおりだった。


 久方はつぶやいた。


 僕には母さんと同じ力がある。

 もう、ここには僕しか来れない。


 久方はモノクロの森にたたずんでいた。もう、ずっとここで隠れて過ごそうかとすら思った。数少ない楽しかった思い出だけを大切にして。

 

 サキ君が来た頃は幸せだったなあ。


 久方はつぶやいた。あの頃はまだ結城も里帰りで不在、学校の子達もいなかった。もちろん彼氏だっていなかった!早紀は自分だけのものだった。少なくとも久方にはそう思えた。早紀本人がどう思っていたかは別として。

 久方はモノクロの森に寝そべった。背中には何の感触もない。せめて草の触り心地と匂いくらいあればいいのに、とうっかり思った、その時だった。



 ズドーン!



 ピアノを乱暴に叩く音で、久方は目を覚ました。音の大きさに驚いて、手と内臓がビクビクと震えた。


 ピアノ狂いめ、またうまくいかなくてキレたな?

 人がせっかく別世界に逃げれた時に!

 

 あたりは静まり、2階から降りてくる足音がしたが、そのまま廊下を通って外に出ていってしまった。車のエンジンをかける音がかすかに聞こえてきた。

 久方はパソコンを見るのをやめて、ソファーに移動した。シュネーが先に丸まっていたので、背中を撫でた。猫の毛の柔らかい感触。


 ああ、ほんとに戻ってきてしまった。

 サキ君はいないのに。


 スマホを見たが、結城から『出かける』と言ってきた以外は何もなかった。久方はソファーにもたれて、もう一度目を閉じた。しかし、もうあの森の入り口は見えなかった。






 あいつ、危ない状態なんじゃねえかと思うんだよ。


 夕方、カフェで話していたのは、久方ではなくおっさんの方だった。隣にはヨギナミがいて、カウンターの奥では高条が動画を見るふりをしながら、2人の様子をちらちらとうかがっていた。


 所長、そんなにお母さんに会いたいんだ。

 怖い人だってわかってるのに。


 ヨギナミには理解できない考え方だった。自分を殺そうとしている人に近づくなんて。


 新道にもどうにもできねえんじゃなあ。


 おっさんは困った様子でコーヒーを飲んでいた。いつもよりペースが早い。松井マスターがおかわりのタイミングを狙って様子をうかがっている。


 サキも急に帰っちゃったしね。


 ヨギナミは言いながら高条を見た。何か言ってこないかと思ったのだが、高条はスマホを見ていて、話しかけてくる様子はない。


 俺は結城のせいだと思うね。それか、奈々子か。


 おっさんが言って、またコーヒーを飲んだ。


 やっぱりサキって結城さんのこと好きなの?


 ヨギナミは高条に聞こえないように小声で尋ねた。実際はばっちり聞こえていたのだが。


 もう見るも情けないくらいにな。


 おっさんも小声で答えた。


 それが久方を傷つけるんだよ。

 新橋はそこがわかってねえな。


 久方さんはサキのこと好きだもんね。


 それはヨギナミにとっては当たり前のことで、もはや尋ねるまでもなかった。しかし、後ろの高条が振り返って目をむいた。


 あ〜もうそれはまわりにはバレバレだな!


 おっさんは笑い、松井マスターにコーヒーのおかわりを頼んだ。それから、


 今日、そういうわけで病院に行けなくてよ。悪いな。


 と言った。


 別に毎日行く必要ないんだよ?


 ヨギナミは言った。本当は娘である自分が毎日行くべきなのでは、と後ろめたく思っていたのだが、実行に移す気にはなぜかなれなかった。なので、おっさんにも毎日は行ってほしくなかった。


 俺にはあるんだよ。

 あさみのためだけじゃなく、自分のために。


 おっさんは寂しげに笑った。それから『春休み何してる?』とヨギナミに尋ねた。ヨギナミはバイト先に来たおもしろい客の話や、勉強の話をした。

 後ろでは高条が早紀に『久方さんがサキのこと好きなの知ってる?』とLINEしていた。すぐに『ただの友達だって』という返事が来た。高条は振り返っていきなり、


 サキは友達としか思ってませんよ。


 とおっさんに向かって言った。おっさんとヨギナミは驚いて高条を見た。高条は気まずそうに席を立って店の奥に行ってしまい、おっさんとヨギナミもそこで会話をやめて、それぞれ自分がいるべき所に戻っていった。







 


 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ