2017.3.27 月曜日 サキの日記
私はマンションの自分の部屋にいる。1年と……何ヶ月?それくらいここには帰ってきていなかった。確かにここは自分の家の自分の部屋だというのに、別な女の子の部屋に迷い込んでしまったような気がする。『新橋早紀』という名前の女がもう1人いて、うっかり部屋を交換してしまったみたいな。
自分の場所だという感覚を取り戻すために、米津玄師をずっとかけている。
こっちに来て気づいたのは、人の多さというより音の多さだ。秋倉の草原は風の音以外ほぼ無音だったけど、こっちは音だらけ。人の話し声、どこかから流れてくる音楽、空港や駅のアナウンス、空調(空調の音ってこんなにうるさかったっけ?)、そして、道を走るたくさんの車の走行音!車ってこんなにうるさかったんだと思った。
さっきカフェに行ったら、店員に『お久しぶりですね』と声をかけられてびっくりした。チェーン店っぽいから客のことなんて気にしてないだろうと思っていたのに、通いすぎて顔を覚えられていたらしい。そしてここのコーヒーは、ものすごく味が薄い。何も入れなくてもそのまま飲める。店内にはパソコンを見ている人、何かの勉強をしてる人、せわしなくおしゃべりしている人──みんな忙しそうだ。時間の流れの速さを感じる。私はどういう風に見えているだろう。ぼーっとしているように見えるだろうか。
一人きりになったのは、本当に久しぶりだった。秋倉ではカフェにも勇気がいたし、研究所には所長と結城さんがいた。コーヒーを(自分の部屋以外で)一人きりで飲むのは、やっぱりほっとする。だけどどこか変な感じもする。話し相手がいないことに少しだけ違和感を覚える。
あかねからの宿題を片付けてしまおうと秋葉原に行ったら、街のうるささと眩しさ(別に特別光りまくるものとかないのに)にやられてしまった。いつの間にか『夜は暗いもの』と体と目が覚えてしまっていて、明るさも人の多さも異常事態みたいに感じてしまう。
探し回る余裕がなくなったので、ショップの店員さんにあかねのリストを見せたら、
全部買ったら2万円くらいしますよ。どうします?
と言われた。あかねのズルい笑い顔とあのウフフフフという声が聞こえた気がした。五千円で買えるフィギュアを一つだけ買って、疲れたのでタクシーで帰った。そして、あかねに文句を送りまくっていたら、うちのバカが帰ってきた。大量の肉と野菜を持って。一緒にすき焼きをしたんだけど、奴が肉ばかり取るので、防衛するにはやはりスピードを要した。
やっぱ娘と食うメシはいいよなあ。
と、奴はTwitterにつぶやいていた。肉ばっか狙いやがったことをコメントに残したかったけど、私はTwitterをやっていなかった。登録しないで見る方法があるのでそれを使っていた。
そろそろ再開してもいいんじゃないの?
とバカは言った。でも私がそこで思い出したのは畠山とノノバンだった。くそっ、2人のユウキのことを忘れたくて帰ってきたのに、この2人のことを思い出すなんて。たぶんもう会うことはないと思いたいけど。
何かから逃げると、別な何かに出会ってしまう。
どこへ行こうと私は私だ。過去はついてくる。
そして、まだ出てきてないけど、幽霊も。
奈々子はまだ出てきてない。こっちにいる間は出ないでほしい。
母に帰ってきたことを報告したら、『私も2、3日中に戻れると思うの。一緒に何か食べに行きましょう』と言ってきた。
母と何を話せばいいんだろう?
橋本のこと?仲の悪いおばあちゃんのこと?
それとも自分のこと?
そっか、私は自分のことだけしゃべってればいいのかな。
わからない。やっぱり離れすぎてて、どう接していいかわからない。
でも、正月にあまり話せなかったし、今聞いておかないと。
でも何を?
こっちに戻ってきたらもっと気分が晴れると思っていたけど、そうじゃなかった。別な問題が持ち上がってきただけだった。そろそろ寝たいのに、バカが家の中を徘徊してガサガサゴソゴソやってる音がうるさくて眠れない。ノートに向かって考え事をしてたら結城さんの背中を思い出してぼーっとして、これではいけないと思ってBBCの音声を聴いてたら、こんどは所長のことを思い出した。気分が不安定になった時、よくここから電話して話を聞いてもらっていたっけ。
無事に着きましたと報告したら、『今日、ショコラティエのまりえさんが来たよ』と。所長は所長でやることがあるのだ。でもまりえって人、なんでわざわざ研究所に来るんだろう?所長が気に入ったのかな?
バカの部屋の方から何かピコピコした音が聞こえてきた。むかしのゲームでも引っ張り出したのか。これから注意しに行ってくる。夜中に騒ぐなと。娘と遊びたいという魂胆が見え見えだけど、絶対一緒に遊んでなんかやらない!




