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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2017年3月

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2017.3.21 火曜日 ヨギナミ 杉浦塾→松井カフェ

 春休み。杉浦の家で勉強会だ。いつもは楽しみにしていたのだが、ヨギナミは沈んでいた。この間のレストランでの会話で、自分に全く好意を持たれていないことがわかってしまったからだ。


 そもそも杉浦って現実の女に興味あんの?

 文学以外目が向いてなくね?

 小説に出てくる女しか興味ないんじゃね?

 エカテリーナとかが好きなのかな〜。


 と佐加が言った。エカテリーナは文学の人じゃないとつっこむ気力も、今のヨギナミにはなかった。


 あいかわらず杉浦の家は本だらけだ。ヨギナミはよく、ここで自分が生活しているところを想像したものだ。きっと毎日本を整理したり、はたきをかけたりしなくてはいけないだろう。夫は書斎(とは名ばかりの本の倉庫)にこもって何か書いていて、自分はそれを見守りながら料理をするのだ。

 儚い夢だった。

 もう忘れたい。

 ヨギナミは意識して数学に集中するようにした。補習で出た問題がわからないと言って、佐加は杉浦に質問しまくっていた。杉浦は『こんな初歩的な問題もわからないのかね!?』と言いながらも、過剰に丁寧な説明を与えていた。藤木はずっと現代文の教科書を読んでいて、一言も発さない。なぜか卓上にはヘアカラーのパンフレットがある。


 藤木。


 ヨギナミは思わず尋ねた。


 何の勉強をしてるの?


 店のPR文を考えてる。でも俺文章苦手だろ。


 現代文の教科書見てわかるの?


 文章がどう書いてあるか見てた。


 たぶん文学とPRは書き方が違うから、別な本読んだほうがいいよ。


 本の話をしたら杉浦が割って入ってくるのではと思ったが、佐加の相手に夢中なのか、こちらに気づいていないようだ。


 伊藤ちゃんにいい本ないか聞いてみたら?


 そうだなあ。少なくとも杉浦に『僕が書こうか』とか言われるよりは──。


 もーやだ!数学やだ!


 佐加が叫んだ。


 こんな訳わかんね〜式絶対人生に必要ないし!


 そんなことを言うものじゃない。いいかね、世界中の女性が、『数学的知識を身に着けなかった』ために将来の仕事が限定されて、それが格差を生み出しているのだよ。学べる環境にある自分は恵まれていると思いたまえ!


 杉浦がまじめに、偉そうに言うと、


 うぜー!ホソマユの説教うぜー!


 佐加がもだえながら叫んだ。


 少しは親友を見習いたまえ。

 ヨギナミは女子なのに数学が得意じゃないか。


 杉浦はそう言ってヨギナミを手で示した。しかし、ヨギナミは全く嬉しくなかった。






 だから杉浦はやめとけって言っただろ。


 夕方。

 カフェでおっさんが、疲れた顔のヨギナミに言った。

 

 自分の興味一辺倒でまわりは何も見えてねえんだよ。本が好きな奴にはたまにそういうのがいるもんだ。本の知識だけ偉そうにしゃべって、実際まわりの世界をまるで見ようとしてねえ──


 おっさんはそこで言葉を切って、


 俺も昔はそうだったよ。


 と言った。カウンターの奥にいた高条がちらっとおっさんを見た。


 でもあいつはまわりの親切に恵まれてて、人に嫌われた経験がないんだろうな。


 スマコンとはよくケンカしてるよ。


 ケンカできる奴は仲がいいんだよ。本当に仲が悪いとケンカもできねえし。


 そうかなあ。


 ヨギナミはそこで気づいて尋ねた。


 おっさん、最近よくここに来てるよね。所長さんは?


 あいつ、火曜になると引っ込むようになったな。


 引っ込む?


 お前と話しろってことなんだろうな。気を遣ってるんだよ。でもよくねえな。本当は創が生きる時間を俺が削ってる。


 そっか。


 お前が気にする必要はねえよ。俺もお前と話したい。あさみの話ができる奴は他にいないし、それに、俺自身の話も他ではしにくい。


 私思うんだけど、

 初島って人はお母さんに似てると思うの。


 ヨギナミが言った。おっさんはカップを持とうとした手を止めて、驚きの目でヨギナミを見た。高条が近くの席まで近づいてきた。


 お母さん、町の人にいじめられてたでしょう?それでああいうひねくれた人になったのかもしれない。だとしたら、初島って人がそんな人になったのも、昔何かあって大きく傷ついたからかもしれないって。 

 それは、おっさんが死んだことと関係あるんじゃない?


 おっさんはしばらく何も答えなかった。店内のラジオが天気予報を告げ、年老いた客はマスターと血糖値の話をしていた。いつもどおりのカフェの日常、その中で、おっさんとヨギナミのいるあたりだけが、急に開いた過去への入口から吹いてきた風に包まれたようだった。


 お前には話せないことがあったんだ。


 おっさんはやっと、小さな声でつぶやいた。

 

 話せない?


 ああ、話せない。


 それは、内容が残酷だからですか?


 高条が割って入ってきた。


 未成年に話しにくい内容ということですか?


 ああ、そう思っていい。


 おっさんは急に立ち上がり、何かに取りつかれたような呆然とした態度で店から出ていった。コーヒーチケットを2枚置いて。


 なんか起きたんだな、事件が。


 高条がそう言いながらコーヒーチケットを回収し、


 飯食ってく?


 とヨギナミに尋ねた。ヨギナミは『平岸家で出るから』と断り、外に出た。ちょうど、平岸パパの車が向こうから走ってきた。



 ヨギナミは夕食の席で今日のおっさんの様子を話した。幽霊に関わる話なので、早紀と高谷修平には聞かせた方がいいと思ったのだ。


 やっぱり、橋本を殺したの初島なんじゃない?


 早紀が言った。


 うちの妙子が言ってたもん。あいつが落ちてきた時、上に女がいるのを見たって。


 あんた、お母さんを『妙子』って呼ぶのやめなさいよ。


 あかねがエビフライをかじりながら言った。


 食べるかしゃべるかどっちかにしなさい。


 平岸ママが注意した。

 お母さんがひねくれてなかったらどうなっていただろう?行儀について言い合う平岸親子を眺めながらヨギナミは思った。あの嫌な男に会わず、普通に生活してまともな男と結婚してまともな子供を持ったら、あの母も普通の幸せな主婦になれたのだろうか──でもそんな姿は、ヨギナミには想像もできなかった。ヨギナミにとって『母』とは、冷たく、自分のことしか考えられない、余裕のない不幸な人のことだった。

 高谷修平はずっと黙っていた。何か知ってそうだと思ったが、顔色が悪く、食事も半分くらいで『もういらない』と言って出て言ってしまったので、何も尋ねることができなかった。

 部屋に戻って勉強を始めてからも、今日のおっさんの様子が頭から離れなかった。本物の親より親らしいおっさんは、いつもヨギナミに気を遣い、守ろうとしている。だからこそ昔の話ができないのだとしたら、ものすごくつらいことが起きたに違いない。


 だから成仏できないのかな。


 ヨギナミはつぶやいた。勉強したいのに集中できなかった。

 何が起きたか知りたい。

 でも、どうしたら話してくれるだろう?







 




 

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