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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2017年3月

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2017.3.11 土曜日 河合先生への日誌 高条勇気

 今日は震災の日です。でも、その話題を出したのはばあちゃんだけでした。他の人の意識にはもうないようです。僕は仙台にいました。あの時は家中のものが倒れたり飛んだりし、家の壁に大きな亀裂が走りました。僕の体より大きな割れ目で、そこから隣の家の屋根が落ちているのが見えました。避難所に行きましたが、おじさんの家は津波で全員亡くなりました。

 昨日まで当たり前にあったものが、突然なくなる。それがわかったからかもしれません。何でも動画に撮って残したくなるのは。

 当時のニュースを覚えていますか。テレビは繰り返し不快な津波の映像を流し続けていた。後で聞いた話だと、芸人が『津波じゃなくて生存者を映してくれ』と訴えていたそうです。それから少し経つと『復興のために地元に残る』とか『一生、ここで地域のために尽くす』みたいな言葉を、学生や若者が言わされるようになった。

 彼らは本当にそうしたいと思っていたのかもしれない。

 でも僕は違います。ずっと前から別な街に行くと決めていた。東京でも大阪でもいい。別な所に一人で行って、何か大きなことをしようと思っていた。でも震災の後、それが言いにくい雰囲気になっていた。

 あの頃のことをどう説明していいか、僕にはふさわしい言葉を見つけられません。とにかく、両親は僕に一生地元にいてほしいと言った。復興のために何かしてほしいと言った。僕はそれを断った。そういうことです。自分勝手なのでしょうか?でもおかしいと思いませんか。他の地方の奴らは自由に好きな所に行けるのに、被災地の人間だけ一生震災に縛られるなんて。

 もちろん僕も地元のために何かしたいとは思っています。でもそれは、僕がきちんと自立してそこそこ実力をつけてからであって、そのためにはまず外へ出なければいけないと思ったんです。父は理解してくれませんでしたが。

 サキに震災の話をしようかどうか、今日迷いました。

 できませんでした。

 あいつはここ数日別なことで頭がいっぱいらしく、人の話を聞いていないんです。3年の卒業式でもぼーっとしていて何も話しませんでした。どうも、本心を人に見せたがらないと感じます。でもそれは僕も同じなので、非難する気にはなりません。

 春休みの宿題はすぐ終わるものにしてください。

 カフェの仕事が忙しいので。





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