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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2015年11月

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2015.11.4 研究所


 バーバラ・ボニーの女神のような歌声が、久方創の耳に直接響いてくる。シューベルトの『きみは憩い』が。

 この曲を聞いていると、いなくなった人が戻ってきて、そばにいてくれるような気がする。

 もちろんただの錯覚である。

 でも、気のせいでも自己満足でもいいから、別世界に入り浸っていないと耐えられない時がある。

 今の久方が、まさにそうだった。



 昨日も、出かけた覚えがないのに、

 気がついたら、草原の真ん中に立っていた。



 昼間のほんの2、3時間ほどだったから、助手には怪しまれていないが、なぜ外にいて、何をしていたのか全く覚えていない。

 動揺するには、それだけで十分だ。




 バーバラの声は徐々に高く、天上に昇っていく。天国とか安らぎとか、憩いとか、そんなものが本当にあるような気がする。

 錯覚だか。



 そして、こういう時を狙って、

 奴は弾くのである。



 隣の部屋から、ノイズキャンセルを貫通するほどすさまじいピアノの音が聞こえ始めた。

 久方はうめいて頭をひっかきながら、上着を取って廊下に飛び出し、一階に逃げた。


 時計を見ると、ちょうど3時だ。先に時間をチェックしておくんだった。助手は3時からピアノ練習を始める確率が高い。

 でも、なぜそれに自分が生活を合わせないといけないのか?久方は納得していない。



 しかし、文句を言えない。




 ピアノを処分したらどうでスカ?こないだの看板みたいに。幸福商会に頼んで。



 新橋早紀が夢のような提案をしてきた。それができたらどんなに幸せだろう。



 いいね。でも、あとで僕が惨殺されるから。



 決して冗談ではないのだが、早紀は面白そうに笑った。



 あかねから昨日メールが来ましタ。ヨギナミさんの家に、クラスの男子のお母さんが乗り込んできたそうでス。



 そういえば、最近ヨギナミの姿を見かけない。収穫の季節は過ぎたから用事はないのだろうが、まさか東京にいる早紀から町の噂を聞くとは。



 何かトラブルみたいでスね。あかねは楽しそうでシタけど、自分もいつ言いふらされるかわからないから怖いでス。

 学校ってそういう所なンですよね。自信ないなあ。



 秋倉高校に来る話は、まだ検討中らしい。久方は一刻も早く来て欲しかった。無理なのがわかっていたし、いい年の大人がそんなことを頼むのはおかしいと思ったので言わなかったが。最近は暗い影に付きまとわれているように気が晴れない。調子のよかった夏が懐かしいくらいだ。草原も空も青く、ロボットではないまともな話し相手がいて、ピアノの音は聞こえない。



 サキはこれから出かけるそうだ。用事はないが『こもりきりは良くないから』と。都会には気晴らしに行くところがたくさんあるのだろう。



 でも『こもりきりはよくない』というのも思い込みの一種のような気もしマス。どこに行っても私は考え事しかしまセンから同じかな。でも、布団にもぐってする考え事と、カフェでする考え事はかなり質が違う気が……あ、これも気のせいかも。イメージに踊らされて。だからカフェが増えたんですカね?カフェにいると自分のイメージが良くなるから。



 話しながらいろいろなことを思いつくらしい。今頃どこかのカフェで何か考えているのか、それとも別な場所で思考中なのか。




 サキくん。

 僕は好きで田舎にいるんじゃない。

 動けないんだよ……。




 通話を終えてから、もう話していない早紀に向かってつぶやいた。

 窓の外には青空が見えるが、雲も多い。ピアノはあいかわらず鳴っている。天井は雨雲のように灰色で、ところどころに亀裂が走っている。



 久方は天井が崩れて、助手がピアノごと落ちてくる所を想像した。

 一瞬笑えたが、またすぐ無表情に戻って、帽子とコートを取って部屋を出た。気晴らしに外出が必要なのは、都会の早紀だけではないようだ。





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