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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2017年3月

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2017.3.3 金曜日 研究所

 雪に強い風。今日は外に出ない方がよいと判断したのか、橋本が出てくる気配がない。

 久方創は2匹の猫が気ままにじゃれ合うのをぼんやりと眺めていた。そして、


 サキ君は今日も来ない。


 という呪詛のような言葉を繰り返し頭の中でつぶやいていた。最近メールやLINEすら来なくなった。きっと彼氏と一緒にいるのが楽しいのだろう。結城は『新橋にはその気はない』と言い張っているが、たぶん若い男に嫉妬しているだけだろう。天井からやけくそ気味にまたラヴェルのスカルボが続いてくる。なぜこんな不気味な曲を好き好んで弾くのだろう?しかもこんな雪の日に。逃げようにも外は吹雪だ。

 でももう3月だ。あと1ヶ月もしたらクロッカスが出てくるかも、いや、少し気が早いか。ここの花の季節は5月だ。桜が咲くのもゴールデンウィークだ。

 春の花々を思い出して少し気分がよくなった所に、ピアノの、


 ドゴーン!


 という音が響き、久方は驚いて軽く飛び上がった。

 音が止まった。


 どうしたんだ、自分の演奏が気に入らなかったのか?


 不気味な静けさの中、久方がしばらく天井を見つめていると、今度は『ゴリウォーグのケークウォーク』が流れ始めた。なぜいきなりドビュッシーになったのだろう?そして、どうしてこんな選曲なんだろう?

 こんな天気だが、久方は外に出かけることにした。こんな訳のわからないピアノ狂いの演奏を聞きながら落ち込んでいるよりは、外で雪まみれになった方がマシだ。

 

 雪の粒が風で、生き物のように動いている。久方は玄関を出た所で立ち止まり、しばらくその様子を見ていた。

 自然は常に生きて、動いている。

 自分が絶望しようが、動きを止めようが。

 ゆっくりと歩き出す。雪つぶてが顔に当たる。厚いコートを着てきても空気の動きは全身で感じられる。

 どこに向かうでもなく、ただ何かを感じるためだけに、久方は歩いていった。雪で前がよく見えない。しばし感覚が薄れ、自分を忘れた。


 気がついた時には、方向感覚を失っていた。


 どちらを向いても真っ白だ。久方は慌ててもと来た道を引き返そうとして、雪山につまづいて倒れた。

 手をついて起き上がりかけたとき、ふと、


 前にもこんなことがあったような気がする。


 と思った。雪の中に倒れたことが。でもそれがいつのことなのかは思い出せなかった。

 ゆっくりと立ち上がってまた歩き出した時、急に思い出した。


 城だ。

 雪山を城に見立てて、登って遊んでいたんだ。


 でもおかしい。自分が札幌にいる間は、あの恐ろしい人と一緒にいたはずだ。外で遊ぶことが許されていたとは思えない。

 そもそも、橋本はいつから自分に取りついていたのか?

 思い出そうとしても何も出てこない。雪と風はますます強まり、体は冷えていく。


 帰らないと。


 歩き出した時、また現れた。

 小さな頃の自分が。


 スキーウェアのようなコートを着て、耳あてのついた帽子をかぶり、小さなスコップを持って雪で遊んでいた。いつかのような冷たい目ではなく、本当に楽しそうに。


 だめだ。

 今、()()()に会いたくない。


 久方は走り出した。途中で何度も雪につまずいて転んだ。それでも止まらず、必死に逃げた。




 何だよ、こんな天気のときに外出るなって。

 どしたの?雪女にでも会った?


 2階から降りてきた結城は、震えている久方を発見して呆れた。久方は暗い目でストーブの前に座り込んで、コーヒーカップを持っていた。髪は濡れているし、全身が小刻みに震えていて、顔は引きつっていた。鈍感な助手でも何か起きたことはわかった。


 昔、雪の中で遊んだことがあるみたいだ。


 久方は震えたかすれ声で言った。


 でも、それがどういうことなのかわからない。


 北海道に住んでりゃ、

 誰だって雪遊びくらいするでしょ。


 結城は何でもないことのように言った。久方の隣にはかま猫が丸まって、たまに様子を見るように、耳を動かしながら久方に顔を向けていた。






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